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2025年09月30日

ドル離れとユーロ-地位向上を阻む内圧と外圧-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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3|ドル離れの実相
トランプ2.0がドルの支配的な地位を傷つけかねない政策や主張を展開していることは、国際通貨システムに関する活発な議論を引き起こしている。しかし、現時点では米ドルの中心的な役割を覆すには至らないというのが広く共通する結論である。

トランプ2.0の政策は、ドル支配を支える7つの特徴の一部に影を落とす。他方、前項で言及した金融規制や暗号資産、さらに「国家安全保障上の最重要課題」と位置付ける人工知能(AI)へのアプローチ14は、リスクを内包する一方、成長志向で親ビジネス、イノベーションを促進する効果も期待される。支配的通貨の条件に照らせば、①の経済規模、⑥の金融市場の流動性と厚み、⑦の地政学的、軍事的パワーとしての米国のリードも、代替資産などの「受け皿」が不足している構図も、直ちに変化することはないと見られる。

以下に見る通り、「ドル離れ」の加速を示すデータもなく、現時点では、ドルへの集中の是正、分散投資が模索され始めているという程度であろう。
 
14  トランプ政権が7月23日に公表した「AI行動計画(America’s AI Action Plan)」では煩雑な手続き、過度な規制の撤廃などによる「AIイノベーションの加速」、データセンター、半導体製造施設、エネルギーインフラ建設の許認可プロセスの効率化など「AIインフラの整備」、同盟国・パートナー国への米国の技術の普及と拡散、イノベーション促進的で、米国の価値観を反映し、権威主義の性協力に対抗するAIガバナンスのアプローチの提唱、輸出管理の強化など「国際的なAI外交と安全保障の主導」という3本の柱から構成される。
(1)限定的な「米国売り」とその背景
トランプ氏の大統領選での勝利(24年11月5日)、2期目の始動(25年1月20日)後に、市場が最も激しく反応したのは、4月2日の相互関税の公表を受けて債券安(利回りは上昇)(図表4)、株安(図表5)、ドル安(図表6)が同時進行した「トリプル安」の局面である。トランプ2.0始動後の基調はドル安とユーロ高(図表7)だが、引き金となった相互関税は、上乗せ税率の延期、米中協議や、英国、日本、EUなどとの関税合意などを通じて修正された上で発動された。その後も、FRBのパウエル議長解任を示唆する発言などが「トリプル安」を引き起こす場面はあったものの、市場の動揺は、短期、かつ、限定的に留まっている。市場にはネガティブな材料に対する「慣れ」も感じられるようになっている。
図表4 米国債利回りの推移/図表5 米国株の推移
図表6 ドル指数の推移/図表7 ユーロ指数の推移
「ドル離れ」が限定的な理由としては、関税率が上がっても、米国経済は底堅く、労働市場は「最大雇用に近い均衡状態(図表8)」15を保ち、インフレ加速も回避されてきたことも挙げられよう(図表9)。株価が最高値圏にあるのは(図表5)、トランプ2.0の親ビジネス的側面を好感すると共に、関税引き上げの価格転嫁はあっても影響は一時的で、持続的なインフレにはつながらないため、FRBが利下げを再開(図表10)し、景気が支えられるとの期待が働いている。
図表8 主要国・地域の失業率/図表9 主要国・地域のCPI
図表10 主要中銀の政策金利/図表11 米国の関税収入
 
15Monetary Policy and the Fed’s Framework Review” Speech, Chair Jerome H. Powell at “Labor Markets in Transition: Demographics, Productivity, and Macroeconomic Policy,” an economic symposium sponsored by the Federal Reserve Bank of Kansas City, Jackson Hole, Wyoming
(2)財政リスクの評価
米国債の安全資産としての価値は、財政悪化への懸念が高まれば揺らぐ。

米国では、トランプ2.0の看板政策の減税や防衛費増、国境警備予算の拡大などを包括的に盛り込んだ「1本の大きな美しい法(OBBBA)」が7月4日に成立している。責任ある連邦予算委員会(CRFB)によれば、同法により、減税で4.5兆ドル、歳出拡大で0.3兆ドル、利払い費で0.7兆ドルの赤字拡大が見込まれる一方、歳出の削減は1.4兆ドルにとどまるため、25年度から34年度の合計で4.1兆ドルの赤字増加が見込まれる。

