2021年10月28日

過労死等(脳・心疾患)に関する労災認定基準の見直し

保険研究部 主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任 村松 容子

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1――労働災害の現状 ~労災死亡は減っているが、過労死等は減っていない

図表1 労働災害による死亡者数、死傷者数の推移 1|労働災害発生件数は長期的には減少傾向
労働者の業務上や通勤中の負傷や疾病を業務災害や通勤災害と言い、労災保険 (労働者災害補償保険)が適用される1

労働災害の発生数の推移をみると、休業4日以上の死傷者数は長期的には減少しているが、この数年は増加傾向にある2。定年延長や再雇用などにともなう高齢労働者の増加が一因とされる。労働災害を減らすために国や事業者、労働者等が重点的に取り組む事項を定めた「第13次労働災害防止計画(2018~2022年度)3」では、死傷者数を2017年と比較して、2022年までに5%以上減少させることを目標としているが、現状では達成が困難な状況と考えられる。

一方、労災による死亡者数は長期的に減少傾向にあり、2020年は1974年以降で最少だった。同計画書では、死亡者数を2017年と比較して、2022年までに15%以上減少させることを目標としているが、2020年の死亡者数は、目標を超えて減少した。
 
1 村松容子「健保と労災、給付の関係はどうなっているの?」ニッセイ基礎研究所 基礎研レター(2018年12月4日)
2 厚生労働省「令和2年労働災害発生状況」
3 厚生労働省「第13次労働災害防止計画(2018年度~2022年度)」
図表2 脳・心臓疾患の労災補償状況 2|過労死等の申請は増加傾向にあるが、認定率は低下している
現在、図表1で示した労災発生件数の大部分を業務上の事故やケガが占める4が、業務上の疾病と認められた場合は、労災保険給付の対象となる。例えば、脳血管・心臓疾患や心理的負荷による精神障害、放射線被ばくによる病気の発症等である。
図表3 精神障害の労災補償状況 このうち、過労死等防止対策推進法では、(1)業務における過重な負荷による脳血管疾患・心臓疾患を原因とする死亡、(2)業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡、(3)死亡には至らないが、これらの脳血管疾患・心臓疾患、精神障害を「過労死等」と定義している。

厚生労働省が毎年公表している「過労死等の労災補償状況」から最近の発生動向をみると、脳血管疾患・心疾患による労災請求件数は、全体で見ても死亡事例で見ても、長期的に横ばいで推移している(図表2)。支給決定割合(支給を決定した件数/支給対象かどうかを決定した件数)は、全体で見ても死亡事例で見ても、おおむね横ばいで推移してきたが2015年度以降低下している。一方、精神障害による労災請求件数は、請求件数全体は増加を続けているが、そのうち自殺による請求はおおむね横ばいで推移している。支給決定割合は、全体でみると2012年度5以降減少傾向にあるが、自殺事例でみるとおおむね横ばいで推移している。
 
4 厚生労働省「令和2年労働災害発生状況」によると、死亡者は、「墜落、転落」「交通事故(道路)」「はさまれ、巻き込まれ」「激突され」「崩壊・倒壊」「飛来・落下」で、休業4日以上の死傷者は「転倒」「墜落・転落」「動作の反動、無理な動作」「はさまれ・巻き込まれ」「切れ・こすれ」「交通事故(道路)」で、それぞれ75%を超える。
5 2012年度に「精神障害」の認定率が上昇したのは、2011年末に認定基準が策定されたことによると考えられる。

2――過労死ラインの見直し

2――過労死ラインの見直し

1|脳血管疾患・心疾患の認定基準は20年変わっていなかった
業務上の傷病なのかどうか、傷病や障害の程度がどのくらいなのかは、労働基準監督署(労基署)が事業主や医師の証明をもとに判断する。脳血管疾患・心疾患は、発症の基礎となる血管病変等が主に加齢や生活環境、遺伝などの要因により徐々に増悪して発症するものとされるが、仕事が原因で発症する場合もあるとされる。また、精神疾患は、外部からの仕事によるストレスや私生活でのストレスとそのストレスへの個人の対応力の強さとの関係で発病に至ると考えられている。そのため、脳血管疾患・心疾患と精神疾患については、業務上の発症かどうか判断が難しいケースがあり、認定に当たっては、通達で定められた基準が参照される。

