コラム
2007年05月01日

教育改革は、「急がば回れ」

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○ 教育改革関連三法案が審議入りし、教育改革論議が盛んになってきた。「再生会議」などでの議論も含め、最も気になるのは、教育問題への競争原理の導入と、予算支援措置の手薄さだ。教育は、国のビジョン(理念や目標)と無縁ではない。人づくり、国づくりの基礎であり、社会的共通資本の最重要な柱の一つである。にもかかわらず、日本の実態はどうか。

○ いま、わが国の教育現場は、これも重要な医療の現場と並んで、劣化、崩壊の入り口にあると言っても過言ではない。教員数や給与の削減の中で、長時間労働や、児童・生徒、保護者、管理者との多重の板ばさみなどから、多くの教師が、教職の継続に不安を持っており、精神的疾患による休職者が急増していると聞く。加えて、いじめ、引きこもり、未履修問題、学級崩壊等々、根深い問題が山積している。また、学力低下傾向は国際的調査にも表れており、なのに公的教育財政支出(GDP比)は先進国中最低レベルなのだ。

○ やはり、この教育改革論議に、国のビジョンと足元の教育現場の実態とを過不足なく踏まえた、中身のある政策論議が欠けていることが問題なのだろう。「企業」は商品に価値付けし、比較優位を競う存在だが、「個人」は自分自身に価値を身につけ、それぞれにかけがえのない個性と役割を持った主体、いわば「多様な独自性」を有する存在なのだ。そして、それを伸ばすのが教育の崇高な使命であって、そこに「競争」は、ない(あってはならない)。人口減少、資源・環境制約下、右肩上がりの成長は期待しづらい中にあって、これからは、「多様な独自性」を認め合い、他を尊重し合う中から、さらなる高い付加価値を生み出していくようなビジョンが求められるのではないか。教育現場の実態改善に向けた心のこもった支援、予算や人員の正味の充実から先ず「真剣に」検討したらどうか。「家庭力の格差=教育の機会格差」の構図を助長するような、過度な競争原理に根差す政策・施策だけは、慎重であるべきだろう。

○ ローマの繁栄は、征服した他民族の人材活用など「共生」の理念が支えたものだとも言われる。ダーウィンの進化論も「進化」してきたようで、人は生存競争するが、他者とも協力しながら進化してきたらしい。歴史の教えるところは、繁栄と幸福は共存共栄、Win-Winの基盤づくりによってもたらされるということだ。「米百俵の精神」を国会演説に用いた総理もいたが、教育が何よりも大事だという本来の意味は、その政権では活かされなかったようだ。「百俵の米も食べてしまえばたちまち無くなる。学校を建て、人物を養成するのだ」という小林虎三郎の言葉こそ、国づくりの王道を言い当てている。

○ 教育は国づくりの根幹であり、とくにわが国は、人こそが唯一とも言える資源である。単に学力があるとか試験に強いとかではなく、他者への思いやりや敬意を忘れず、共に夢や目標の実現に向け努力していけるような、それぞれに優れた「人財」を粘り強く育成していくことが、教育改革の目的でなければならない。「急がば回れ」の所以(ゆえん)である。

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