2024年11月07日

低下する独仏経済の牽引力-政治の分断がブレーキに-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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何が投資を阻んでいるのか?

ドイツに次いでフランスでも投資が伸び悩むようになった理由は複数ある。コロナ禍による供給網の混乱、原材料や人件費、エネルギーコストの上昇。さらに、2022年7月の利上げ開始と合わせて中銀預金金利の0.5%のマイナス金利解消、2023年9月までに4%まで引き上げ、その後、2024年6月の0.25%利下げ開始まで維持してきたことである。9月、10月連続利下げで中銀預金金利は3.25%まで低下したが、なお引き締め的な水準にある。ECBの「銀行貸出サーベイ」でも、2022~2023年にかけて、金利水準と固定資本投資を理由とする企業の資金需要の減少が確認できる(図表13)。

投資は、2020年以降、「欧州グリーンディール」の看板の下で展開してきたグリーン移行、デジタル移行、循環型経済への移行、産業の戦略的自律性の向上のために不可欠である。EUが、2019年からの5年間の立法サイクルで「欧州グリーンディール」関連の法整備を意欲的に進めたのは、予見可能性を高めて、投資を喚起する狙いがあった。半導体やクリーン技術などの戦略分野では、米中との産業政策競争も意識し、民間投資の呼び水とするための公的資金の投入も強化した。EU予算の各種プログラムの活用、EU運営条約(TFTU)第107条1項が原則禁止とする加盟国による補助金についても、同条第2項が規定する例外措置の適用や第3項の「欧州の共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」の適用などで強化してきた。公共投資は、ドイツが10月15日に欧州委員会に提出した「2025年暫定財政計画」にも、「2010年代平均のGDP比2.5%から、2024年度には同2.8%まで上昇、2025年度は3%に達する」との記載があり、増加傾向が確認できる。

これらの取り組みにも関わらず、独仏の両大国で固定資本形成は減少基調にあり、投資計画も弱気に傾いていることは気掛かりである。競争力の強化がEU共通の課題として位置づけられる背景である。

高金利を理由に先送りされた投資は利下げの進展によって、動きやすくなるだろう。ユーロ圏の中核である独仏でインフレがピークアウトし、景気減速が懸念されるようになったことで、ECBは追加利下げを進めやすくなった。

但し、ドイツにおける投資の不振は「産業立地としてのドイツ」の競争力の低下と表裏一体の現象であり、より根深いものと言えよう。前項で触れたBDI・GCG・IW報告書では、ドイツには、「クリーン技術や産業の自動化、健康などの領域での先進性、熟練した技術者の伝統、高い技術的専門知識を持つ企業群、強力な技術革新の基盤、優れた研究機関」などの「産業立地としての強み」がある。しかし、エネルギーコストが高騰し、賃金コスト、税負担、さらに投資の許認可手続きや行政手続き、規制適合など官僚主義的な負担の増大が「産業立地としての強み」を上回るようになったと警鐘を鳴らしている。
図表13 独仏企業の資金需要/図表14 独仏政府債務残高GDP比

フランスでも不確実性の高まりは投資手控えの要因

フランスでも不確実性の高まりは投資手控えの要因

仏中銀が10月23日に公表した「月次ビジネス調査(8500社を対象に9月26日~10月3日に実施した調査)」の10月の予測では、サービス業が緩やかな鈍化、製造業、建設業は変わらずという結果であった。調査のコメントに基づいて作成する「不確実性指数」は、突然の解散を受けて急遽実施された下院選挙(6~7月)を受けて上昇した(図表15)。コロナ禍やウクライナ侵攻、エネルギー危機時に比べれば、山は低いが、下院選以前よりも指数は高めのレベルに留まっている。仏中銀によれば、経済財政政策と地政学的な不安定性に関するコメントが増加しているとのことである。
図表15 仏中銀「月次ビジネス調査」のコメント欄に基づく不確実性指数
図表16 フランスの財政計画/図表17 独仏10年国債利回りとスプレッド

政治の分断が経済活動のブレーキとなる可能性

政治の分断が経済活動のブレーキとなる可能性

外部環境の不透明感は増している上に、フランス国内の政治・政策の不確実性も高まっている。下院選の結果、議席は左派連合、極右、大統領与党連合の3つに分散し、バルニエ内閣は少数与党として発足した。10月18日からは下院小委員会で「2025年度予算案」の審議が始まった。予算案には富裕層や大企業への増税と支出の削減による600億ユーロ相当の財政措置を盛り込み、財政赤字を2024年度の6.1%から5.0%に削減する。フランスは、財政赤字のGDP比が3%を超えており、EUの過剰な財政赤字是正手続き(EDP)の対象国となっている。欧州委員会に提出した暫定予算計画によれば、向こう5年かけて過剰な財政赤字を解消し、政府債務残高の対GDP比も2027年をピークに徐々に減少する目標圏に向けた取り組みを実施する(図表16)。

市場も格付け会社もフランスの財政健全化の取り組みを注視する構えである。対ドイツでの信用力の格差を示す対独国債スプレッドは総選挙前よりも高い水準となっている(図表17)。10月に実施された格付け会社の2社のレビューでは、格下げは免れたものの、ともに見通しを「ネガティブ」とし、監視を継続する姿勢を示した。

2025年度に600億ユーロの財政措置が必要という認識は、党派を横断して共有されており、見解の対立は、その方法を巡るものである。予算案は2025年も2024年と同じく、実質GDP前年比1.1%を前提とする。しかし、景気が下振れ、税収が期待ほどには伸びず、追加措置が必要となる可能性がある。大企業への負担の増大は、投資余力を減らし、政策の先行き不透明感も加わって、投資への姿勢が抑制的になる可能性がある。生産性の向上を通じた賃金上昇の機会も失われることになる。

