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いま振り返るベヴァリッジ報告-少子化対策も組み込んだ80年前の社会保障計画-

保険研究部 主任研究員・気候変動リサーチセンター兼任 磯部 広貴
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1――はじめに
実際のところベヴァリッジ報告を取り入れた英国の社会保障制度はその後、少なからぬ変革を余儀なくされた。また、80年以上前の内容であるため、社会としての課題認識そのものに現代には適合しない点があることも否定できない。
さりながら第2次世界大戦の最中に国民を鼓舞するため、戦前とは異なる戦後の英国のあり様を示すという革新的な目的の下、ベヴァリッジただ1人の責任で書き上げられたこの報告は今なお強烈な印象を残す。平時に合議体で作成されるような最大公約数的あるいは玉虫色の改革案にはない首尾一貫した合理性を有していると言えよう。
このレポートではベヴァリッジ報告による提案の中核部分を振り返っていきたい。現在のわが国における社会保障制度に関する議論の中でも参考とすべき部分が多々あるものと考える。
2――ベヴァリッジ報告の作成経緯と反響
当時は保守党党首のチャーチルを首相とし、労働党党首のアトリーを副首相とする戦時連立内閣が英国を率いていた。失業保険、国民健康保険など社会保障に相当する制度はいくつもあったが、対象となる国民も主務官庁もばらばらで整合性は取れていなかった。その非効率ぶりは戦時下の混乱の中、多くの国民が意識するところであった。第1次世界大戦後、復員した兵士の多くが貧困に陥ったことも記憶に残っており、その再現をイメージされては過酷な戦争の継続は難しい状況と言えた。
労働組合会議からも政府に社会保険の総合的な検討が求められる中、1941年6月、無任所大臣グリーンウッドの下、各省庁にまたがる調査委員会が組織され、委員長には失業問題の権威とされていたベヴァリッジ2が就任した。実のところこの人事はベヴァリッジが当時の労働大臣ベヴィンから嫌われて放逐された結果であり、本人も当初は失望したと伝わる。
しかしその後のベヴァリッジは形式的あるいは実務的と目されていた委員会を野心的に進めていき、同年12月と翌1942年1月には後のベヴァリッジ報告の基本線とも言える覚書2つを委員会に提出した。ベヴァリッジ以外の委員は関係省庁11部門の官僚であったため、それぞれの部門の大臣の承認なくしては署名ができない。そして上述の両覚書に書かれた内容を踏まえて、無任所大臣グリーンウッドは大蔵大臣と相談の上、他の委員はあくまで補佐役に過ぎず報告書がいずれ出るとしてもベヴァリッジ単独で署名するよう通告した。これに対してベヴァリッジは翌日、応諾の返信を行った。この書簡のやりとりをベヴァリッジ報告の第1章で公開していることにベヴァリッジの並々ならぬ反骨心が感じられる。前述の通りベヴァリッジ報告のタイトルは「社会保険および関連サービス」であるが、作成者は政府の委員会ではない。略称あるいは愛称として委員長の名前が冠されてベヴァリッジ報告と呼ばれているのではなく、英語ではReport by Sir William Beveridgeと、あくまでベヴァリッジ個人としての報告と位置付けられている。
単独署名の通告を受けた後、ベヴァリッジはさらに精力的な取り組みを行い、次々と覚書を提出した。このように情報が小出しにされたこともあり、ベヴァリッジ報告は公表前から国民の関心を得ていた。ベヴァリッジが報告書に署名したのが11月20日、ベヴァリッジによる放送と出版は12月1日であったが、戦時にも関わらずベストセラーとなり1年間で完全版が25万部、縮刷版は35万部以上売れたとされる。また、戦場でも配布されて3兵士にも読まれていた。
ベヴァリッジ報告は大衆から幅広く強い支持を受けたものの、チャーチル率いる保守党は冷淡な態度を取った。多大な支援を受けていながら先進的な福祉を整えるわけにはいかないという米国への配慮とともに、先行きの見通せない戦後行政に制約を受けたくなかったためだ。一方、労働党は従来の主要産業国有化に加えてベヴァリッジ報告の実行を公約に掲げる。ナチスドイツの降伏後、1945年7月に行われた国政選挙4では労働党が圧勝して政権を取り、英国を勝利に導いた功績にも関わらずチャーチルは首相の座から追われる結果になった。
1 1941年12月、日本による真珠湾攻撃を受けて米国の参戦が実現したが、米国は同年3月に武器貸与法を成立させ、これによって英国やソ連などに武器や軍需品を支援していた。
2 1879年生まれ。大学卒業後、隣保館(社会福祉施設)に就職し失業問題に取り組む。日刊紙の記者を経て商務大臣であったチャーチルの下、官僚となり、職業紹介所の新設(局長に就任)と失業保険の導入に尽力。LSE(London School of Economics and Political Science)学長時代には失業保険法定委員会の議長に就任。オックスフォード大学ユニバーシティカレッジ学寮長を経て1940年に労働省の徴兵局長になっていた。
3 河合秀和「クレメント・アトリー チャーチルを破った男」(2020年)20頁「この報告はドイツ語にも翻訳され、ドイツ兵には空からまかれたビラで届いていた。ヒットラーが自殺した地下壕にあった書類の中にも入っており、それにはナチ保健省の官僚の手で「ドイツの社会保険制度より数段優れている」という書き込みがあった。」
4 議員の任期は本来5年であるものの、第2次世界大戦のため国政選挙は延期されており、前回は1935年と10年振りに民意を問うものであった。
