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JR中央線グリーン車から考える、これからのサステナビリティ-持続可能にするために「終わらせる」、ダブル・ネガティブの決断

生活研究部 准主任研究員 小口 裕
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1――サステナビリティは「割り切れない」現実から始まる――SNSが映し出す新サービスの光と影
この割り切れない現実こそが、サステナビリティの本質を象徴している様にも見える。新しい価値や快適さ、運賃収入の多様化という「得るもの」があれば、沿線利用者の心にあった「安価で平等な移動手段」という従来の価値観が部分的に損なれるという「失うもの」も生まれる。
近年のGoogle Trendを見ると、日本では「SDGs」に代わって「持続可能性」という検索ワードの利用が少しずつ伸びている1。耳目を集める華やかなキャンペーンよりも、実際にどうやって持続可能な社会を作るのかという現実的な問いや試行錯誤への関心が高まりつつあることの表れにも見える。
1 ニッセイ基礎研究所 研究員の眼「『SDGs疲れ』の空気から考える、本当のサステナビリティ」(2025年7月15日)
2――「トレードオフは悪ならず」――現実的なサステナビリティとのバランスを探るための論点
しかし、その現場に立てば「Win-Win(全員が得する解)」はほとんど存在しない。実際には、何かを得るためには何かを犠牲にするトレードオフが不可避であり、現場ごとに痛みや摩擦を伴う2。
サステナビリティにまつわる主なトレードオフには大きく2つの種類があると言われる3。
たとえば、「サブスタンティブ・トレードオフ(実質的なトレードオフ)」は、「何を実際に得て、何を失うか/誰が利益を得て、誰が損をするか」という成果そのものに関わる。生物多様性保全区の設置が生態系サービスという利益をもたらす一方、伝統的な漁業者の収入減という損失を生む。太陽光発電所の建設はCO₂削減をもたらすが、景観や農地への影響、騒音といった地域課題も併発する。
一方、「プロセス・トレードオフ」では、すべてのステークホルダーの意見を平等に聞けば合意形成に時間がかかり、特定の意見だけを優先すれば公平性や包摂性が損なわれる。サステナブル認証やラベル制度も、信頼感を高める一方で現場の事務負担を増やすことにもなる。
また、現実には、非持続的な構造・制度・産業や慣習が「持続」してしまうこと自体が新たな問題となるケースも見られる。時代遅れで不公正な制度や、非効率な社会システムが慣性で続いてしまうことで、社会の新たな負担やリスクが積み上がる。
2 持続可能性の実務においてはトレードオフの選択を迫られる局面が多く、「Win-Winは例外的」とされている。 Haffar, M., & Searcy, C. (2017). Classification of trade-offs encountered in the practice of corporate sustainability. Journal of Business Ethics, 140(3).
3 サステナビリティを巡る命題には、ここに例を挙げたサブスタンティブ・トレードオフ(成果や利益の分配)やプロセス・トレードオフ(意思決定の進め方)など、多様なタイプのトレードオフとその背景・意思決定課題がある。(Haffar & Searcy, 2017)
3――サステナビリティは錦の御旗ではない――「何を残し、何を終わらせるか」の問いにどう答えるか
持続可能性に関連する最近の研究動向を見ると、むしろ、持続可能性戦略や政策において、「何を積極的に残すか」と「何を段階的に排除・縮小・廃止するか」をセットで議論することの重要性に対する指摘も見られる。「サステナビリティ=全てを守る(包摂する)こと」「目標の(固定的な)達成」という素朴なイメージを超え、「それは、誰のためのサステナビリティなのか」「何を残し、何を終わらせるか」を考えながら、ダイナミック(動的)に「持続的なトランジション(移行・進化/Transition)」を図ることが、本質的な持続可能性の実現に不可欠である、という主張が広がっている様にも見える4。
4 Feitelson & Stern,(2023)は、従来のサステナビリティにあった「全てを守る」「持っている価値や仕組みをそのまま永続させる」イメージではなく、「終わらせる」こともまた現代サステナビリティ論の核心であると主張している。つまり一方的な排除や非包摂ではなく、「どのような手続き・対話・補償とセットで終わらせるか」という「動的」「戦略的」な転換を主張している。
Feitelson, E., & Stern, E. (2023). The double negative approach to sustainability. Sustainable Development, 31(4), 2109–2121.
