1992年10月01日

言論の責任

細見 卓

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先般、国際会議出席の為韓国のソウルに出張した。そこでまず聞かされたことは、今や日韓関係は戦後最悪の状態となっており、日本がこれに対し特別な措置を採らない限り、事態の改善はとても期待できないとする議論であった。しかもその議論は多くの参加者から事ある毎に聞かされ、何故それほどまでに事態が悪化しているのか日韓問題に造詣の深い人達からその真相を聞いてみた。

勿論、他国のことであるため必ずしもその真偽は定かではなく、まして世論とは自国のものですら容易につかめないものであり、それらの人々の話からの推察ではあるが、どうも言論界や一部の日韓関係通といわれる人々の言説が、大きくこうした世論を動かしているように感じられた。

日韓関係については、慰安婦問題等日本側に非があることも事実であるが、繰り返し反日的な気分をもり立てる言論が事態の悪化に大きく影響しているように見えた。日米関係についても、我々は常態よりも激しく好き嫌いの感情を振幅させられることがあり、多くの場合マスメディアの影響によるものであることを経験してきた。いわゆる嫌米・厭韓といった気風が我が国でも強くなっていることは承知していたが、韓国でも反日感情が予想を上回る激しいものとなっていることに驚きを新たにした。

言論と思想表現の自由は犯すべからざる基本的人権であり、これを尊重すべきことは当然のことである。しかしながら、言論の自由という名の下に誤った事実認識に基づいた感情的な言論がとかく横行しがちであり、いわゆる自由社会の世論、更にはその源となるマスメディアの言論の責任というものについて無関心に放置すべきではなかろう。無論このことは、自由な言論に制約を加えるという意味ではなく、聖書の冒頭に出てくる“はじめに言葉ありき、言葉はすべてである”という近代文明の基礎とも言うべき言論の本義に思いを至す必要があるということである。

確かに、間違った議論もそれが抑えられることなく発表されることによって正しい議論が呼び起こされることになるのも事実であるが、間違ったものも非常に影響力の大きいマスメディアという媒体を通じて発表されると、よほどの識者でない限り言葉は真実をあらわすものであるという文化の中に育っている一般の人々を大いに惑わすことになり、その弊害は大きい。

ギリシャ文明以来、間違った議論で大衆を煽動する人のことは、“デマゴーグ”と呼ばれ、人々はこれを社会から排除するように努めてきた。しかしながら、近代社会のように変化のスピードが早く、真実か否かを一般大衆が検証するよりも前に事態の方が先に変化してしまう時代においては、事柄について最も豊富な知識と情報を持つ立場の人達が自制を込めて正確を期す発言をしないと、正しい知識を広める筈の媒体がかえって誤解を生む源になりかねない。

残念ながらこの言論の責任の厳格さについては、西洋社会に比べて東洋社会の方がかなりゆるやかな感がある。聞くところによれば、米国においては湾岸戦争に関して判断や解説を誤った人々は、政治家、評論家を問わず厳しい制裁を社会から科せられているということである。つまり、米国では自由な言論といえども間違ったものについては、相応の責任を取らされることが当然視されているようだ。しかしながら、我々の近辺では実状は必ずしもそうではなく、言論の自由のみが徒に強調され、責任回避が横行しているのは何とも残念なことである。

自由な言論は大いに推奨されるべきであるが、同時に間違った言論については相応の責任を取るべきであり、このことが近代社会においてまず守るべきルールと言えよう。言論の統制は許されるべきことではないが、真実のみの表現と論者の責任が曖昧になっては言論そのものが文明の徒花と化してしまうであろう。世界平和の為にはマスメディアという世論を大きく動かすような立場にある人達が自己の言論に厳格な責任を持つ自制の必要性を痛感させられる所があった。

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