精神疾患については、「心理的負荷による精神障害の認定基準(2011年12月)」に基づき労災認定を行ってきたが、2020年6月に施行されたパワーハラスメント防止対策の法制化に伴い、2020年5月に認定基準の改正を行っている6

しかし、脳血管疾患・心疾患については、2001年12月の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」が、20年にわたって使われ続けていた。脳血管疾患・心疾患による過労死は、異常な出来事、短期間の過重業務、長期間の過重業務といった業務による明らかな過重負荷があった場合に認定される。2001年の基準では、長期間の過重業務とは、発症する直前の1か月間で100時間、2か月から6か月間で平均80時間以上の時間外労働が目安とされ、これを「過労死ライン」と呼ぶことがある。就労態様の諸要因も含めて総合的に評価されるべきとされていたが、実際は、残業時間が重視されがち7であり、この基準が厳しすぎるために、認定件数が増えないのではないかという指摘があった。
 
6 労災認定のための要件は、(1)認定基準の対象となる精神障害を発病していること、(2)認定基準の対象となる精神障害の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること、(3)業務以外の心理的負荷や個体側要因により発病したとは認められないこととされている。
7 2021年6月20日朝日新聞デジタル「どうなる「過労死ライン」 20年ぶりの基準見直し注目」など。
2|「過労死ライン」は据え置くも、労働時間以外の要因をこれまで以上に考慮に入れることに
2020年6月から厚生労働省による「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会」において、働き方の多様化や職場環境の変化と最新の医学的知見を踏まえて検証が行われた。2021年7月に同専門検討会から報告が行われ、その報告をもとに、9月15日から新基準が適用されている。

新基準では、過労死ラインそのものの変更はなく、従来どおりとされたが、対象疾病に「重篤な心不全」が加わったほか、残業時間の長さが過労死ライン満たない場合でもそれに近い残業があり、不規則な勤務が認められれば「仕事と病気の発症との関連性が強いと評価できる」として労災と認定すべきだとしている。不規則な勤務とは、仕事の終了から次の開始までの「勤務間インターバル」が11時間未満と短い場合や、身体的負荷や連続勤務などといった総労働時間以外の要因を認定の判断により反映させる方針だ。

過労で家族を亡くした遺族や弁護士による、過労死ラインを1か月65時間に見直すべき8だという要望は満たされなかったが、残業時間にばかり着目した判断を企業がとりにくくなり、遺族からの申し出が積極的になることが期待できる9
 
8 WHOとILOは、1日当たり8時間働いた場合、1か月におおむね65時間の残業をすると脳や心臓の病気を発症する危険が高くなると指摘している(厚生労働省「第20回過労死等防止対策推進協議会」等)
9 日本経済新聞 2021年6月23日「脳・心疾患の労災、基準緩和し認定しやすく 厚労省」

3――労働時間等をめぐる直近の議論

3――労働時間等をめぐる直近の議論

図表4 労働者の総労働時間の推移 1|労働時間は改善傾向
過労死の認定で重視されがちである労働時間はどのように推移しているのだろうか。労働者全体(一般労働者とパートタイム労働者)の総実労働時間は2019年に1,669時間と緩やかに減少している(図表4)。これは、一般労働者もパートタイム労働者もそれぞれ減少しているのに加え、パートタイム労働者の割合が増加傾向にあることによる。また、総務省「労働力調査」で雇用者(非農林業)の月末1週間の就業時間が60時間以上である割合は減少傾向にあり、2020年には全体の5.1%にまで減少した。週間就業時間 40 時間以上の雇用者だけでみると、9.0%となっている10(図表5)。
図表5 月末1週間の就業時間が60時間以上の労働者の割合 このように、労働時間は、減少傾向にあるものの、既述のとおり労災申請は高い水準で推移している。労災申請件数が減少せずに推移していることから、労働者全体の労働時間が減少をしていても、負荷の高い労働者の環境が改善していない可能性と、長時間労働以外の負荷がかかっている可能性が考えられる。

また、世界保健機関(WHO)が国際労働機関(ILO)と、長時間労働と健康被害の関係を分析した結果、長時間労働が原因の脳卒中と虚血性心疾患で死亡した人数が年間74万人に上ると試算している11。60~79歳で死亡した人は、45~74歳の時に週55時間以上働いており、週55時間以上の労働は、脳卒中のリスクを35%、虚血性心疾患のリスクを17%高めると発表した。このことから、「週55時間以上の労働は健康被害をもたらす」と警告している。
 
