コラム
2005年03月22日

横ばい経済の中で咲かせる花

  森重 透

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1.景気回復の行方(ゆくえ)は?

日本の1人当たりGDPが1,000ドルを超えたのは、1966年、[下掲グラフ]の左端で成長率が跳ね上がっている年である。そして、中国が同じく1,000ドルを超えたのが2003年、グラフの右端である。このグラフには、あたかも、日中間の国民1人当たりの経済的「豊かさ度」に関する時間軸が、隠されているとも言える。37年という時間差は、長いようだが現代中国の猛烈な成長スピードを勘案すれば、思いのほか短いのかも知れない。

しかし日本も、70年代前半頃までは、そのような高度成長を謳歌していた。そして、73年の第一次石油危機を境に安定成長期に移行、85年プラザ合意以降のバブル期、90年代バブル崩壊後の「失われた10年」を経て、現在に至っているのだ。かつては5%を超える成長を記録したこともあったが、「失われた10年」は深刻な不況、趨勢的なデフレも経験しており、ここ数年は一段と振幅の狭まった、「横ばい経済」とも言うべき状況が続いている。

さて、このグラフの行く末は、どのような経路を辿るのだろうか。04年4~6月期からの前期比マイナス成長入りを受けて、昨年末以来、政府、民間エコノミストの間で、日本経済の現状と当面の見通しについては、見方が分かれている。要すれば、強気派は、企業部門の収益改善が家計に波及し、民需中心に緩やかな回復が持続するし、今は「上り坂の微調整」、「やや長い踊り場」に過ぎない、とするもので、政府筋の見方がその筆頭に挙げられる。一方、慎重派は、景気のピークアウト時期については見方が割れるものの、海外経済の減速懸念や、可処分所得伸び悩みの中で、企業から家計(個人消費)への点火が期待しづらいことなどを理由に、05年度にかけて景気は緩やかな後退局面に入る、と見るものである。

筆者は、(1)足もとの鉱工業生産の伸び悩み、実質輸出の伸び低下に加え、鈍化する企業収益の伸びと収益構造の持続可能性懸念等から、企業部門も決して安泰とは言えないこと、(2)何よりも、この間、企業部門改善の果実を家計が十分に享受すること(「トリックル・ダウン」)が見られなかったうえに、税・社会保険料負担増による可処分所得の低下圧力も手伝って、消費は低迷を余儀なくされると見るのが妥当と思われることから、後者の慎重派に与するものである。少なくとも、政府が見立てるような楽観的分析・予測には、違和感を覚えてならない。しかし、同時に、バブル崩壊後の日本経済を悩ませてきた雇用・債務・設備の3つの過剰問題は大きく改善しているため、05年度の調整は深いものとはならず、同年度末頃には景気は回復に向かい、ここしばらくは、1%前後の緩やかな「横ばい経済」が続くと見ておくべきであろう。

2.ビジョンなき構造改革

足もとの景気の行方が決して楽観できるものではないとしても、基本的には横ばい経済が続く中で、考えるべきことは、むしろこれからの経済社会のあるべき姿を真摯に模索すること、そしてそれに即した具体的な政策・取組みである。向こう10年単位で中長期的視野に立って見れば、日本に確実に待ち受けているものは、人口構造の急速な高齢化、団塊世代が60歳を迎え始める07年度以降に労働力人口減少ペースが加速化すること、晩婚・少子化により総人口もついに減少傾向に入る変化である。このような人口減少時代においては、従来型の景気の行方(GDP成長率の帰趨)を追うことよりは、1人当たりGDPの向上、国民ひとり一人の生活への信頼感・満足感の充足を重視することなど、量から質への転換にウエイトを置く経済政策の遂行がより重要になってこよう。つまり、人口減少・高齢化社会という低位(だが安定的な)成長経済の実現に向けて、日本社会全体のビジョンと体制づくりに取組むこと、これこそが日本経済が直面する真の課題であり、構造改革もそのために必要なのである。

このような観点から見れば、「構造改革なくして成長なし」をキャッチフレーズとした小泉改革は、その方法論や手順において疑問符が付くのみならず、より高い成長のための改革を標榜している点において、それ自体論理矛盾を抱えている。現に、首相自らが、どのような社会を目標にし、そしてどのようにしてそれを実現していくのかに関して、また政府(のサービス)と国民(の負担)との関係、すなわち「受益と負担」に関するビジョンについて、論理的・説得的にかつ真摯に、国民に対して説明責任を果たしている姿を、私たちはいまだに目撃していないのではないだろうか。昨年の参院国政選挙で連立与党が敗れた事実にもさして意に介する風もなく、その後も、ワンフレーズ、おちゃらかし発言、レトリック依存型の国会答弁や姿勢が目立つだけである。

