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病理診断の展開-病理医は、臨床医療革新のカギを握っている
保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
病理医は、病理診断を行った後、その結果を「病理診断報告書」(以下、「報告書」)としてまとめる。報告書は、臨床医に連携される。臨床医は、報告書の内容をもとに、今後の治療方針を検討する。
報告書には、定まった書式はない。病院ごとにまちまちとなっている。報告書は、主に、病理医と臨床医の間の診断情報の連携を目的として作成される。記述には、医学用語や略号が多用される。なお、疾病によっては、(臓器ごとの)「がん取り扱い規約」など、標準化された取り決めが存在する場合がある。その場合は、それらの規約に従うことが求められる。
患者が、報告書の内容をみることは可能とされている。臨床医に依頼することで、報告書のコピーを受け取れる場合もある。ただし、報告書の内容を理解するためには、相当の医学知識が必要となる23。
23 報告書には、まず臨床医が、病院名、提出医師、病理番号、診療科名、検体の採取日、患者氏名・ID番号、生年月日などの基本情報と、依頼臓器組織、臨床診断を記載して、病理医に連携することが一般的。病理医は、診断病名やプレパラートの観察で見た内容などの病理診断の結果を、病理組織学的診断の欄に記載する。併せて、それについての所見を、所見欄に記入する。英語名の医学用語を用いるために、英語で記入することもある。
3|術中迅速診断は、病理医に大きなプレッシャーがかかる
病理医が行う病理診断は、内容の正確性が最も重視される。正確な診断のために、高性能の顕微鏡を用い、時間をかけて、慎重に数多くのプレパラートを観察する。もしも、くだそうとする診断の内容に少しでも疑問点があれば、同僚の病理医に相談したり、日本病理学会のコンサルテーションシステム(後述)を活用したりして、解消することとなる。
ところが、主として腫瘍の手術に伴って行われる「術中迅速診断」は、通常の病理診断とは異なり、時間的制約下で行われる。このため、病理医には、大きなプレッシャーがかかるとされる。
(1) 術中迅速診断で病理医にかかるプレッシャー
術中迅速診断で手術を中断する時間は10分程度であり、その間に、診断医がみることのできる組織片の個数は、せいぜい2~3ヵ所とされる。このため、組織片として、どの部分を切り出すか、という病理医の判断が、診断結果に大きな影響を与えることとなる。
また組織片は、時間節約のために、液体窒素を使って瞬間凍結される。その後、薄切・染色をした上でプレパラートが作製されて、ただちに顕微鏡で観察される。通常の組織診におけるホルマリン固定は行われない。このため、標本形態が保たれず、質の低い標本をもとに診断しなくてはならない。
(2) 腫瘍の良性・悪性の判定
術中迅速診断では、細かな腫瘍の分類はさておき、まずは腫瘍が良性なのか、悪性なのかの判定が重要となる。良性であれば腫瘍をそのままにして縫合したり、腫瘍だけを摘出したりすることができる。一方、悪性であれば、腫瘍はもちろん、浸潤や転移を考慮して周辺組織やリンパ節なども含めた広範囲の摘出が必要となることがある。
病理医にとって、腫瘍が悪性であるとの診断はしやすいとされる。わずかでも悪性を示す細胞が見つかれば、悪性といえるからである。頭を悩ますのは、良性であるとの診断である。プレパラートに悪性の細胞が見つからなかったとしても、がんの細胞が絶対にないとはいい切れないためである24。
24 良性の診断は、「ある事実・現象が全くない」ことの証明である「悪魔の証明」と、同様の困難さを伴うものともいえよう。
(3) 術中迅速診断の実施状況
日本全国の術中迅速診断の実施件数は、1ヵ月間に14,000件前後となっている。医療施設に従事している病理診断科の医師が約2,000人であることを踏まえると、平均して、1人の病理医あたり、1ヵ月に7件程度の術中迅速診断を実施していることとなる。
術中迅速診断が病理診断全体に占める割合は、3%程度で推移している。今後、高齢化が進み、腫瘍の病理診断件数が増加すれば、術中迅速診断の件数も増える可能性がある。術中迅速診断の円滑な実施のために、病理医にかかるプレッシャーの軽減について検討すべき状況と考えられる。
病理医や臨床検査技師は、患者の検体や、各種の医薬品などに日常的に接している。このため、感染症や薬物被害のリスクにさらされる。放射線を用いる作業もあるため、放射能被曝のリスクもある。
(1) バイオハザード (生物危険)
患者の組織や血液・体液中には、肝炎ウイルスやHIV25など、さまざまな病気のウイルスが潜んでいる可能性があり、接触感染や飛沫感染のリスクがある。また、インフルエンザウイルスや結核菌などに、空気感染するリスクもある。
これらは、医療関係者への感染リスクにとどまらない。感染した医療関係者が媒介をして、他の入院患者に感染症を広げてしまう、「院内感染」のリスクもある26。このため、病理医をはじめとした医療関係者は、患者体液・排泄物にはすべて感染の可能性がある、とみなして取り扱う「スタンダード・プリコーション(標準感染予防措置策)」の原則を遵守することが求められている。