4――「ダブル・ネガティブ」の時代――「終わらせることで生まれる」持続可能な未来への余力
サステナビリティ時代のトレードオフと従来のトレードオフは、いくつか明確な違いがある。従来型の意思決定は、時として「いま・ここ・自分」の最適化にどうしても陥りやすいのも事実であろう。とりわけ政治の世界でもよく見られるように、自分たちにとって何が得かを優先し、他の関係者や将来世代の視点はどうしても後回しとなる。
しかし周囲を見回せば、気候変動、資源枯渇、社会的格差といった、「自分の最適/他の誰かの問題」として片付けられない課題が山積している。企業経営でいえば、難しい議論や合意形成を避ける姿勢が、後からレピュテーションリスクとして跳ね返ってくることもある。得失の分配や、なぜそのバランスにしたのか、トレードオフの説明責任やプロセスの納得性が重視される時代になったといえる。
こうした状況下において、「終わらせる」ことによって、「持続可能な未来に向けた余力」を生み出すことができることも、また事実であろう。たとえば、JR東日本が中央線のグリーン車関連の設備投資と並行して、持続困難なローカル線の収支を公表し、廃線や持続可能なサービス(デマンド交通・福祉移送等)への再配分の議論を進めているのは、その一例である。
何を守り、何を終わらせるか、「残すもの」と「やめるもの」を「同時に(=ダブル)」ネガティブな意思決定も伴いながら選び取るという「ダブル・ネガティブ」の視点は、今後のサステナビリティ経営や持続可能なマーケティング活動において、ますます本質的な問いとなっていくと思われる。
言い換えれば、「持続可能性」が問うているのは「これまで以上に、より広い視点」そして「より公正で説明責任あるトレードオフの探求」そのものでもある。この古くて新しい問いを、現代社会のルール・価値観・責任のもとでいかに問い直すかが、今まさに求められていると言えるだろう。
5――持続可能な合意形成のデザイン――問われるのは「可視化」と、それを補う「想像力」
その決め手は、未来世代や社会全体を見据えた「想像力」にあるとも言える。「時間軸・空間軸」を拡大した「サステナビリティ時代の新たなトレードオフ」の解消のためには、それを補完する想像力と、複雑さを「できるだけシンプルに」整理して合意形成をデザイン(設計)する視座が求められる。
しかし実際、サステナビリティにまつわる意思決定は困難を伴う。関係者・影響範囲の拡大、長期的な時間軸、トレードオフの複雑化に加え、「何を犠牲にし、なぜそのバランスを選んだのか」を社会的に説明し続けなければならないからである。ただ、その本質は「終わらせる」ことを一方的な排除や淘汰にしないことであり、言い換えれば、「誰もが納得できる手続き・理由・補償の下で、何を伸ばし、どのように縮む(縮退させる)か」を社会全体で合意形成していくことであろう。
たとえば、社会的インパクト評価(SIA)5や参加型アセスメント6、EBPM、サステナビリティ政策で言えば東証プライム上場企業のサステナビリティ情報の開示基準などは複雑化した説明責任を企業や自治体が果たすためのガイドラインであり、その枠組みである。
事業の視点では、「製品パッケージをプラスチックフリーに変更すると、環境への配慮が強調されるが、耐久性・利便性・コストで劣る」「フェアトレード原料の採用で、生産者や環境に配慮したブランド価値が高まる一方で、調達コストや製品価格が上がり、価格競争力が低下する」といった、環境・社会・経済などの複数の価値基準を同時に追い求めた結果に生じるサブスタンティブ・トレードオフに対して、「誰のどの利益のために、何をどこまで犠牲にするのか」を社会的に説明し、モニタリングや再評価を重ねる包摂的なプロセスはサステナビリティ実現のための実践的な知恵でもある。
さらに、このような持続可能な合意形成に向けた考え方は、たとえば地方創生2.0の文脈における「産官学金労言等の多様な関係主体の連携」、つまり、社会の多様な利害関係者が協働し、知識を統合するという「コンシリエンス(consilience)」7という考え方にも連なっていく。
5 社会的インパクト評価(Social Impact Analysis /SIA)とは、新しい事業や政策、プロジェクトが、地域社会や関係者にどのような影響を及ぼすかを事前・事後に評価する手法。環境アセスメント(EIA)が自然環境への影響評価を目的とするのに対し、SIAは「人・コミュニティ・社会構造・文化・福祉」など、社会面にフォーカスする点が特徴と言える。ただし。SIAで用いられる手法には大きなばらつきがあり、定量的アプローチ(アンケート調査、統計解析)と、定性的アプローチ(インタビュー、ワークショップ、参加観察など)が混在しており、標準的な枠組みや指標の共通化は十分に進んでいるとは言えない。特に、「誰が・どのように不利益を受けるか」「地域コミュニティのつながりがどう損なわれるか」「住民の精神的負担や生活の質はどう変化するか」などの社会的トレードオフの評価は、単純な数値化が難しく、客観的な指標に落とし込みにくいとされる。
Ricardo J. Bonilla-Alicea & Katherine K. Fu (2019)「Systematic Map of the Social Impact Assessment Field
6 参加型アセスメント:意思決定の過程に地域住民やステークホルダーを積極的に巻き込み、評価や計画策定を進める手法。これまでの「専門家任せ」や「行政主導」のアセスメントでは、現場の声や生活者の視点が十分に反映されないという課題があった。
7 サステナビリティ経営やイノベーション論でも、単一分野の最適化ではなく、環境・社会・経済・倫理・技術といった多領域の知見を「コンシリエンス」させることが、現代の課題解決には不可欠とされる。これがないと、どこかに「しわ寄せ」や社会的な軋轢、非効率・形骸化が生じやすくなるとされる(Quental et al., 2011)。
Wilson, E. O. (1998). Consilience: The unity of knowledge. New York, NY: Knopf.
