1993年02月01日

普通の国

細見 卓

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戦後の日本は政治的にも経済的にも大変幸運に恵まれ、いわばツキのある国であった。しかしながら最近はそのツキも落ちはじめ、ツキの面でも普通の国になってきているようだ。

振り返ってみると、戦後の産業の復興期には日本は臨海工業地帯という立地上の優位性を100%活用し、かつ諸外国から先端技術を大いに採り入れることができた。世界中から原材料とエネルギーを豊富に輸入し、導入した先端技術を使って大量に生産した製品を世界中に輸出する上で大変優位な位置にあった。しかしながら、二度に亘るオイルショックや公害被害の頻発等からエネルギーや原材料を意のままに無限に消費することはもはや不可能となった。更には1970年代からの度重なる円切上げによって外貨ベースでの日本の賃金は大幅に上昇し、勤勉な労働力を相対的に安価に利用できるというもう一つの優位性をも失うこととなった。日本経済の以上二つの優位性の喪失に加えて、これまで日本が誇った資本コストの目立った低廉さも今回のバブルの崩壊によって消滅し、資本コストは上昇して国際的にも相応の水準となった。また、バブル形成の過程で暴騰した株価と地価は依然としてそれに注ぎ込まれた資本の収益力に見合わない価格水準のまま低迷している。

今回の不況の状況については様々な説明がなされているが、日本経済が戦後以来保持してきたこうしたツキともいうべき優位性が全く剥離してしまい、今や諸外国と対等の条件で競争しなければならなくなったことに伴う日本経済へのインパクトという観点では余り議論がなされていない。これまで日本経済の優位性とか、あるいは特殊性として強調されてきたことは、実は経済の発展段階の差に起因するものであったり、労働に対する価値観等個人の自意識の発達の違いにもとづくものが大きかったこと等が次第に明らかになり、いわば特殊なツキの国から普通の国へと変わって行くということであろう。株価は日本企業の優位性にもとづく特別な収益力を反映したものであるとか、地価は日本経済の成長力に反映したものであるといった論理はバブルの崩壊によって権威が剥げ落ち、経済本来の冷酷ともいうべき市場原理の貫徹によってバブルで肥満化した多くの企業は、その寒さに喘いでいるというのが日本経済の現状のようである。つまり日本経済にも他国と違わない経済論理が働き出し、日本企業も世界と共通のゲームのルールで対等にプレイしなければならなくなったということであろう。

経済についてこのように日本だけに特殊な論理やルールは認められないことが漸く明らかになってきたのと同様に、政治や外交の面においても日本だけは特別な国柄であるとする議論ももはや適用しない。最近のPKOをめぐる国際世論やプルトニウム輸送における諸外国からの反応といったものをみても、日本は政治外交の面でも普通の国として一般に受入れられるルールによって行動しなければ世界中からの批判を招くことは明らかであろう。とりわけ、日本はコンセンサス社会であるということを理由にして国際的な諸問題について普通の国として「並」の行動が取れなかったり、あるいは取ろうとしても手間がかかり、かつ不透明な対応しかできないといった結果に陥ることは世界における日本の評価を低くするばかりであろう。

7月には東京で先進国首脳会議(サミット)が開催されるが、サミットも当初の経済問題主体から離れて、政治・経済両面に亘る幅広い議題が中心となってきている。日本が普通の国として共通のゲームのルールに則って敏速に決断し、行動できることを世界に示す最大の見せ場が間近に迫っている。普通の国として世界の人々に違和感なく受入れられるような行動をとることが今年ほど求められる時はあるまい。また、それなくしては日本の国際的な地位の向上は望むべきもなかろう。

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