10 「過労死等の防止のための対策に関する大綱(2021年7月閣議決定)」の目標では、2025年に1週間の就業時間が60時間以上である割合を5.0%とすることとされている。
11 Pega F, Náfrádi B, Momen NC, Ujita Y, Streicher KN, Prüss-Üstün AM, Descatha A, Driscoll T, Fischer FM, Godderis L, Kiiver HM, Li J, Hanson LLM, Rugulies R, Sørensen K, Woodruff TJ (2021) Global, regional, and national burdens of ischemic heart disease and stroke attributable to exposure to long working hours for 194 countries, 2000–2016: a systematic analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury. Environ Int.
2|コロナ禍の影響
2020年以降のコロナ禍の渦中においては、休業や事業の縮小・廃止等を余儀なくされ、解雇や雇い止めに至るものがある一方で、国内で初めて新型コロナウイルスの感染が拡大した時期についてみると、月末1週間の労働時間が80時間以上の雇用者の割合が、「運輸業、郵便業」 では2020年3月、「医療、福祉」では 2020年3月から5月に、前年同月を上回っていたとの報告がある12等、医療機関や保健所のような感染対策に関連した業務、運輸等のような生活インフラ等社会基盤を支えるために必要不可欠な業務、教職員等においては、過重労働の発生による健康障害が懸念されている13。これら以外の業種においても、仕事内容が変わったり、勤務体制が不規則になる等の状況変化が、多くの労働者にとって、生活の乱れや新たなストレス要因となっている。在宅時間が長くなることで、同居家族の生活や体調に対しても、これまで以上に影響を及ぼすようになったと考えられる。

さらに、テレワークが推奨されている企業においては、雇用主側からみて、各従業員の労働時間の実態が把握しづらくなっている。
 
12 「運輸や医療・福祉などの業種で週就業時間80時間以上の割合が増加」Business Labor Trend 2020.12
13 2021年6月3日 毎日新聞「新型コロナ:東京・コロナ拠点病院 残業医師、ぼろぼろ 当直月10回/36時間連続勤務」、2021年6月18日 時事通信ニュース「公務員、コロナで疲弊=厚労省「朝4時帰宅」―過労死も、19日相談窓口」、2021年10月2日 毎日新聞「新型コロナ:新型コロナ 過労死ライン残業4割超 大阪市保健所専門グループ、第4波より悪化」、2021年10月21日 朝日新聞「「過労死ライン」、中学教頭の5割 勤務実態調査 /千葉県」等。

4――実情にあわせた見直し

4――実情にあわせた見直しと、労働者側も自らの生活の見直しが必要

今回の見直しにより、これまで労働時間が過労死ラインに満たないことから労災申請に至らなかったケースにおいても、不規則な勤務等が重視されるようになったことにより、業務実態に応じて遺族からの申し出が積極的になることが期待できると考えられている。しかし、今回、据え置かれた過労死ラインより短い労働でも健康被害のリスクの増加があることが報告されていることから、今後も随時、実情にあわせて見直しが必要となるだろう。

また、本来の目的は、支給決定割合を上げることでも、申請しやすくすることでもなく、そもそも過労死等自体を防ぐことにある。長時間労働と脳血管疾患・心疾患との関連は、過重な労働による疲労の蓄積で、血管病変等を進行させることと、長時間拘束されることによって睡眠時間が確保できず、疲労を回復しきれないことの2つの側面で考えられている14。つまり、働き方の見直しは重要であるが、職場での労働時間だけを見直しても、リスクは低下しない可能性がある。労働者自身も、脳血管疾患・心疾患を悪化させないように、自らの生活習慣に注意を払うことが必要だ。また、負担が多い職場であったり、家事・育児・介護による負担が多い場合等は、特に休養時間や睡眠時間の確保に努めることが重要だろう。
 
14 岩崎健二(2008)「長時間労働と健康問題」日本労働研究雑誌 No.575
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保険研究部   主任研究員・ヘルスケアリサーチセンター兼任

村松 容子 (むらまつ ようこ)

研究・専門分野
健康・医療、生保市場調査

経歴
  • 【職歴】
     2003年 ニッセイ基礎研究所入社

(2021年10月28日「基礎研レポート」)

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