2024年12月10日

気候変動とアクチュアリー職業倫理-専門職は気候変動の不確実性にどう対処すべきか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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4――ケーススタディの試作

ガイダンスには、ケーススタディが5つ付されている。これらは、専門職としての義務や職業倫理規範の業務での実践について、理解を促すためのものだ。イギリスのアクチュアリーの実務を前提としたものだが、気候変動問題への対処という点で、その他の国でも参考になる部分が多いものと思われる。そこで、それらの内容を参考に、筆者が日本での状況に置き換えて、ケーススタディを試作してみた。なお、各ケースの考察は、図表1のイギリスの職業倫理規範を踏まえて行うものとしている。
1|気候変動に懐疑的な見解を持っていたとしても、公平性の観点に留意してバイアスに注意すべき
まず、気候変動に懐疑的な見解を持っているアクチュアリーについてのケースから見ていこう。
ケーススタディ1
Aさんが、気候変動について懐疑的な見解を持つことについては何ら問題がない。憲法第19条が保障する思想および良心の自由に照らしても全く問題はない。

ただし、Aさんはアクチュアリーであり、公平性の観点からバイアスに注意することが必要となる。別のアクチュアリーが気候予測をもとにモデル化を行って得た数値を評価する際に、自らが確証バイアス6に陥っていないかどうか、振り返ってみるべきであったと考えられる。

なお、Aさんが気候変動に対する懐疑的な見解をもとに他の人の判断や意見に異議を唱えることは、組織内の議論を活性化して、全体の理解を深めることに役立つ可能性がある。
 
6 自分にとって都合のよい情報ばかりを無意識的に集めてしまい、反証する情報を無視したり集めようとしなかったりする傾向のこと。(「確証バイアス」(日本の人事部ホームページ) をもとに筆者がまとめた。)
2|気候変動の影響を過小評価するリスクを認識して、見解表明すべき
つぎに、シナリオの不確実性に対処するアクチュアリーについてのケース。
ケーススタディ2
Bさんは、誠実さの観点から、報告に関して、気候変動リスクのデータ反映が適切であることを保証する必要がある。

気候リスクのモデル化に使用された方法の適切性に確信を持てていないということであれば、気候変動の起こり得る影響を過小評価するリスクがあることをコンサルタントや年金制度の運営者(顧客)に見解表明すべきだったと考えられる。

また、もし確信が持てていない原因が、気候変動に関する知識やスキルの不足によるものであった場合は、能力・配慮の観点から、日ごろからその拡充に努めておくべきだろう。

なお、コミュニケーションの面からは、シナリオに不確実性が存在することについて、伝えることが必要となろう。
3プレッシャーによって公平性が損なわれないことを保証すべき
つづいて、保険料を低く抑えるようプレッシャーを受けているアクチュアリーについてのケース。
ケーススタディ3
Cさんは、提供された気候シナリオ分析について、不確実性の評価を行うことが必要となる。技術的にその不確実性を軽減できるかどうかの検討を行うことも考えられる。そして、その結果について見解を表明することが求められる。

また、Cさんには公平性の観点から、アクチュアリーの判断が他者の不当な影響によって損なわれないことを保証することが求められる。Cさんは、保険料を低く抑えることのプレッシャーを認識しているが、これらのプレッシャーによって公平性が損なわれないことを保証すべきである。
4法令遵守のリスクについて見解を表明する必要性もある
つぎに、投資基準に反する投資を行っていることに気づいた、金融・投資アクチュアリーのケース。
ケーススタディ4
Dさんは、誠実さの観点から、投資助言の報告に関して誠実に行動することが求められる。また、公平性の点から、Dさんは他者の不当な影響によって自らの判断が損なわれないようにすることが求められる。Dさんは上司を怒らせたくないと考えているが、そのために自らの助言が損なわれることがないようにする必要がある。

また、αβγ社は、海外で政府無認可のフラッキングに関与しているとされており、法令遵守の面から、同社の株式投資を行うことは一定のリスクを伴うものと見られる。Dさんは、上司と話し合い、そのリスクについて見解を表明することも必要と考えられる。
5必要なスキルを持っていない場合、業務遂行の免除を受ける必要も
最後に、気候変動と持続可能性に関する情報が不足しているアクチュアリーのケース。
ケーススタディ5
Eさんは、能力・配慮の観点から、自らと顧客について、気候変動に関する知識を強化する必要がある。現状では、Eさんは最小限の情報しか有しておらず、気候変動リスクについての検討を行うことは適切ではない可能性がある。その場合は、必要なスキルを持っていないこととなるため、顧客から業務遂行の免除を受ける必要がある。実際上は、コンサルティング業務から外れることとなろう。

また、法令遵守の面からは、顧客が気候に関する開示のために保険数理上のデータ入力を行う場合、Eさんは諸規制の変化が業務に及ぼす要件を常に最新化する必要がある。その最新化を維持することも求められる。ただし、情報が不足しているために、その最新化が滞る恐れがある。

5――おわりに (私見)

5――おわりに (私見)

本稿では、職業倫理に関する一般的な事項を踏まえたうえで、イギリスのアクチュアリー会が公表している気候変動問題に関するガイダンスをもとに、アクチュアリー専門職に求められる職業倫理規範について概観していった。また、日本の状況にあてはめて、いくつかケーススタディを試作することで、その具体的な検討も行った。

今回見ていったような気候変動に関する専門職の倫理規範は、アクチュアリーだけにとどまるものではない。今後、気候変動問題への社会の関心が高まるにつれて、各種専門職においても、同様の倫理規範の整備が進められることとなろう。

引き続き、気候変動問題とそれをめぐる専門職の職業倫理のあり方に関する議論について、その動向に注意していくこととしたい。

(参考資料)
 
“Climate Change 2021 - The Physical Science Basis”(IPCC WG1, full report, 2021)
 
「IPCC 第 6 次評価報告書 第 1 作業部会報告書 気候変動 2021:自然科学的根拠 政策決定者向け要約(SPM)」(気象庁, 暫定訳(2022年5月12日版))
 
「応用倫理学事典」加藤尚武編(丸善出版, 2008年)
 
「医療通訳 -「医療通訳育成カリキュラム基準」(平成29年9月版)準拠」特別非営利活動法人 多文化共生センターきょうと著作、重野亜久里・前田華奈・横山志都子・徳岡香奈子・緒方典子編集(一般財団法人 日本医療教育財団, 2018年)
 
“Ethical and professional guidance on climate change - A Guide for Members”(Institute and Faculty of Actuaries, the Regulatory Board, V1.0, 17 Jan. 2024)
 
集団思考より群知能を-全会一致はすばらしいことか?」篠原拓也(ニッセイ基礎研究所, 研究員の眼, 2015年8月10日)
 
“APS X1: Applying Standards to Actuarial Work”(Institute and Faculty of Actuaries, V1.1, effective from 19 March 2019)
 
「確証バイアス」(日本の人事部ホームページ)

(2024年12月10日「基礎研レター」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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