2025年03月31日

日本における在職老齢年金に関する考察-在職老齢年金制度の制度変化と今後のあり方-

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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2.在職老齢年金と高年齢者の就業抑制効果に関する先行研究
在職老齢年金制度による高齢者の就業抑制効果については、これまで多くの研究が行われてきた。

安倍(1998)は、55~69歳の個人を対象とした厚生労働省「高年齢者就業実態調査」(1983 年、1988 年、1992 年)の個票データを用いて、1989年の在職老齢年金制度の改正が、労働供給にどのような影響を与えたのかを分析するために、誘導型の労働供給モデルを推定した。

安倍(1998)は、分析の結果について「在職老齢年金制度に基づく厚生年金給付の減少は労働供給を減少させるが、この傾向は1983年から 1992年にかけてより小さなものとなってきた。1989年の在職老齢年金制度の改革が、労動供給を大きく増進したかどうかについては疑問がある。 他の要因をコントロールすると、 60-64議の厚生年金受給権者の労働供給は、1989年前から増加し始めていたようである。」12と説明した。

岩本(2000)は、在職老齢年金の就業阻害効果を確認するために、在職老齢年金による限界税率の上昇効果が発生しないように制度変更を行ったときの就業率の上昇効果を推計した。分析の結果、在職老齢年金による限界税率の格差を是正する政策は60~64歳の就業率を5%程度引き上げる効果があることや、89年の在職老齢年金の改正の就業への影響は統計的に有意ではないという結果が出ており、在職老齢年金の制度改正が89年代後半の高齢者就業率の上昇の直接的原因だとは言えないと結論付けた。

樋口・山本(2002)は、『高年齢者就業実態調査(個人調査)』(1992年、1996年、2000年)の個票データを用いて、ヘックマン(←少し説明したほうがいいと思います)の 2 段階法により推計を行った。分析結果、定額部分の支給開始年齢が2013年までに段階的に60歳から65歳まで引上げた1994年の改正は、60~64歳層の雇用確率を引き上げたが、改正後の在職に伴う厚生年金の減額は高齢者の就業意欲を大きく抑制していると説明した。つまり、1994年度の改正によってフルタイムの労働供給は3%程度押し上げられた反面、在職による厚生年金の減額がなければ、フルタイムの雇用確率はベースラインよりも約12%も高くなり、さらに多くの高齢者が活用されていた可能性があると説明した。

石井・黒澤(2009)は、2000年法改正による在職老齢年金制度と94年法改正による年金支給開始年齢引き上げの効果について, 『高年齢者就業実態調査(個人票)』を用いた分析を行った。分析では、在職老齢年金の60 歳代後半への導入は, 誘導形の推定では統計的に有意な影響は見られず, 構造的モデルの推定では, 普通勤務に伴う年金の減額が有意にフルタイム就業確率を低めることが示されたが, 今般の制度変更が緩いものであるために, 当該年齢層の労働供給行動にはほとんど影響を及ぼさないことを示唆する結果となった。

一方、構造的モデルに基づくシミュレーションでは、60~64歳層に対して在職老齢年金制度による年金減額を廃止した場合、当該年齢層のフルタイム就業率は約3.0ポイント高まるという結果が出ており、在職老齢年金制度が60歳代前半層の就業意欲を抑制している可能性があると分析した。

山田(2020)は、労働政策研究・研修機構が2014年に実施した「60代の雇用・生活調査」の個票を用いて、在職老齢年金と再雇用時等の賃金低下による就業抑制効果をProbit Model により推計した(就業している場合を1,就業していない場合を0にした被説明変数を使用)。

分析の結果、在職老齢年金制度(「厚生年金の受給資格(老齢厚生年金の受給資格がある場合(全額支給停止されている場合も含む)を1とおくダミー変数)を潜在的な在職老齢年金制度への適用の代理変数として使用)は、賃金変化率、早期退職優遇措置経験、55歳当時の企業規模などの職歴変数を加えた推計式で、男性の62―64歳の就業率を11%、女性の60―61歳の就業率を23%引き下げるという結果が出ており、統計的に有意であった。

