1992年11月01日

ECの挫折

細見 卓

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マーストリヒト条約の批准をめぐり、今年6月にはデンマークが小差ながらもこれを否決し、さる9月20日のフランス国民投票では「賛成」となったものの「反対」との差はごく僅かであった。こうしたことからECの92年中の単一市場の形成、更にはそれを超えての拡大と深化という統合の気運に迷いが生じてきたようである。

一種の統合熱に浮かされ、まっしぐらに通貨政策のみならず外交・軍事も含めた強力なECの設立、言い換えればEC各国が持つ通貨・外交・安全保障といった重要な事項についてそれぞれが主権を放棄し、ヨーロッパ人であればどこでも選挙に参加できるような政治的に一体化したヨーロッパの統合というものが現実には未成熟であることを露呈した。皮肉なもので統合の将来に暗雲が見えたとなると、これまでの統合への無理が一挙に吹き出し、弱い経済の国の通貨が大規模な投機に晒され、折角築き上げてきたERM(為替相場メカニズム)の崩壊、ひいてはEMS(欧州通貨制度)そのものの基礎も動揺させるような通貨・為替の大混乱が生じた。幸いこの大混乱はイタリア・イギリスのERM離脱、その他弱小国の通貨切下げ、更にはドイツの金利引き下げや仏フランの大幅な買い支え等によって現状は小康状態を維持しているかのように見える。しかしながら、このことは問題が解決されたという訳ではなく、ドイツに対する更なる金利引き下げへの圧力は強く、又、イギリスがERMに復帰するには国内経済の根本的な強化策を必要としており、イタリアについてもERMに復帰できる迄に通貨経済システムの強化を図れるか経済的にも政治的にも大きな疑問が持たれている。

元来、通貨統合の進め方については二つの考え方があり、一つはフランスに代表されるいわゆる通貨主義であり、思い切って平価固定を先行実現させれば実体経済がそれに合わせて調整されるという考え方である。もう一つは、実体経済の均質化が実現していない段階で平価を固定することは徒に混乱を招くというドイツに代表された経済主義の考え方である。今回の通貨統合はEC委員会が仏のドロール委員長によって運営されている為か、通貨主義的な立場に立ってまず通貨間の関係を強く縛り合うことによって経済はより均質的なものになって行く、という考え方が強く反映している。これに対し、本来経済主義的な考え方を採るドイツでは、東西統一に際し中央銀行は1対1での東西マルクの統合に強く反対し、経済の実勢に見合った1対3とか5といった交換レートでのマルク統合を貫こうとしたが、政治的に押し切られるという経緯があった。しかしながら、今回はそのドイツが積極的にERMの現レートを動かさないという考えに固執し、必要あれば仏フランあるいは英ポンドすら買い支えてでも為替レートの維持を図ろうとした。このことは極めて意外な感を与えるものであった。更に遡れば、先般の中央銀行による0.75%の公定歩合引き上げと今回の0.5%の引き下げは、引き上げは大きすぎ、引き下げは小さすぎたというのが国際的な常識となっており、他国からの批判も強い。又、イギリスにおいてはサッチャー前首相の意に反してERM参加を決定した訳であるが、その際国内へのインフレ的影響を恐れて1ポンド=2.95マルク(基準相場)という実勢を上回る不利なレートで固定化を行った咎が今回表面化したものであり、蔵相の責任問題ひいては首相の政治責任迄も取り沙汰されている。

EC統合はEFTA諸国、更にはポーランド・チェコ・ハンガリーといった東欧諸国の加盟も目指しながら、一方では思い切った為替レートの固定、軍事・外交の一体化というこれまでの主権国民国家の観念を大きく超えた壮大な理想を追っている訳であるが、今回それが現実の遅々たる進展に阻まれて夢と現実の乖離という苦難に満ちた破綻に遭遇した。こうしたことから二段階統合、つまりドイツ・フランスにベネルクス諸国を加えた中枢共同体とそれを取り巻くイギリス・イタリアをはじめとする外延諸国とのより緩やかな共同体に二分化し、更にそれをEFTA諸国、東欧諸国へ拡大しようという考え方も出ているようである。しかしながら、そうした考え方は国家間の親疎が共同行為の違いを公然化することを認めるものであり、EC統合の理想とするところから大きく離れている。又、野心的ともいえる一部の国家主権の放棄を伴う統合ではなく、かつてサッチャー前首相が唱えた如く東欧諸国や旧ソ連をも含めた緩やかな拘束力の弱い自由貿易共同体を目指すべきという議論もあるが、ドロール委員長の言葉を借りれは、「それではそういうECに加盟のメリットがあるのか」という反論も根強い。

いずれにせよ今後ECがどういう分野でどの程度の地域統合体になっていくのか予断は難しいが、従来の主権放棄を伴う統合にまで一気に進む道程で大きく蹉跌したことは間違いない。国家という観念や民族主義を超えて物事を進めることの難しさを改めて痛感させられる出来事であった。

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