1994年10月01日

大人になったか日本

細見 卓

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ニューズウィーク誌の東京支局長であったビル・パウエル氏が、今夏日本を去るにあたって、「冷戦の終了とともに日本の一つの時代が終わった」と語った。丁度、夏目漱石がその「こころ」の中で、明治天皇の崩御の号砲を聞いて、それは過ぎ行く時代に対する弔いの鐘のようであったと書いたのと同様、一つの時代の終焉の鐘は日本人の心の中に不安と悶えを生んでいるようにみえる。そして、カリフォルニア大学のチャルマーズ・ジョンソン教授が数年前、世界の冷戦は終わり、日本はその勝者であったと言ったのに対し、パウエル氏は、1989年に日本に来た時はそれが正しいと思ったが、今去るにあたってそれは誤りであると思っていると述べている。

日本に詳しい外国人の眼には、混乱した事態が明確に見えているのかもしれない。日本は戦後、先進諸国に追いつくべく、必死に頑張って、冷戦下、今日の経済大国を築くことに成功した。それは一方では、自国の安全を他人の手に委ね、先進国の優れた知識や技術を取り入れることに専心してきたためである。こうした日本の追いつけ、追い越せ式のやり方や、日米安保条約という傘の下での安住は、日本人古来のメンタリティーともいえる、不安焦燥と、自分自身に対する自信のなさを上手く制御するのに役立った。しかし、ここへきて冷戦は終わり、また日本の進路にとっても直接の規範とするものが視界に入らなくなってくると、かって度々歴史のなかで繰り返された、外からの刺激のない時に起こる自己満足と、試練と決断を嫌う安易さが頭を持ち上げてきている。安全保障に関しては、日米安保は日本のためだけにあるのではなく、米国の利益にむしろ大きく貢献してきたのだという考えも出てきている。また、産業については、日本は懸命に働いて、新しい知識や技術を吸収し、先を進んでいた国に追いついてきたが、これが今になって何故批判を受けるのか戸惑ったままである。欧米のいうレベル・プレーイング・フィールド(競争条件を平等に)というような議論に関しても、やましいところはないといった高ぶった気持ちばかりが強い。

生産性の高さや、経済の効率性において、日本は世界に冠たるものであるといった過剰な自尊心が一方では根強く生じておりながら、他方では冷戦時の繭の中のままの心理、つまり、日本は小さな国で、どこの国からも目の敵にして苛められることはないといった甘えを持ち続けているのである。少なくとも日本を見ている外国人の眼にはそのように映っている。

日本は本当に政治、経済、社会の各面において本当に成熟した大人の域に達したといえるのだろうか。身体は大変大きくなったけれど、精神的には幼児期から抜け出ていないのではないかという不安が過る。国際的な関係においても、国際社会の中でいやでも大きな役割を担う立場に立たされているという考えでなく、自分はどこか保護された特別な地位にあって、自分に都合のよい範囲で貢献をすればよいのだという考えが、経済界だけでなく、政治の世界でもごく当たり前とされているようだが、これで果たして世界の中で日本が大人の国として一人前と認められるのか、国民皆で考えてみなければならない時になっている。

私は何も、日本のいままでが、全て改めるべき特殊なものであるとは思っていない。しかし、丁度、昆虫が成育の段階を経ていく間に、脱皮を繰り返すことが不可欠であるのと同様、日本という国家もその発展に応じて、絶えず脱皮し、体質の変化を重ねなければならない。

日本が本当の意味で、他から尊敬される大人の国になろうと望むならば、自ら必要なディシプリンを課し、必要なトレーニングを加えて、身体をスリムで活動的にしていかなければいけない。いたずらに慢心して、怠惰の中に自己の欲望のみを満たすのでは、大人に成人病が忍び寄る如く、日本社会の健康も究極的には損なわれていくであろう。今、これまで偏見を持たずに日本を見てきた外国人の耳に、一つの時代の弔いの鐘の音が聞こえている。我々日本人がこのまま手を拱いて、漫然と安易さのみを追っていていいのだろうか。

(1994年10月01日「調査月報」)

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