2023年08月03日

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1――はじめに

[図表1]社長の年齢構成 バブル崩壊以降、日本では物価が上がらない状況が続いてきた。そのため、本格的なインフレ局面を経験するのは、これが初めてという経営者は少なくない。

実際、過去のインフレ局面は、今から40年ほど前の話であり、その局面を社会人として乗り越えてきた70代以上の経営者は、今では経営者全体の24.9%を占めるに過ぎない[図表1]。多くの経営者にとって、今回のインフレ局面は、未知の領域と言えるのではないだろうか。

第1部(インフレ時代の企業経営 (1))では、過去のインフレ局面を振り返り、そこで得られる過去の教訓や経験を、今回のインフレ局面にどのように活かして行けるかを考察した。その結果、(1) インフレ下の企業行動は、世界景気等の外部環境に左右される面があること、(2) 価格転嫁が難しい状況では、企業体質を強化し、成長分野に投資していくことが一層重要になること、という示唆を得ることができた。

第2部となる本稿では、足元で顕在化しつつある国内外の構造的な変化を概観し、企業の成長力や持続性を高める、企業経営の在り方について考察したい。

2――コスト上昇圧力が高まる時代

2――コスト上昇圧力が高まる時代

1物価が上がらない前提に変化の兆し
今回のインフレ局面の初期局面(2023年第1四半期)では、1970年代後半のように、インフレ圧力を値上げ等による価格転嫁ではなく、企業努力で吸収する企業行動が確認された。これはバブル崩壊以降のデフレ下で、日本企業が得意とした「耐える経営」の延長線上にある行動だと言える。ただ、その「耐える経営」スタイルが、これまで暗黙裡に仮定してきた物価前提は変わりつつある。

例えば、足元の物価動向をみると、消費者物価指数(生鮮食品を除く総合、コアCPI)は2023年6月時点で前年同月比3.3%となり、2022年4月から2%の物価安定目標を上回る水準となっている。また、生鮮食品及びエネルギーを除く総合(コアコアCPI)も前年同月比4.2%となり、基調的な物価上昇圧力も高いことを示唆している。これらは、今回のインフレが「一時的」だと見る向きを、否定するものだと言える。

物価の継続的な上昇を経験したことで、物価に対する国民の見方(期待インフレ率)も変わり始めている。例えば、日銀のアンケート調査をみると、家計における1年後と5年後の物価予想は、それぞれ6月時点で10.5%と7.5%であり、極めて高くなっている。これは、将来の物価上昇(少なくとも、 向こう1~5年にわたる持続的な物価上昇)を国民が意識し始めたことを示している[図表2]。
[図表2]家計のインフレ予想(平均)
必然的に、賃金にかかる上昇圧力も、これまでにない高まりを見せている。すでに実施された今年の春闘では、連合が集計した賃上げ率は+3.58%1と29年ぶりの高水準となった。また、来年以降の賃上げについても、労使双方の関係者から「持続的」「安定的」「力強い」といった力強い言葉が出るなど、賃上げモメンタムの強化が感じられるものとなっている。日本の金融政策を決める日銀審議委員の一部からも「企業行動に明らかな変化がみられ、値上げ・賃上げが企業戦略に組み込まれてきている」といった言葉2が出て来るなど、専門家の間でも見方は変わり始めたと言える。
 
1 連合「2023春季生活闘争 第7回 回答集計結果」(2023年7月5日公表)
2 日本銀行「金融政策決定会合における主な意見」(2023年6月23日)
2国内外の潮流が促す経済構造の変化
さらに、足元の物価動向に加えて、企業の経営コストを押し上げる、中長期的な潮流も忘れてはならない。中でも、(1) 脱炭素化、(2) 経済安全保障、(3) 人口減少 の3つは、先々の影響が大きい。