一貫性のある大胆な行動を求める独産業界、専門家

一貫性のある大胆な行動を求める独産業界、専門家

BDI・GCG・IW報告書では、「米国と中国を念頭に強力な産業政策で未来指向の産業を支援している国々と競争」していることから、良好な基盤を実際の成長に結びつけるための「新たな産業価値の創造の進展への政治的な支援」を求めるものだ。

具体的には「立地の競争力回復策」としてエネルギー供給の強化、インフラ近代化、デジタル化への積極的取組み、手続きの迅速化と官僚主義の削減、スキルギャップを埋める、重要な依存関係の最小化の6つの行動、「産業基盤の確保策」として、産業転換と脱炭素化支援、脱炭素化のための選択肢の拡大、循環型経済の推進、カーボンリーケージ/外部保護策の4つの行動、「新たな成長を加速させる」ではグリーン技術の需要拡大、未来の技術の革新の促進、(補助金と税制優遇措置による的を絞った)新規生産の現地化促進、公平な自由貿易の拡大の4つの行動を求める。これらに「未来のための協定としてのファイナンス」を加えた15の行動を、同時、かつ、一貫性のある形で、大胆に実行に移すことが必要と訴える。

産業立地としてのドイツの競争力の回復と産業構造の変革の実現には、多額の投資も必要になる。追加投資の所要額は、2030年までに交通インフラ建設や民間企業の呼び水とするための公的投資4570億ユーロと民間投資9750億ユーロで合計1兆4300億ユーロ(2023年実質価格)、実質GDPで5%弱に相当である。第2次世界大戦後のマーシャルプラン(同1.3%)や東ドイツ復興のための直接援助(同1%)を遥かに上回る金額であり、新たな特別基金も選択肢になるという。

BDI・GCG・IW報告書に盛り込まれた同時、かつ、一貫性のある大胆な行動や、マーシャルプランを超える多額の投資などの提言は、9月に公表された前ECB総裁・前イタリア首相がまとめた「欧州の競争力の未来」の報告書(以下、ドラギ報告書)と相通じるものである。

ショルツ政権は分裂含み

ショルツ政権は分裂含み。経済相と財務相が経済対策を巡り対立

社会民主党(SPD)のショルツ首相が率いる3党連立政権は、分裂含みとなっており、産業界や専門家が求める一貫性のある行動は期待し辛い状況にある。そもそも3党、特に環境政党の「緑の党」と財政規律重視の「自由民主党(FDP)」の間には、経済政策を巡る考え方に隔たりがある。来年秋の次の連邦議会選挙まで1年を切り、支持率が揃って低迷する3党の妥協の余地は狭まっている。9月の東部3州の議会選挙でも厳しい評価を突き付けられた。10月23日、緑の党のハベック経済相は、予算の制約が投資を抑え込んでいるとして、財政赤字を一定の規模に抑える「債務ブレーキ」の影響を受けない基金の創設という独自の構想を打ち出した。基金はインフラの近代化や、戦略分野への投資促進のための税負担軽減の財源に活用するものである。これに対し、FDPのリントナー財務相は、「借金では持続的な成長は買えない」として経済相の構想を批判、財政ルールを順守してユーロ圏の模範となることこそが重要という立場を改めて表明した。成長モデルの転換のための政策としては、法人税の引き下げや社会保障費の抑制、過度に野心的な気候目標や過剰な規制の見直しが有効との考えである。

経済相の構想にあるインフラの近代化も、財務相が主張する減税や規制負担の軽減もBDI・GCG・IW報告書の15の行動計画に盛り込まれた政策である。双方の歩み寄りによる包括的な対策こそが、立地競争力の回復を願う産業界の期待するところだろう。本稿執筆時点では、ショルツ首相とハベック経済相、リントナー財務相が対応を協議している。その結果が待たれる。

独政権が交代しても一貫性のない踏み込み不足の立地競争力

独政権が交代しても一貫性のない踏み込み不足の立地競争力の危機対策が続くおそれ

FDPが連立を離脱し、早期の解散総選挙観測も燻るが、政権が交代しても、立地競争力の危機対策は、一貫性を欠いた踏み込み不足の状況から脱却できないおそれがある。総選挙が実施されれば、キリスト教民主社会同盟(CDU/CSU)が第1党となる見通しだが、経済政策の理念が重なるFDPは5%という議席獲得の閾値に届かない可能性もある。CDU/CSU主導の政権もまた、理念の異なる政党との連立を組まざるを得ないことを意味する。BDI・GCG・IW報告書では、転換に成功した場合には2035年の産業の付加価値は増大するが、転換が実現しなければ現在よりも縮小しているという2つのシナリオを描く。政治の分断による政策対応の遅れが、転換の実現を阻むリスクが憂慮される。

独仏の政治の分断

独仏の政治の分断は、ドラギ報告書が指摘したEUレベルの改革や政策協調も阻害

EUのレベルでも、ドラギ報告書が指摘した通り、立地競争力の強化のための抜本的な対策を必要としている。これまでEUの統合を牽引してきた独仏が、国内における合意形成により多くの政治的資源を割り当てざるを得なくなることは、EUレベルの競争力強化のために必要な改革や政策の協調も進み辛いことを示唆する。

この問題については、別稿にて論じることにしたい。
 
 

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(2024年11月07日「Weekly エコノミスト・レター」)

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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