しかし、山田は「「老齢厚生年金の受給資格」について「なし」あるいは「欠損」となっており,かつ厚生年金を実際に受給(老齢以外に障害・遺族厚生年金受給者を一部含む)していても,その人々を「老齢厚生年金の受給資格」を「あり」に補正しない場合,これまで述べてきた在職老齢年金制度の就業抑制効果は,男女・3年齢階級とも10%水準でみても統計的に有意でなく,確認できない」13と分析結果を説明した。

モデルの推計結果から、60 代の就業行動に影響を及ぼす要因として、大別して収入要因と企業側の要因の影響が大きいことが明らかになり、。この結果を 用いて、前提を変えて様々な試算を行った。収入要因では、例えば在職老齢年 金制度による年金停止がなかったと仮定すると、フルタイム就業を選択する確 率は 2.1pt、人数換算では 14 万人押し上げられる。企業側の要因では、例えば全ての企業に継続雇用制度等の制度5 があったと仮定すると、フルタイム就業を選択する確率は 26.3pt、人数換算では 176 万人強押し上げられる。

内閣府政策統括官(2019)は、「中高年者縦断調査」の第 1 回~第 11 回(2005~2015 年)の個票データをパネルデータ化し、60 代の就業行動を決める様々な要因の影響の大きさを計測した。このモデルの推計結果からも、60 代の就業行動に影響を及ぼす要因は大きく収入要因と企業側の要因の影響が大きいことが判明した。

またこの結果を用いて試算を行ったところ、収入要因では、例えば在職老齢年金制度による年金停止がなかったと仮定した場合、フルタイム就業を選択する確率を2.1ポイント(人数換算では 14 万人)押し上げる反面、企業側の要因では、例えば全ての企業に継続雇用制度等の制度があったと仮定した場合、フルタイム就業を選択する確率は 26.3ポイント(人数換算では 176 万人強)押し上げられる効果があることが明らかになった。

いずれの分析結果からも、60 代前半では、在職老齢年金制度によりフルタイム就業意欲が一定程度阻害され、代わりにパートタイム就業や非就業が選択されていることが分かる。

一方、受給年金が就業に負の影響を与える効果と、就業が受給年金に負の影響を与える効果が同時に発生する同時決定バイアスに注目した研究もある。清家(1989)は、就業決定を説明する変数として実際に受給している年金額を利用した場合、両者が独立しているとは言い難しいので、同時決定バイアスを考慮して、年金受給権を変数として利用した。

小川(1998)は就業と受給年金の同時決定バイアスを解消するために、「本来年金(ある個人の年金が全く減額されなかった場合に受け取れるであろう年金額)」という概念を用いて分析を行い、「1986年の年金制度改正14によって、公的年金の実質支給額は若干減少しているが、減少額が僅かであるため就業率に上昇にはほとんど寄与していない」と結論付けた。
在職老齢年金と高年齢者の就業抑制効果に関する先行研究
 
12 安部由起子(1998)p.78から引用。
13 山田篤弘(2020)p.94から引用.
14 小川(1998)は、厚生年金給付額に関する1986年改正の重要な点として(1)世代を問わず報酬比例部分を平均標準報酬月額の30%とするために給付乗率の段階的引き上げを決めたこと、(2)定額部分を基礎年金と一致させるための定額単価の段階的引き上げを決めたことを挙げた。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
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(2025年03月31日「基礎研レポート」)

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生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
高齢者雇用、不安定労働、働き方改革、貧困・格差、日韓社会政策比較、日韓経済比較、人的資源管理、基礎統計

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~ 日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2022年~ 慶應義塾大学非常勤講師
    ・2024年~ 関東学院大学非常勤講師

    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

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