25 HIVは、Human Immunodeficiency Virus(ヒト免疫不全ウイルス)を指す。
26 院内感染が問題となる事例として、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)による感染がある。MRSAは、医療関係者の手指を介して接触感染する多剤耐性菌。MRSAにより、入院患者が肺炎や敗血症を起こして死亡するケースが続発している。
(2) ケミカルハザード (医薬品危険)
病理医や臨床検査技師が、診断やプレパラート作製の際に用いる医薬品には、発がん性を有するものや、毒物、劇薬であるものが多く含まれている。たとえば、臓器などの組織の固定に用いる、ホルマリンには発がん性が認められている。また、免疫染色で用いられるジアミノベンジジンは、発がん性のあるベンジジンの化合物であり、これ自体にも発がん性が否定できない。さらに、免疫染色で使用されるクロム酸は、発がん性とともに強い毒性を示す六価クロムを含んでいる27。
27 国際がん研究機関(IARC)が定める「発がん性リスク一覧」では、ホルマリン(ホルムアルデヒド)、ベンジジン、六価クロム化合物は、いずれも「グループ1 (ヒトに対する発癌性が認められる)」の化学物質とされている。
(3) ラジオハザード (放射線危険)
病理医は、放射線の被曝のリスクもゼロではない。乳がんのリンパ節への転移を診断するために、わきの下にあるセンチネルリンパ節の生検が行われることがある(この生検については、後章でも触れる)。その際、センチネルリンパ節を探すための目印として、微量の放射性同位元素を腫瘍の周囲に注射することがある。用いられる放射能はごくわずかであり、通常、注射部位は手術で切除されるため、患者への影響は問題にならないとされる。ただし、病理医をはじめとした医療関係者は、日々同様の生検を繰り返して行うため、放射線被曝が蓄積するリスクが伴う。
4――病理診断の現状と将来に向けた動き
1|「病理診断科」は2008年度から標榜できるようになった
日本では、病理業務の歴史は古い。1877年に東京大学が設立され、医学部が発足して、大学での医学教育がスタートした28。当時すでに病理学の講義が行われており、病理解剖も始まっていたとされる。20世紀に入ると、主にアメリカで生検組織を診断する外科病理学が発達し、これが日本にも導入された。病理業務は、医療検査の一部として重要な位置づけとされた。
しかし、その後長らく病理業務は、医療検査の一部との位置づけとされたままであった。法令上、病理診断は国家資格を持つ医師にしかできない。しかし、そのベースとなる病理業務は、臨床検査技師法の中に病理検査として規定されているのみで、医療法には規定されていなかった。
病理診断が医行為として規定されたのは、2008年4月の医療法改正によってである。2008年度から、病院で「病理診断科」の診療科名の標榜が可能となった29。
28 東京開成学校と東京医学校が統合されて、東京大学が設立された。、東京医学校が母体となって医学部が発足した。
29 各病院が保健所に2年ごとに提出する医師届けにも、診療科を選ぶ欄に「病理診断科」の名称が加わった。
2|「ひとり病理医」のままでは病理診断に支障が出る
病理医は、人間の疾病全般を対象とする広い守備範囲と、さまざまな診断方法や治療方法に対する深い専門性をもとに、病理診断を行っている。
(1) 最終診断としての病理診断
病理診断は、最終診断といわれる。これは、病理医が診断した内容は絶対的で、それ以後の治療方針は、病理診断の結果をもとに組み立てられるということを言い表している。
このため、病理医は、少しでも診断内容に自信が持てないときは、内容の確認をする必要がある。医学書をはじめ、各種の医療関係ジャーナル、症例報告に関する論文、医学関連のインターネット情報の検索や、同僚や先輩の医師への相談などを通じて、診断内容の確認を進めることが求められる。
(2) 「ひとり病理医」の制約
ただし、日本では、近年、病院内に病理医が1人しかいない「ひとり病理医」の病院が、中規模・小規模の病院では一般的となっている。その場合、病理診断内容について相談すべき同僚医師がおらず、確認に支障が出る懸念がある30。ひとり病理医の場合、病理医同士のダブルチェックも難しい(後述)。また、1人の病理医に病理診断が集中して臨床医療が逼迫する、といった問題も生じかねない。
30 また、近年の動向としてAI(人工知能)を活用した診断の拡大がある。診断結果の説明責任が病理医にあることを踏まえれば、AIを盲信して診療を進めることは難しいものと考えられる。(AIの活用については、第7章を参照いただきたい。)
(3) 常勤病理医の不在
また、大病院であっても、常勤の病理医がいない場合がある。2017年10月時点で、全国に400あまりあるがん診療連携拠点病院で、常勤の病理専門医がいない病院は50程度ある31。このような常勤の病理医がいない病院では、術中迅速診断を行うことは困難である。また、病理医と臨床医が緊密に話し合うことも難しい。これは、臨床医からもたらされる患者情報(生活環境、遺伝関連情報など)を踏まえて、病理医が診断内容を検討するといった調整が困難となることを意味する32。