他方、関税の引き上げによって税収は増加しており(図表11)、CRFBはOBBBAのコストの多くは関税収入によってカバーされるとの見方を示す(図表12)。

McKibbin and Shuetrim (2025)は、高関税は経済成長を抑制するため、所得税や法人税などの他の税収が減少し相殺されるし、相手国の報復措置を引き起こせば、純増分はさらに縮小するとの分析結果を示している16。しかし、これまでのところは、米国の経済成長に陰りは見られず、価格転嫁も抑制され、報復措置を発動した国は中国とカナダに留まり、両国ともにその後、報復関税の引き下げ等を行っていることから17、税収への負の効果は意識され辛くなっている。

トランプ関税のうち、相互関税など国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づく関税措置は最高裁で違憲と判断され撤回される可能性もある。CRFBは、関税が継続した場合にも、米国の政府債務残高のGDP比は2024年度実績の98%から120%へと増大する見通しだが、OBBBAで暫定措置となっている項目の延長に加えて、IEEPAに基づく関税措置が撤回された場合には134%まで膨張すると予測する(図表13)。

米国債市場では利下げ期待から2年債利回りが低下する一方、30年国債は高留まっており、タームスプレッドが拡大している(図表4)。市場は、長期的には財政拡張とインフレを警戒していることが伺われる。
図表12 2034年までに予想される関税収入とOBBBA並びに他の税収減の規模/図表13 米国政府債務残高GDP比の予測
 
16 15%ポイント関税を引き上げた場合、関税収入は3.9兆ドル増加するが、法人税は0.2兆ドル、所得税は0.5兆ドル減少するため、純増額は3.2兆ドルとなる。報復措置がある場合は、関税収入が2.9兆ドル増加、法人税が0.5兆ドル、所得税が0.9兆ドル減少し、純増額は1.5兆ドルとなる。
17 Tax Foundation “Trump Tariffs: Tracking the Economic Impact of the Trump Trade War” September 12, 2025のRetaliation欄参照。EUは報復関税を準備しつつ交渉に臨んだが、7月27日に関税合意に至ったことから、8月4日に6カ月の延期を決めている。
(3)代替資産の動向
金(図表14)と暗号資産(図表15)は、今年4月以降のドルの信認低下との関連で、その値動きが注目されている。
図表14 金価格/図表15 暗号資産価格
金は伝統的な「安全資産」であり、トランプ2.0との政策的な類似性が指摘されるニクソン政権から圧力を受けたバーンズFRB議長在任期間(70年~78年)には価格が5倍になった事例がある。トランプ2.0が始動した2025年に入って上昇が加速、9月には1トロイオンス3700ドル台に乗せて最高値圏を更新している。中央銀行の準備資産としての保有割合も上昇しており(図表16)、国際的な金業界団体であるWGCが今年2月25日から5月20日に世界の中央銀行を対象に行った調査によって、今後も金準備を増やし、ドルの保有比率を引き下げる意向が確認できる18。金へのマネーの流入は、ドル建て資産への信認低下材料ばかりでなく、フランスやイギリスなど他の先進国でも財政悪化懸念から超長期債利回りが上昇(国債価格が下落)していることも影響している可能性もある。

暗号資産は、時価総額では、裏付け資産のあるステーブルコインよりも、裏付け資産のない暗号資産、特にビットコインが大きい。ビットコインの価格は、トランプ2.0の政策の恩恵への期待も価格押し上げ要因となり、有力機関投資家の間でも、ビットコイン現物を組み入れる上場投資信託(ETF)を長期・分散投資の観点から実験的にポートフォリオに組み入れる動きも出始めたとの報道もある19。しかし、裏付け資産のない暗号資産の価格はボラティリティ(変動率)が高く、代替資産としては限界がある。足もとのビットコインの価格も、戦略備蓄への期待感の剥落から軟調に転じている。

ステーブルコインは、2021年比で10倍増と急拡大している。先述のGENIUS法案の成立もあり、特に決済手段としての利用が広がり、ドルの地位向上につながるのかが注目されよう。
図表16 中央銀行外貨準備に占める金の割合/図表17 暗号資産の時価総額
 
18 World Gold Council “Central Bank Gold Reserves Survey 2025”17 June, 2025によれば、回答者の95%が向こう12カ月で金準備を増やすとする一方、米ドルの保有比率は45%が「ある程度」、28%が「大幅に」低下と回答している。
19ビットコインETFに資金 ハーバード大など、今年2.7兆円 実験的な組み入れ拡大」日経電子版2025年9月2日

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2015~2024年度 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017~2024年度 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022~2024年度 Discuss Japan編集委員
    ・ 2022年5月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
    ・ 2024年10月~ 雑誌『外交』編集委員
    ・ 2025年5月~ 経団連総合政策研究所特任研究主幹

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