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政治的不安定が続く韓国の社会政策に対する考察-社会保障や労働市場関連政策を中心に-

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中
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政治思想により変わる政策、制度の長期的・効率的実施が難しい
その結果、彼は、1979年に暗殺されるまで約16年にわたり大統領在任を維持し続けた。その後、全斗煥政権時代に「重任禁止規定」が初めて導入され、1988年に国民による直接選挙で大統領になった盧泰愚政権からは、いずれも1期5年の任期や再選禁止が適用されている。大統領の再選禁止に対しては今でも賛否両論があり、政策をより長い間、効率的に実施するためには、「重任禁止規定」に関する改憲を行い、再選を認めるべきだという意見も絶えずに提案されてきている。
このように再選が認められておらず、政策の実施時期が短いことに加えて、各政党の政策思想は「保守」と「進歩」にはっきり分かれており、政治的対立が続いている。さらなる問題は、政権が変わる度に、実施しようとする中心政策が大きく変わっていることである。つまり、軍事政権や保守系政権は企業を中心とする経済政策に重みを置くことに比べて、進歩系政権は労働者や社会保障政策を重視する傾向が強い。
しかしながら、最近は、企業を中心とするビジネスフレンドリー政策を実施しても、経済成長率が期待したほど上がらず、一方、労働者を中心とする社会保障政策を強化しても、格差問題が大きく改善されていない。その理由としては、韓国経済が内需よりも輸出に強く依存しており、外部要因の影響を受けやすいこと、クラウドワーカーなど既存の制度では解決できない新しい貧困や格差が生まれていること、政権が頻繁に変わっており、制度の継続性が乏しくなったことなどが考えられる。
政治思想により、重視する政策が異なることは韓国だけのことではない。権丈は、「世の中には、経済活動における「供給」に着目する経済学と「需要」に焦点を充てる経済学がある。・・・・・・この二つの経済学では、政治思想も異なれば、想定されている個人モデルも異なっている。結果、右側の経済学では福祉国家や社会保障制度はネガティブに評価され、左側の経済学ではポジティブに評価されることになる」と説明している(権丈善一『ちょっと気になる政策思想』勁草書房、2018年)。
本稿では、軍事独裁政権である朴正熙政権から最近の文在寅政権に至るまで、政策思想が異なる各政権が、どのような社会保障政策や労働市場政策を実施してきたのかを見てみた。
軍事独裁政権、朴正熙政権時代の社会政策
また、大企業が生産活動を拡大し、輸出を増やせるように、大企業に有利な税制・補助金制度を拡充した。その過程で、大企業と中小企業の格差は、ますます広がることになった。朴正熙政権は、時間をかけて中小企業を育成する政策より、大企業が日本から部品を安定的に大量輸入し、組立てた後に海外に輸出する産業政策を行った。規模の経済を活かし、韓国経済を一刻も早く立て直すための戦略であった。この戦略は成功し、1970年代の平均年間経済成長率は2回のオイルショックがあったにも関わらず、10%を超えた。
このように、経済政策を重視してきた朴正熙政権が、最初に施行した社会保障政策は生活保護であった。朴正煕政権は、「絶望と飢餓の線上で喘ぐ民生苦を早急に解決し、国家の自主経済建設に傾注する」という「革命公約」に基づいて、1961年12月に公的扶助制度の基本法として「生活保護法」を制定し、1962年から生活保護制度を施行した1。しかしながら対象者を制限する等、制度の内容は、当時の日本の生活保護制度というよりは、かつて1929年に日本で制定された救護法に基づく制度に近いものであった。
一方、1962年には「公務員年金法」が、そして1963年には「軍人年金法」(1月)、「産業災害補償保険法」(11月)、「医療保険法」(12月)が次々と制定された。1963年は一人当たり国民所得が100ドルも超えなかった時代であったものの、なぜ軍事政権は社会保険、およびそれと関連した多くの法律を制定したのだろうか?その理由は、軍事クーデターにより樹立された政権であるがゆえに、軍人と公務員を支持勢力に引き入れるためである。その後、公的医療保険制度は1977年から500人以上の事業所を、そして1979年からは300人以上の事業所を強制加入の対象にするなど、適用対象を拡大した、しかしながら、実際には、韓国では労働者の多くが300人未満の中小企業で働いているため、医療保険の恩恵を受ける人は限定されていた。
1 朴正熙元大統領は、1961年の軍事クーデターで国家再建最高会議議長に就任し、1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。
クーデターで政権を奪取した、全斗煥・盧泰愚軍事政権時代の社会政策
また、1988年には、日本での東京オリンピックに次いで、アジアでは2番目にソウルオリンピックが開催された。韓国社会は、経済成長と共に社会保障制度も少しずつ骨格を整え始めた。公的医療保険制度は、1981年には100人以上の事業所まで適用対象が拡大された。そして1988年には5人以上の事業所まで適用対象を拡げ、さらに1989年には自営業者や地域の住民を含めたすべての国民を適用対象にすることにより、制度を導入してから満12年目で国民皆保険が実現された。
1986年には公的年金の「国民年金法」が制定され、1988年から施行されることにより老後所得保障制度に対するセーフティーネットが補完された。また、1993年には「雇用保険法」が制定(1995年7月施行)されたことにより、公的年金、公的医療保険、労災保険、雇用保険という4大社会保険が実現されることになった。
