コラム
2021年06月30日

女性も軍隊に、なぜ韓国では「女性徴兵論」が浮上したのだろうか?

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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最近韓国では「女性徴兵論」に対する議論が白熱している。今年の4月19日に青瓦台(大統領府)のホームページには「男性だけでなく、女性も兵役に就くべき」と訴える国民請願が掲示され、29万人以上が賛同した。請願の内容は次の通りである。
 
「出生率の低下と共に韓国軍は兵力の補充に大きな支障が生じています。その結果、男性の徴兵率は9割近くまで上昇しました1。過去に比べて徴兵率が高くなったことにより、兵役には不適切な人員さえも無理やりに徴兵の対象になってしまい、軍の全体的な質の悪化が懸念されるところです。これに対する対策として、女性も徴兵の対象に含め、より効率的に軍を構成すべきだと思います。すでに将校や下士官候補として女性を募集していることを考慮すると、女性の身体が軍の服務に適していないという理由で女性を兵役の対象にしないことは言い訳にしか聞こえません。さらに、現在は過去の軍隊とは異なり、近代的で先進的な兵営文化が定着されていると存じております。女性側もこの点はすでに把握しており、多くのコミュニティを見た結果、過半数の女性が女性の徴兵について肯定的な考えを持っていることを確認しました。男女平等を追求し、女性の能力が男性に比べて決して劣ってはいないことを皆が認識している現代社会において、男性だけに兵役に服する義務を課すことは非常に後進的で女性を卑下する発想だと思います。女性は保護すべき存在ではなく、国を守ることができる頼もしい戦友になり得ます。したがって、政府には、女性のための徴兵制導入を検討していただくことを願います。」
 
青瓦台のホームページに投稿された請願の賛同者数が20万人を超えると、青瓦台は公式的な立場を表明する必要がある。そこで、青瓦台は6月18日、「女性徴兵制導入の検討要求」に関連する請願について、「女性徴兵制は兵力の補充に限った問題ではなく、様々な争点を含んでおり、国民の共感と社会的合意など十分な議論を経て慎重に決定すべき事案です。また、女性徴兵制が実際に導入されるためには軍の服務環境、男女平等な軍組織文化への改善などに関する総合的な研究と事前準備が十分に行われなければなりません」と立場を示した。
 
韓国には現在約60万人の軍人がおり、軍人の大部分は徴兵制に依存している。1953年に朝鮮戦争が休戦してから北朝鮮と対峙している韓国では、男性の兵役義務が憲法で定められ、すべての成人男性は、一定期間軍隊に所属し国防の義務を遂行しなければならない。つまり、韓国の男性は、満18歳で徴兵検査の対象者となり、19歳になる年に兵役判定(軍隊に行くか行かないか、どこで兵役の義務を遂行するか等の判定)検査を受ける。
 
検査は、心理検査と身体検査が行われ、検査結果に資格、職業、専攻、経歴、免許等の項目を反映してから最終等級(1級~7級)を決める。判定の結果が1~3級の場合は「現役(現役兵)」として、4級の場合は「補充役(社会服務要員、公衆保健医師、産業機能要員等」として服務する。一方、5級は「戦時勤労役(有事時に出動し、軍事支援業務を担当)」、6級は「兵役免除」、7級は「再検査対象」となる。
 
兵役の期間は1953年の36カ月から段階的に減り、現在は18~21カ月まで短縮された。月給(兵長2基準)も1970年の900ウォンから2021年には608,500ウォン(約59,587円、兵役は義務なので最低賃金を下回る。参考までに2021年の最低賃金は1時間8,720ウォンで、月209時間基準で1,822,480ウォン(約17万8,466円)に大きく引き上げられた3。兵役の期間も短くなり、給料水準も改善される等服務環境は大きく改善されたものの、若者は兵役を嫌がる。
 
若者が兵役を嫌がる理由は、厳しい訓練、体罰、命令・服従等の縦社会への抵抗感、時間や行動の制限、学業が中断され就職が遅れるという不安感、集団生活や軍隊施設への不慣れ、軍隊にいる間に恋人が変心する可能性が高いなど様々だ。親達にとっても、子どもの兵役期間中に戦争が起きるのではないか、事故により怪我をするのではないか、という心配で除隊するまで不安で気が休まらない。
 