「聖域なき構造改革」は、政権誕生後丸4年が経過しようとしているというのに、一体どこまで実現されたのだろうか。道路と年金の「抜本改革」が、極めて不十分な形で終えていることは今さら言うまでもないが、より深刻なのは、最も大切な聖域=“官自体のリストラ”が全く不十分で、ほぼ手つかずの状態のままである点だ。歳出の思い切った削減と、経済効率をより高めるプロジェクトへの小出しではない重点的予算配分、少なくともその方向づけの実現はかねて喫緊の課題だと思われるが、例年、印象の乏しい予算の編成と成立とが繰り返されてきたと感じるのは、筆者だけだろうか。また、それこそ「本丸」であるべき国と地方の基礎的財政収支(プライマリー・バランス)の改善・黒字化達成へ向けた取組みについては、消費税の引上げなどの本格的な増税を実施せずとも、これまでより1年前倒しとなる12年度にその黒字化が達成できるという試算が示された(1月21日「改革と展望-04年度改定」閣議決定)ことに見られるように、その内容は、楽観的で耳ざわりがいい試算と文言で綴られている。

余談だが、竹中大臣はこれまで、「我々が出した案に民間が批判するのはいいが、代案(対案)を出してからにしてほしい」と何度もテレビ等で発言している。「情報の非対称性」というネックを抱えながらも、民間側が政府案の不明や矛盾点を真摯に指摘していることに対して、政策の責にあたる大臣がこれでは、説明責任の放棄と受け取られてもやむを得まい。また、小泉首相も自らの在任期間中は消費税を上げない、と言ってはばからず、さりとて議論は大いに結構、と言い、結局なぜ消費税を上げないのか、一体上げなくて財政の維持可能性を実現できるのか等々、一般国民が最も聞きたい点、いやむしろ自ら能動的に説明すべき点を丁寧に説明することが、政治の中枢を担う内閣総理大臣としての基本的責務であるはずだ。カナダやイタリアなど短期間で財政再建軌道に乗せた国々では、トップのリーダーシップが成功要因の一つだったのである。自分自身で「本丸」という郵政民営化についても、なぜ政府案の民営化が「改革」なのか、「民業圧迫」の問題はどうするのか、「公的」事業として残すべきものの有無・当否についてはどうなのか等々、真正面からの実のある論戦が、透明性の中で遂行されなければならないだろう。もともと国民は、政策の優先順位としては全く重きを置いていないテーマなのだから・・・・・。

このほか、経済活性化につながる新規産業・サービス創造促進、景気回復期に自然増収が多く期待できるメカニズムを内包した税制改革、社会的弱者・貧困へのセーフティー・ネットの整備、都市と地方・官と民との連携・協業の仕組づくり促進等々、「官」として取組むべき重要課題は山積しているのである。最後に、現政権の不作為の罪として、対アジア、とくに東アジア外交における友好関係づくりに熱意を欠いている点も加えられなければなるまい。とりわけ、将来の超大国であり、現在すでに日本経済に深く関わってもいる中国との「政冷」状態は、経済にも決してよい状況とは言えないだろう。

3.どんな花を咲かせるか

長期的に、ほとんどゼロ成長に近い経済を覚悟しなければならない中で、私たちが21世紀に、次世代に対してしっかりと咲かせる花は、桜の開花も近いようだが、こんな花だろうか-。
 
  (1)多様な花、引き立て合う花
多様性のある個(個人・企業・公共体)が持ち味・強み・立場を認め合い、分かち合い、活用し合う花。広く大陸からも種苗を受入れて咲かせる花。
  (2)毎年咲く花、実のある花
安定の中の安心、幸福感に充足される花。将来不安のない財政の健全化、公平性の高い税制、規制の少ない国土と人口に根ざした豊かな土壌・夢のある生活基盤に咲く花。
  (3)ムラなく咲く花、思いやる花
官と公、都市と地方、弱者と強者、男性と女性、親と子がお互いに多様に重層的に協力・協業・連携し、全体(公共)の質を高める花。
「デフレの淵」に咲く暗い花や、「バブルの森」に咲くあだ花だけは、ご免をこうむりたいものだ。
 

 

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