社会保障制度が少しずつ整備され、予算に占める割合が増加すると、社会保障制度に対する利益団体や与野党の対立も激しくなった。その代表的な例が、医療保険組合の統合を骨子とした「医療保険法改正案」をめぐってのもめ事である。1989年3月に国会の本会議で成立された「医療保険法改正案」は、医療保険組合連合会などの利益団体によるロビー活動を受け入れた当時の盧泰愚元大統領が拒否権を行使した結果、最終的に法案の改正は失敗に終わった。また、保守勢力は、その後も社会保険を含めた社会保障制度の導入や制度改善がある度に、企業の負担増加を理由に適用対象の縮小を要求する活動を行った。その結果、多くの社会保障制度が計画より縮小されていった。
文民政権、金泳三政権時代の社会政策
国民投票により当選した金泳三元大統領(大統領在任期間: 1993年2月25日 - 1998年2月24日)は、政府の市場への介入を縮小し、市場機能を強化するという考えに基づいて社会政策を推進した。社会保障に関しては、政府の財政支出を低所得者に限定し、負担面においては応能主義の原則が徹底された。
一方、文民政権は、既存の「社会保障に関する法律」を廃止し、新しく「社会保障基本法」を制定した。これは、1995年に社会保障に関する国民の権利と国家及び地方自治団体の責任を定めると共に、社会保障政策の樹立・推進と関連制度に関する基本事項を規定することにより国民の福祉増進に資することを目的としたものであった。この法律では、社会保障の定義を、既存の社会保険や公的扶助に加えて、社会サービスやそれと関連した福祉制度まで拡大した。また、1995年には、1993年に制定された「雇用保険法」に基づいて雇用保険制度が従業員数30人以上の事業所を対象に施行されたことにより公的年金、公的医療保険、労災保険、雇用保険という社会保険の4大基盤が整備された。1998年には雇用保険の対象範囲が1人以上の事業所まで拡大され、国民年金制度が農漁村地域まで拡大・適用されることになった。
2 6月民主抗争は、全斗煥軍事独裁政権時代の1987年6月10日から29日まで、学生や労働者が全国各地で起きた反独裁民主化運動である。6月民主抗争の結果、大統領の直接選挙制度を盛り込んだ憲法改正が実現された。
3 文民は一般国民という意味。
進歩系の金大中政権時代は「生産的福祉」
金大中政権は、国民の選挙により初めて政権交代を成し遂げた、初めての進歩系政権である。「生産的福祉」は、アメリカの勤労連携福祉(Workfare)、スウェーデンの積極的労働市場政策(Active Labor Market Policy)、イギリスの労働のための福祉(Welfare to work)などと類似な概念で、当時の韓国政府は、「生産的福祉」を「すべての国民が人間としての尊厳と自衿心が維持できるように、基礎的な生活を保障すると同時に、自立的かつ主体的に経済及び社会活動に参加できる機会を拡大し、分配の公平性を高めることによって、生活の質を向上させ、社会発展を追求する国政理念である」4と定義した。
生産的福祉は、国民の基本的な生活を国が保障すると共に、職業教育などの人的投資により社会の生産性を最大化することを目的にした。金大中政権は、経済危機により大量に発生した失業者を救済するために公共事業や失業手当、そして職業訓練などを拡大した。また、生活保護対象者の適用範囲を一時的に拡大し、1998年には、従業員数1人以上の事業所まで雇用保険が拡大された。また、1999年4月には国民皆年金を実施し、2000年7月には、保守派が反対していた医療保険組合の一元化や医薬分業が実現され、労災保険の対象が従業員数1人以上の事業所まで拡大された。
さらに、2000年10月には、既存の短期的な給付中心の生活保護制度を、勤労連携(Workfare)を中心とする「国民基礎生活保障制度」に変え、公的所得保障制度を拡充する政策が実施された。このような「生産的福祉」は、社会保障の適用対象を拡大し、社会保障の死角地帯を解消することに寄与したと評価されている。しかしながら、労働市場の流動化が進むことにより非正規労働者が増加し、労災保険や雇用保険の適用対象者の管理が複雑になったという負の側面も生まれた。また、自営業者の所得が十分に把握されず、国民年金の納付例外者は約450万人に達した。これは地域加入者の約4割を超える数値である。所得格差は拡大し、経済成長率が低下したことにより雇用創出も難しくなり、「生産的福祉」は本来の目標を達成することはできなかった。
4 株本千鶴(2005)「特集II:韓国における社会福祉の動向 政策・構想・研究」『福祉社会学研究2』東信堂を一部引用。
(2020年08月06日「基礎研レポート」)
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生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任
金 明中 (きむ みょんじゅん)
研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計
03-3512-1825
- プロフィール
【職歴】
独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職
・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
・2021年~ 専修大学非常勤講師
・2021年~ 日本大学非常勤講師
・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
・2024年~ 関東学院大学非常勤講師
・2019年 労働政策研究会議準備委員会準備委員
東アジア経済経営学会理事
・2021年 第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員
【加入団体等】
・日本経済学会
・日本労務学会
・社会政策学会
・日本労使関係研究協会
・東アジア経済経営学会
・現代韓国朝鮮学会
・韓国人事管理学会
・博士(慶應義塾大学、商学)
金 明中のレポート
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