特に兵役中の若者の最大の懸念は兵役の義務を終えた後の進路、つまり「就職」のことである。昔は、6級以下の公務員採用試験で、2年以上兵役の義務を果たした者には得点の5%、2年未満の兵役の義務を果たした者には3%を加算する「軍加算点制度」が実施(1961年から)されていた。しかしながら、この制度は兵役の義務がない女性に対する差別につながるとして論議を呼び、1999年に憲法裁判所で違憲と決定されてから廃止された。
 
その後、女性の学歴向上と男女平等を目指す機運の高まり、そして「積極的雇用改善措置」等女性の労働市場参加を支援する制度の実施等により、女性の労働市場参加は増え続ける一方で、兵役の義務を終えた20代男性を含めた若い男性の就職は益々厳しくなっている。

そこで、若い男性を中心に兵役を果たした人に、ある程度のインセンティブを提供する「軍加算点制度」の復活を主張する意見が継続して提起されている。そして、1999年に「軍加算点制度」が廃止されてから、兵役義務者に対する補償問題がジェンダーの論争に発展し、女性も兵役の義務を負うべきだという「女性徴兵論」に賛同する男性が増えている。
             
このような状況の中で、来年3月の大統領選挙への出馬を表明した与党「共に民主党」の朴用鎮(パク・ヨンジン)議員は4月に出版した著書『朴用鎮の政治革命』で現行の徴兵制を募兵制に切り替えることや、男女問わず40~100日間の軍事訓練を義務付ける「男女平等服務制」等を提案して注目されている。これらの提案が実際に実現される可能性は低いが、与党離れした20代男性の歓心を買うには十分なネタである。
 
このように最近は与野党を問わず、20代や30代の若い男性を対象とする政策への発言が増えている。先日紹介した野党「国民の力」の新しい代表に選ばれた36歳の李俊錫(イ・ジュンソク)氏も、女性の労働市場参加を支援するクオータ制に異論を唱え、度を越えたクオータ制の実施に反対する若い男性の状況を改善させたいという意志を明確にしている4
 
文政権の誕生に大きく寄与したのは20代と30代であった。当時の出口調査によると、文在寅候補に投票した20代と30代の割合は47.6%と56.9%で、2位の安哲秀(アン・チョルス)候補の17.9%と18.0%を大きく上回った。しかしながら、今年4月のソウル市長選では20代男性の7割以上が野党候補に投票した結果、大敗した。
 
来年3月の大統領選挙を迎えている与党「共に民主党」にとって20代男性を中心とした若者の与党離れは深刻な問題であり、選挙で勝ち政権を維持するためには彼らの心を取り戻す必要がある。状況は「国民の力」を含めた野党も同じであり、女性に比べて政策から疎外されたと思う人が多い若者男性向けの雇用対策等積極的な対策の実施が要求されている。
 
国防部(日本の防衛省に当たる)は、冒頭で述べた女性徴兵論に対して、事実上「時期尚早だ」との立場を表明しており、すぐさま女性徴兵制が韓国で実現されることはないと考えられる。
 
しかしながら、大統領選挙が近づくと、「女性徴兵論」以外にも、兵役の義務を終えた20代男性に対する補償を含めた多様な対策の拡大・実施が議論される可能性が高い。今後、韓国政府がジェンダー間の葛藤を解決するためにどのような対策を実施するのか、今後の対策に注目したい5
 
1 兵役資源が多いときは、徴兵検査の判定基準が寛大になり、現役の割合が低かったが、出生率の低下により兵役資源が減少してからは補充役判定を受けることが難しくなった。
2 伍長の下、上等兵の上に位置する軍隊の階級
3 2021年6月28日為替レート適用(100円=1,021.19ウォン)
4 詳細は、金 明中(2021)「韓国最大野党「国民の力」に36歳の若大将が選ばれた背景は?」研究員の眼、2020年6月22日を参考すること。https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=68075?site=nli
5 本稿は、「韓国で今「女性徴兵論」が流行る理由」ニューズウィーク日本版 2021 年 6 月28日に掲載されたものを加筆・修正したものである。https://www.newsweekjapan.jp/kim_m/2021/06/post-39.php
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生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
    ・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

(2021年06月30日「研究員の眼」)

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