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2025年11月20日

持続可能なESGを求めて-目標と手段とを取り違えないこと

金融研究部 常務取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 サステナビリティ投資推進室長 德島 勝幸

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■要旨

本来のESGは、SDGsを推進するための手段である。人間も組織も手段を目的化してしまいがちであり、真の目標が何処にあるかを常に意識することが重要である。ESGの推進そのものを目的化したことから、世界的に反ESGの動きが生じてしまっているように考えられる。ESGへの取り組みを形式的なものにせず、本当に持続可能な取り組みになっているかどうか、しっかり取り組みの意味するところを考えておきたい。

■目次

ESGは手段であって目的ではない
反ESGの動きへの対応
ESGへの適切な取り組み
 

ESGは手段であって目的ではない

ESGは手段であって目的ではない

人間は手段を目的化してしまいがちであり、組織も同様である。近年の経営で多用されるKPIも、本来は経営目的を追求するための指標であるが、数値を向上させることが優先されて目的になっていることが少なくない。目標は具体的に数値で表わされている方が意識づけられ易く、KPIを利用すること自体は適切だが、真の経営目標を見失っていないか意識しないと、手段である数値目標の達成のみが優先されてしまいかねない。

国連の提唱したESGは、自ら設定したMDGs(Millenium DevelopmentGoal s;後にSDGs(Sus tainable Development Goals))を達成するための手段であって、直接の目的ではない。目標とされているのは、日本語で言えば「持続可能な成長」である。経済的な成長を実現することが目標であり、それを長期に支え持続可能にするための手段がESGである。したがって、ESGによって経済成長を阻害するべきではないし、経済的な安全保障を脅かすことがあってはならないと考えられる。

また、置かれている国や経済によって、ESGの取り組み内容が異なるのも自然である。熱帯地域の国と極地に近い極寒の国とでは、当然、取組みは異なる。寒冷地で生活するために、何らかの熱を発生することは否定されない。地域特性を無視した一律の基準は、必ずしも適切ではないだろう。

また、以前から主張しているように、ESGへの取り組みも、燃焼といった一局面のみを捉えるのではなく、全体を包摂して考える必要がある。例えば、水素を燃焼すると副産物は水だけであり、極めてクリーンであるが、その水素を生成する過程で環境に好ましくない副産物が生じていないかの確認が必要である。また、電力を産出するために太陽光パネルを用いるとしても、耐用年数を過ぎた廃パネルの適切な処理が担保されなければ、必ずしも望ましいものではない。

反ESGの動きへの対応

反ESGの動きへの対応

ESGを推進する取り組みには、そもそもから宗教的な思い込みの強い傾向がある。ESGに取り組まないと、人類が滅んでしまいかねないといった強迫観念すら感じられることがある。ESG自体への取り組みが不適切ではないのに、行き過ぎたESG活動への反発が、足元の反ESGの流れを呼んだものではなかろうか。必要なのは「持続可能なESG」というアプローチである。

ESGへの取り組みを“サステナブルかどうか”という観点から見直すことで、行き過ぎた感のある一部のESGを、より適正な取り組みに戻すことが可能になるだろう。大量の温室効果ガスを排出する飛行機の利用を忌避するフライト・シェイム(Flight Shame)という主張も、代替として化石燃料を燃焼する自動車や船舶を利用しては意味がない。だからと言って、ヨット等自然エネルギーを利用するといった極端に走るのは、環境保全と効率性とのバランスを失している。

筆者はよくプロ野球の試合を球場で観戦する。太陽光パネルで発電して電気を賄っている球場も見られるが、その一方で、巨大な照明塔でグラウンドを照らすだけでなく、選手が登場する際に炎を演出したり、ジェット風船を飛ばし、時に花火も打ち上げる。ESGを徹底するならば、矛盾する行為と言わざるを得ない。しかし、人々は容認している。墨田川など大きな花火大会にしても、火薬の燃焼で温室効果ガスを不必要に排出していると批判できるかもしれない。しかし、こういった季節のイベントがあることで、観光収入が得られ、人々のメンタルが保たれるなら、容認されるのである。

温室効果ガスのゼロエミッションに向けた取り組みも、あくまでもネットゼロを目指すべきで、まったく排出しなくなるように取り組むのとは意味合いが異なるだろう。そういう観点からは、トランジションを評価する考え方を、より強くして行くことが適切なのではないか。

ESGへの適切な取り組み

ESGへの適切な取り組み

そもそもESGの三つの要素は、まったく等価なものではないし、ESGスコアにおいても、算定方法が異なる。決して単純な数値に意味があるのではなく、同じ評価者のスコアにおいて比較や改善といった分析に馴染む存在である。国際的には、既に評価機関の行動規範も策定されており、より適切な評価と運用が求められることだろう。

NHKのドラマ『べらぼう』で取り上げられた寛政の改革を批判する狂歌で、「白河の清き魚のすみかねて もとの濁りの田沼恋しき」というものがあるが、ESGにしても同じではなかろうか。極端なESGは持続可能ではなく、ある程度の許容幅を持つことが必要なのであり、現実的な取り組みと解決に導くものであると考える。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年11月20日「基礎研レター」)

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金融研究部   常務取締役 研究理事 兼 年金総合リサーチセンター長 兼 サステナビリティ投資推進室長

德島 勝幸 (とくしま かつゆき)

研究・専門分野
債券・クレジット・ALM

経歴
  • 【職歴】
     ・1986年 日本生命保険相互会社入社
     ・1991年 ペンシルバニア大学ウォートンスクールMBA
     ・2004年 ニッセイアセットマネジメント株式会社に出向
     ・2008年 ニッセイ基礎研究所へ
     ・2025年4月より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員
     ・日本ファイナンス学会
     ・証券経済学会
     ・日本金融学会
     ・日本経営財務研究学会

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