1994年05月01日

外圧

細見 卓

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「No」と言うことによって、対等の関係の新時代に入るのだといって決裂した日米経済交渉については、その後、直接のテーマではなかった携帯用電話機の分野で、カンター通商代表部代表の理不尽とも言える個別企業擁護の要求に対して、日本は大幅に譲歩を示すことになった。これは、管理貿易的手法を峻拒すると言ってきた日本の交渉態度を大幅に修正するものであって、日米新時代を唱えていた政府としては大きな失点と言わざるを得ない。

日米交渉に関しては、伝統的に米国側の強い要求に対して、日本が当初全面拒否をしながら、漸次米国の強い態度に押されて、最終的に大幅な譲歩によって解決するのが戦後の慣習になってしまっている。

元々日本は、歴史的に見ても外圧や外からの脅威なしには国の変革が行われなかった。古くは奈良、平安の時代においても遣唐使を派遣することによって、盛唐の文化の威力を受け入れてきたし、また、室町幕府は明の強い政治的、経済的圧力を必死に押し戻しながら、国の改革を図ろうとしていた。しかしながら、アジアを巡る情勢が小康状態になると外圧による変革に疲れて、むしろ外と遮断して独自の平和の夢を貪るのが日本の歴史のパターンであった。唐との交流による外圧から逃れた後の平安後期は、男女の情緒に耽る世となり、また、鎖国となって大陸から遮断された徳川時代は、元禄の淫靡な爛熟した世に埋没してしまった。明治維新の時になって、再び外からの政治的、軍事的圧力にさらされ国を挙げてその対応に狂奔した結果、幸いに上手く適応でき、明治文化の開花をみたわけである。

かくの如く、大化の改新以来、明治時代に至るまで、外国文化や政治の影響下にあって初めて日本の文化的・社会的改革を推進することができたのであって、外からの圧力を遮断した日本が、如何に一国平和主義の夢に無為に埋没していったかは歴史の教える所である。

今また、占領時代の米国の強圧がなくなり、経済的な繁栄に自己満足を始めた日本は、もはや外から学ぶものはない、恐れる競争相手はいない、式の硬直した態度に陥って、積もっていく矛盾に自分で改革する意欲も力も失いかけている。

現下の国際情勢は、そうした日本の状態に歩調を合わせるものではなく、米国や欧州は日本の自己本位で、国際的責任感の薄れた世界認識に厳しい批判をしている。確かに数値目標を定めて、貿易黒字削減を要求するようなことは、暴挙という他ないにしても、その様な暴挙を敢えて行おうとするほどに、米国、欧州をして自制心を失わしめるに到った点についての認識が、日本ではあまり十分でないのは寒心に耐えない。

どこの国にも幾つかの貿易障壁が存在するのは疑いないけれども、日本は特別それが多い市場であるというパーセプションを欧米が持っているのも事実である。もし十分に日本の市場が開放的だとしたら、それを実証すべきだし、そうでないとしたら、国際貿易に多くを依存せざるを得ない日本としては、そうした障壁を解消するのに全力を尽くすべきである。

その様な自己努力や自己変革を積み重ねてこそ、不当な要求に対し断固とした反論が可能であり、また世界も是認してくれるはずである。日本の政局が混迷しており、こうした大きな決断を下す政治的指導力がない現状も日本人としては分らないでもないが、主権国家たる日本が、こうした国際的責任を果たさないで済ませるものではない。その結果、相も変わらず、まず拒否を唱えてやがて強い圧力の前に屈伏する姿が今回も繰返された。こういうことを重ねていけば、国民の間に相手の要求の当否も考えず、ただ憤激するといった、悪い意味のナショナリズムだけが高揚する心配がある。

太平洋戦争への突入が、やはりこの様な国際的に認知される道筋を欠いた、日本の政策決定によるものであったことを、今一度国民は思い出さなければならない。

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