1つ目は、脱炭素化がもたらす物価上昇、いわゆる「グリーン・インフレーション」というリスクが指摘される。これは、グリーン経済への移行に伴う、物価上昇を意味する言葉である。国際的な約束ごととして、パリ協定の1.5度目標があるが、これを達成するには脱炭素化の加速が不可欠である。ただ、急激な社会の脱炭素化は、モノやサービスの需給バランスを崩し、資源エネルギー価格の高騰につながる恐れがある。また、政策ツールとして導入が進む、炭素税や排出量取引制度といった仕組みは、価格転嫁を通じて商品やサービスの価格上昇につながる可能性が高い。加えて、脱炭素化に必要な環境技術は開発途上で、技術を成熟させるには大規模な投資が今後も必要になる。地球温暖化が世界共通の課題でああって、長く腰を据えて取り組むべき問題であることを踏まえると、グリーン・インフレーションが経済に及ぼす影響は大きいと思われる。

2つ目の経済安全保障については、米中対立のような地政学的な分断が、企業活動の自由度を狭めるリスクが指摘される。これは、国家の安全保障が経済に優先されることを、明確にした概念である。各国がそれぞれ独自に制約を課すことで、単純ではないかもしれないが、世界の色分けが進んでいく。そのような世界では、グローバル化のもとで享受できた効率化より、安心安全と言った価値観が優先される。供給途絶リスクのある国から安価に仕入れるよりも、信頼できる国から多少高価でも仕入れることが選択される。企業としては取引価格の上昇だけでなく、サプライチェーンの見直しや技術情報の管理など、様々な追加コストを掛けざるを得ない。世界の多極化が、現在進行形で進む事象であることを踏まえると、経済安保が中長期的に経済を規定していく可能性は高いと考えられる。

3つ目の人口減少については、“働き手クライシス”とも形容される人手不足の問題が指摘される。日本では2030年以降、15歳以上65歳未満の働き手が、現在の倍速(2030-2040年平均:約84万人)で急減していく3。労働供給が増加に転じていくことも期待できるが、そこにはタイムラグがある。国外の人材に期待することも考えられるが、目の前に迫る人手不足のすべてを外国人材に頼ることは現実的ではない。これから始まるのは、同じ業種だけでなく異業種間での人材の奪い合いである。企業としては、賃上げや働き方改革を進め、労働者の確保に全力を尽くすことが求められると同時に、省人化に向けた投資を進め、少ない人員でも生産活動が止まらない仕組みを構築して行かなければならない。これからの人手不足が、人口動態に根差している以上、人口減少の影響を長く受けることが予想される。
 
3 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(2023年推計)より

3――企業に求められる自己変革力

3――企業に求められる自己変革力

1価値創造に軸足
上記の通り、企業の目前には、様々なコスト要因が山積している。これら継続的なコスト圧力に対して、デフレ時代のようなコスト削減に頼るだけでは限界がある。企業としては、継続的に増えるコストを価格に転嫁していくことを考えなければならない。

ただ、その場合、単に価格を引き上げるだけでは、顧客は離れてしまう。そこで必要になるのは、顧客が納得できるストーリーであり、値上げを受け入れてもらう説明力である。そして、そのカギを握るのは、新たに追加される付加価値だろう。

インフレ時代の企業には、価値創造を通じて新しい商品を投入し、新たな市場を開拓して、より良いものを相応の値段で売る、売上と利益双方を増やしていく経営が求められていると言えよう。
2新しい環境への適応
これから先、企業が価値創造に臨むうえで注目すべきものにカリフォルニア大学のデイヴィッド・J・ティース教授が提唱した「ダイナミック・ケイパビリティ」(企業変革力)がある。これは、外部環境の変化に合わせて、企業が経営資源を再構成しながら、自己変革して行く能力である[図表3]。企業が自社の優位性を確保して行くには、環境変化に対する柔軟性が不可欠であり、自己変革を促す優れた人材を確保し、新技術や設備を導入して、イノベーションを起こすことが重要になる。
[図表3]オーディナリー・ケイパビリティとダイナミック・ケイパビリティの相違点
これに対して、企業内部の環境を最適化する能力は「オーディナリー・ケイパビリティ」(通常能力)と呼ばれる。これは、すでに持つ経営資源をより効率的に活用し、利益の最大化を図る能力である。コスト削減や効率化に注力し、ベスト・プラクティスを追求して、現状を最適化していく。オーディナリー・ケイパビリティは、定常的な状況のもとで効果的な能力と言える。