3――あるべき社会像
1)自由主義経済:
社会保障制度についてはどうしても社会主義の印象が伴うところ、ベヴァリッジは全くの自由主義者であった。経済的に余裕のある者は貯蓄なり保険なり民間商品で富を蓄積することを否定していないばかりでなく、明確に奨励している。社会のベースはあくまで自由主義経済という考え方が伺える。
2)5つの巨悪からの解放:
とはいえ自由主義経済ですべてが解決されるわけではない。ベヴァリッジは戦後の英国の再建を阻害するものとして以下の5つの巨悪を前提とし、それらからの解放を目指すべきと考えていた。5つの巨悪の中で(1)欠乏を最も対処が容易なものと認識した上で、その方策として社会保障制度を位置付けた。
(1) 欠乏want
(2) 疾病disease(しばしば欠乏や他の多くの困難をもたらす)
(3) 無知ignorance(いかなる民主主義社会も国民に許してはならない)
(4) 不潔squalor(主に産業と人口の野放図な分布から生まれる)
(5) 無為idleness:(富を破壊し人間を腐敗させる)
この中で(3)無知に示される通り、独裁政権ならば国民の無知を好みそうなところ、ベヴァリッジは見識ある自立した個人が活動する社会を想定していたことが伺える。
また(4)不潔については、災害時など特別の場合を除き、現在の先進国の都市における公衆衛生に鑑みれば、当時ほど大きな課題ではなくなったと言えるだろう。
3)人口維持:
欧州の一部では20世紀前半の時点で出生率の低下に対する課題意識が持たれていた。ベヴァリッジは当時の出生率を前提にすれば英国はいずれ立ち行かなくなると考え、人口維持に向けた少子化対策の必要性を痛感していた。これが後述する児童手当に結び付くことになる。
4――手法の棲み分け
1)屈辱感なく受給するための社会保険
英国の社会保障を源泉まで遡れば、エリザベス1世時代の救貧法に行きつく。救貧法は改正を経ながらもベヴァリッジ報告時まで存続してきたが、貧者と認定されて救済を受ける過程では少なからぬ屈辱感を伴うものであった。
そこにベヴァリッジはドイツ発祥の社会保険を取り入れた。社会保険は労働組合など職業別に発展した経緯があったところ、被保険者を全国民に拡大して働けなくなった場合に所得補償を行う一方、その財源は主に5保険料6とした。保険料については同一給付同一保険料の原則を取り、同じ給付を受けるためには誰であっても保険料は同水準とするものであった。
富める者も貧しい者も同じ保険料であれば、当然ながら貧しい者にとってその保険料を支払うことの経済的負担は大きくなる。反面、働けなくなった場合には資力調査はなく、あくまで被保険者の権利として堂々と受給することが可能となる。保険給付は屈辱感を招くような上からの慈悲あるいは国家からの施しではないからだ。
尚、地域別あるいは職業別に格差を設けることは否定しておらず、検討に値するとしている。但しこの場合も同じ地域、同じ職業であれば同一給付同一保険料の原則に変わりはない。
5 失業等給付の3分の1など一部には国庫負担も認めている。
6 被保険者本人の負担に加えて、被保険者が雇用されている場合は雇用者も保険料を負担する。
とはいえ実際には社会保険の保険料を支払えない低所得層が存在しうる。これに対しては保険料を免除し国家が所得補償を行う必要がある。財源は租税であり、応能負担すなわち高所得者ほど多くの租税を支払っていることを前提とする。
そのように租税を財源とする公的扶助を受けるに際し、資力調査を必要とする、稼得能力の回復を目指すことを述べさせるなど、ベヴァリッジは社会保険の給付に比し実務的にも心理的にも受給者に負担感を増すことを条件としている。
ベヴァリッジは社会保険と公的扶助を峻別する立場を取った。これに対しては後に硬直的あるいは原理主義的との批判を受ける結果になったが、租税の有する所得再分配機能が強くなった現在の社会保険-保険料は応能負担となり租税が財源の一定割合を占めるもの-を、ベヴァリッジを批判できる成功モデルと呼ぶに値するかは一考の余地があろう。
3)高所得層は任意保険を活用
社会保険について同一給付同一保険料の原則を採用した場合、低所得層にとって保険料の支払いが苦しい反面、高所得層にとっては以前の豊かな生活水準を維持するだけの給付を期待できない可能性が高い。
この場合、ベヴァリッジは高所得層に対しては自ら任意保険で備えることを推奨している。社会保険で保障されるのは後述するナショナル・ミニマムに止まり、それを超える保障を望むならば自ら別途保険料を支払って任意保険に加入すべきとの主張である。
(2025年05月15日「基礎研レポート」)

03-3512-1789
- 【職歴】
1990年 日本生命保険相互会社に入社。
通算して10年間、米国3都市(ニューヨーク、アトランタ、ロサンゼルス)に駐在し、現地の民間医療保険に従事。
日本生命では法人営業が長く、官公庁、IT企業、リース会社、電力会社、総合型年金基金など幅広く担当。
2015年から2年間、公益財団法人国際金融情報センターにて欧州部長兼アフリカ部長。
資産運用会社における機関投資家向け商品提案、生命保険の銀行窓版推進の経験も持つ。
【加入団体等】
日本FP協会(CFP)
生命保険経営学会
一般社団法人 アフリカ協会
一般社団法人 ジャパン・リスク・フォーラム
2006年 保険毎日新聞社より「アメリカの民間医療保険」を出版
磯部 広貴のレポート
日付 | タイトル | 執筆者 | 媒体 |
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