31 国立がん研究センター がん情報サービスホームページの「病院を探す」の検索結果より。
32 たとえば、患者が妊娠中であったり、出産後授乳中であるといった基礎的な情報が臨床医から診断医に伝えられないと、妊娠・出産に伴う正常な乳腺のしこりを、病理医が病変と誤診してしまう恐れがある。
3|病理診断の精度管理には、新たな医療技術の活用が有効
病理医がくだす病理診断は最終診断とされる。そこで、当然、診断精度の管理が重視される。
(1) ダブルチェック
精度管理のためには、ダブルチェックが有効となる。複数の病理医が同じプレパラートを観察することで、誤診を減らすことができる。一方で、ダブルチェックにはつぎの点を踏まえる必要もある。
1) 複数の病理医の確保
ダブルチェックに必要な複数の病理医をどのように確保するか。現状の国内の病理医の規模からみて、ただちにすべての医療施設に複数の病理医を置くことは現実的ではない。
そこで、後述するバーチャル顕微鏡などの医療技術を活用することが考えられる。遠隔地にいる病理医からダブルチェックの支援を受ける体制をつくることが、補完策として有効と考えられる。
2) ダブルチェックを行う病理医の心理
あわせて、病理医の心理も踏まえる必要がある。ダブルチェックで、後の診断を担当する病理医は、先に診断した病理医の診断内容に異を唱えにくい。特に、キャリアの少ない若手の病理医の場合は尚更となろう。そこで、後の病理医には、先にくだされた診断結果を知らせずに診断してもらい、2つの診断結果を比較する等、チェックの実効性を高めるための方策も考える必要があるかもしれない33。
33 医薬品等の臨床試験で行われる「マスク化」と同様の方法。
(2) コンサルテーションシステム
日本病理学会は、病理標本について、病理医向けに「コンサルテーションシステム」を提供している。相談を希望する病理医は、学会事務局に申し込む。事務局は、コンサルタントとなる病理医を紹介する34。そして、依頼者の病理医が、コンサルタントに病理診断報告書の写しやプレパラートなどを送付して、相談に乗ってもらう。このシステムを活用することで、病理医間の連携を促進して、診断の精度を高めることが期待されている。
34 2016年度には、128名の医師がコンサルタント名簿に掲載されている。(一般社団法人 日本病理学会ホームページより)
4|症例報告を通じて、医療関係者間の議論が促進される
病理医は、個別の患者の病理診断とともに、病理学そのものの発展にも寄与することが期待されている。病理診断で扱った検体の研究を通じて、さまざまな疾患の病態や診断法・治療法の理解を深め、医療関係者間で広く共有する。このことにより、病理学や臨床医療全体の質を高めることができる。
(1) 臨床病理検討会
病院では、臨床医や病理医等が共同して、討論形式の「臨床病理検討会(Clinico- Pathological Conference, CPC)」を開催することが一般的となっている。CPCには、病院の医師だけではなく、近隣の医療機関の医師(開業医等)にも参加を促す。臨床医療の経験を広く共有することで、地域医療に貢献するものとなっている。CPCでは、剖検や生検を行った具体症例を取り上げる。
一般的なCPCの流れとして、まず患者の主治医が、病状や治療経過などを説明する。つづいて、診断について、参加者間で意見交換や議論を行う。その後、病理医が病理診断の結果を説明する。最後に、診断の過程や治療の妥当性など診療全体について議論を行い、得られた知見を集約・共有する。
(2) 症例報告における患者情報保護
CPCで検討される症例は、実際に剖検や生検を行った中から「症例報告」される。症例報告を行う際は、患者個人の特定ができないよう検体に処置が施される。日本病理学会は、症例報告における患者情報保護に関する指針を公表している。通常、この指針に基づいて患者情報の保護が行われる35。
また、遺伝子・ゲノム研究では、政府から倫理指針36が示されており、指針に基づいた厳格な審査基準が設けられている。患者の個人情報は匿名化された上で、患者の同意のもとで研究に利用される。
35 なお、病理検体を提供する患者のメリットも確保する必要がある。たとえば、病理検体の元資料を長期に渡り保存する。そして、将来その患者が再び診療を受ける際に、保存しておいた標本を使って、以前の病気が再発したのか、それとも新たに別の病気が発生したのかを判断できるようにする、といったことが考えられる。
36 「ヒトゲノム・遺伝子解析に関する倫理指針」(文部科学省、厚生労働省、経済産業省、三省合同, 2001年3月)が示され、その後、何度か改正されている。2017年の改正では、匿名加工情報の取扱いの規定等が追加された。
保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
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