ただ、不確実性が高く変化の激しい時代には、現状に最適化された経営資源は、不適合なものになり、かえって企業の弱みに転じることもあり得る。そのような状況のもとでは「ダイナミック・ケイパビリティ」をより重視すべきだと言える。物価が離床を始め、中長期の構造変化が見込まれる現状は、変化の時代にあると捉えるべきだろう。

なお、この理論が紹介された経済産業省「2020年版ものづくり白書」には、デジタル技術の有用性が、とりわけ高く評価されている。デジタル技術には、変化を感知・補足し、企業を変容させる力がある。インフレ時代の企業経営には、デジタルのような新技術を取り入れて、環境への最適化を図ることが必要だと言える。

4――おわりに

4――おわりに

これから先の企業経営は、新たな価値の創出が肝になる。インフレ時代への突入という外部環境の変化に対応するには、企業の「ダイナミック・ケイパビリティ」を磨くことが有用である。それができれば、企業は売上と利益を伸ばし、業容を拡大させることができる。しかし、その逆に、新たな価値が創出できなければ、コストに圧迫されて厳しい状況に置かれるということでもある。

これまで日本企業は、リスクに備えて内部留保を貯め込み、リスクバッファーを確保しながらコスト削減で、現状への最適化を図るという「耐える経営」が常であった。しかし、低インフレの時代が終わり、物価が継続的に上がる時代になれば、内部留保の価値は、実質的に目減りしてしまう。

企業が持続的なインフレに打ち勝つには、これまでに蓄えてきたリスクバッファーを活かしつつ、成長投資といったリスクテイクを積極的に行い、新しい成長の芽を育てるしかない。付加価値の源泉となる優秀な人材をどれだけ確保し、新技術のビジネスへの取り込みをどれだけ早く進められるか。それが、企業の持続的な成長に不可欠な要素となるのではないだろうか。

これら企業が外部環境の変化から迫られる賃上げや成長投資といった取組みは、岸田政権が進める「新しい資本主義」と重なる部分も多い。今年6月に閣議決定された骨太方針には、賃上げ税制や補助金等によって賃上げ企業への優遇を強化し、予算・税制、規制・制度改革を総動員して、人への投資や設備・研究開発投資を喚起していくことが記されている。個人にとっても賃金が上がり、能力がフル活用できるフィールドが広がることは恩恵が大きい。政府・企業・個人の3者は、この点で同じ方向を向くことができている。

企業はこの追い風を活かして、自己変革を進めることができる。この歯車をうまく回し、日本全体が活力を高めていくことで、新たな成長軌道に入ることに期待したい。

【参考文献】
・経済産業省「2020年版ものづくり白書」(2020年5月29日)
・山下 大輔「日本の物価は持続的に上昇するか~消費者物価の今後の動向を考える」 ニッセイ基礎研究所 基礎研レポート(2022年5月26日)
・斎藤太郎「消費者物価(全国23年6月)-コアCPIは夏場以降、2%台の伸びが続く見込み」ニッセイ基礎研究所 経済・金融フラッシュ(2023年7月21日)
・矢嶋 康次「賃上げは適応力が左右する時代-インバウンドで安さの是正が進むかがポイント」ニッセイ基礎研究所 研究員の眼(2023年6月7日)
 
 

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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2023年08月03日「基礎研レポート」)

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【インフレ時代の企業経営(2)-コスト・カットから価値創造の時代へ】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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