6――グリーン車から考える――「持続可能な合意形成」のデザインに求められるバランスとは?
もしこのケースから、持続可能な合意形成のデザインに関する学びを得るならば、どのような示唆があるだろうか。
単なる移動サービスの高級化・競合差別化策に留まることなく、たとえば、グリーン車の料金収入の一部を、明示的に「(グリーン車以外の)普通車の快適性向上」「(多くのステークホルダーが恩恵の対象となる)沿線地域の交通改善」、または「テレワーク推進・フレックスタイムによる乗客分散施策」などと一体化するなど、誰からもわかりやすい公共的還元のスタンスやマーケティング・アプローチ8は、特定の利用者の悲哀=分断につながる社会的・感情的なトレードオフの軽減と解消、より多くの社会から支持される持続可能な公共交通のあり方の議論へとつながっていくのではないだろうか。
複雑な現実を前に、「何を残し、何を終わらせるか」「何を伸ばし、どのように縮むか」を問い、透明なトレードオフと納得感のある合意形成をどうデザイン(設計)するのか、このバランス感覚こそが、これからの時代に求められるサステナビリティの一つの本質と言えるだろう。
8 公益社団法人日本マーケティング協会は2024年1月にマーケティングの定義を34年ぶりに刷新し、マーケティング活動の持続可能性に対する関与を強化することを表明した。その改訂の核心は「持続可能な社会の実現」をマーケティングの中心的役割と位置付けた点にあり、「顧客」と「社会」を並列に扱い、マーケティングを一過性の取引ではなく、長期・継続的な関係と位置付けている。この点は、マーケティングが短期的な売上拡大のみならず、持続可能な市場形成に向けたトレードオフの解消も活動領域としていることを示している。
ニッセイ基礎研レポート(2025年2月14日)「企業のマーケティングや営業にもサステナビリティ変革の足音」
(2025年08月01日「研究員の眼」)

03-3512-1813
- 【経歴】
1997年~ 商社・電機・コンサルティング会社において電力・エネルギー事業、地方自治体の中心市街地活性化・商業まちづくり・観光振興事業に従事
2008年 株式会社日本リサーチセンター
2019年 株式会社プラグ
2024年7月~現在 ニッセイ基礎研究所
2022年~現在 多摩美術大学 非常勤講師(消費者行動論)
2021年~2024年 日経クロストレンド/日経デザイン アドバイザリーボード
2007年~2008年(一社)中小企業診断協会 東京支部三多摩支会理事
2007年~2008年 経済産業省 中心市街地活性化委員会 専門委員
【加入団体等】
・日本行動計量学会 会員
・日本マーケティング学会 会員
・生活経済学会 准会員
【学術研究実績】
「新しい社会サービスシステムの社会受容性評価手法の提案」(2024年 日本行動計量学会*)
「何がAIの社会受容性を決めるのか」(2023年 人工知能学会*)
「日本・米・欧州・中国のデータ市場ビジネスの動向」(2018年 電子情報通信学会*)
「企業間でのマーケティングデータによる共創的価値創出に向けた課題分析」(2018年 人工知能学会*)
「Webコミュニケーションによる消費者⾏動の理解」(2017年 日本マーケティング・サイエンス学会*)
「企業の社会貢献に対する消費者の認知構造に関する研究 」(2006年 日本消費者行動研究学会*)
*共同研究者・共同研究機関との共著
小口 裕のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
---|---|---|---|
2025/08/01 | JR中央線グリーン車から考える、これからのサステナビリティ-持続可能にするために「終わらせる」、ダブル・ネガティブの決断 | 小口 裕 | 研究員の眼 |
2025/07/24 | 「縮みながらも豊かに暮らす」社会への転換(2)-SDGs未来都市計画から読み解く「地域課題」と「挑戦」の軌跡 | 小口 裕 | 基礎研レター |
2025/07/15 | 「SDGs疲れ」の空気から考える、本当のサステナビリティ-「検索データ」から見る、日・米・欧のSDGsギャップ | 小口 裕 | 研究員の眼 |
2025/07/07 | 「縮みながらも豊かに暮らす」社会への転換(1)-SDGs未来都市計画から読み解く「地方創生2.0」への打ち手 | 小口 裕 | 基礎研レター |
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