2023年07月26日

日本の物価は持続的に上昇するか-消費者物価の今後の動向を考える

山下 大輔

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

2) 企業の価格転嫁
しかし、このように物価が将来上昇するという予想が広がっているからといって、企業が簡単に価格を引き上げられるわけではないだろう。企業が価格を十分に引き上げないなら、物価が将来上昇するという予想もやがて修正されることになるはずだ。

日銀短観の2022年3月調査によると、確かに小売業では仕入価格の上昇に伴って販売価格を引き上げる傾向がみられた。しかし、宿泊・飲食サービスでは仕入価格上昇の割に販売価格の引き上げが限定的にとどまり、レジャーや教育などの対個人サービスでは、販売価格を引き下げるなど、仕入価格DI(上昇-下落)と販売価格DI(上昇-下落)の乖離幅が拡大しており、価格転嫁が十分に行われていない状況が示唆されている1
日銀短観の販売価格DI/日銀短観の販売価格DIと仕入価格DIの差
そのため、確かに消費者の間では将来物価が上昇するとの予想が広がっているようにみられるが、価格転嫁が十分に行われ、物価が上昇する品目が全般的に広がっていくとは限らない。

価格転嫁が起こるかどうかは、必需品か奢侈品かなどの個別品目の特性に由来する。食品や光熱費のように、価格が上がっても消費量を大きく減らすことが難しい財の場合、企業からすれば、価格引き上げによる負の影響が相対的には大きくならないと考えられ、価格を引き上げやすいだろう。

また、食品価格については、「価格改定時期の同調性」があると指摘されており(日本銀行(2022))、他社が値上げをするなら自社も値上げをするといったように、値上げが値上げを呼び価格上昇が加速しやすい状況となる可能性もある。

必需品については、消費者としても需要を減らしにくく受け入れざるを得ない場合が多いだろう。他方で、レジャーや宿泊・飲食サービスなどでは、価格引き上げによる需要減少を懸念して、コスト増に直面していても価格を引き上げにくい状況に置かれやすくなる可能性がある。過去の実証分析でも食品や光熱水道費の需要の価格弾力性は相対的に低く、教養娯楽の弾力性は相対的に高いとされている(内閣府(2019))。

また、賃金が上昇しない状況では、食品や光熱費、ガソリンなどの価格上昇により、実質的な所得の減少が生じて、それら以外の消費に振り向ける余裕が失われることにつながりうる。
消費者物価指数(基礎的支出項目・選択的支出項目) 実際、消費者物価指数の各品目を必需品か否かに分類して作成された基礎的・選択的支出項目別指数2によれば、エネルギーや食料の多くを含む基礎的支出項目は前年比で4.8%と大きく上昇している。それに比べて、選択的支出項目は、携帯電話通信料の大幅引き下げの影響を除いても限定的な上昇にとどまる。

加えて、レジャーや宿泊・飲食サービスは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大や緊急事態宣言等の経済活動の制限により休業を迫られるなど、需要が大きく落ち込んだ産業である。そのため、感染状況が落ち着いて需要が大きく回復する状況であっても、コスト増による価格の引き上げは限定的に留めざるを得ない状況に置かれやすくなる可能性がある。
 
1 仕入価格DIには下方硬直性ないし上方バイアスがあり、販売価格DIには上方硬直性ないし下方バイアスがあるが(鎌田、吉村(2010))、価格転嫁が難しいとの認識がそのバイアスを強めている可能性もある。
2 家計調査から得られる支出弾性値の大きさにより、支出弾性値が1未満の品目を基礎的支出項目、1以上の品目を選択的支出項目としている。
物価上昇に対する受け止め方 3) 消費者の値上げへの態度
企業の価格転嫁行動が、消費者の値上げに対する反応に大きく影響を受けるのは当然だ。日本の消費者の値上げへの抵抗感はことさら強いとされる3。もちろん、消費者が値上げを歓迎しないのは当然である。しかし、価格がずっと変わらないことに慣れているのは日本の特徴である。
消費者物価・加重中央値(日本、アメリカ) 消費者物価指数の品目別の前年比上昇率の分布を把握するために加重中央値4に着目すると、日本の消費者物価指数の前年比上昇率の加重中央値は、概ね0%程度で推移している。これは、アメリカでは最近を除いて2%前後で推移してきたことと対照的だ。

Rotemberg (2005)は、価格硬直性を説明する観点で、消費者が、価格が不公正であると感じたときのみに価格引き上げに対して否定的に反応するモデルを構築した。そのモデルに即して考えれば、日本の消費者は財・サービスの価格は大きく変わらない状況を当然のことと考えて、値上げ自体を不公正と捉えている可能性がある。
消費者物価指数(品目の年間購入頻度階級別指数) なお、消費者の物価上昇の認識は購入頻度の高い財の価格上昇に強く影響を受け、物価上昇の認識が高いほど、値上げを否定的に捉える傾向があるとする指摘もある。高橋・玉生(2022)は、日本銀行の「生活意識に関するアンケート調査」の個票データを用いて、1年前と比べた現在の物価変動の定量的な認識(「インフレ実感」)には、食料工業製品や石油製品、住宅価格が大きく影響を与えていることや、インフレ実感が上昇すると、値上げを「困ったこと」だと回答する傾向が強まることを明らかにしている。これを踏まえれば、エネルギー価格の上昇や食料品価格の上昇は、家計のインフレ実感を上昇させ、家計が値上げを否定的に捉えるようになる可能性が高い。値上げへの拒否感の高まりは、価格上昇の広がりを限定的にする方向で寄与しうる。

以上を勘案すれば、確かに予想インフレ率は上昇しているが、原材料コスト増の価格転嫁の度合いについては、食料品などの必需品とレジャーなどの奢侈品で違いが生じる可能性が高いだろう。また、エネルギー価格や食料品価格の上昇は消費者の値上げへの拒否感を高め、それ以外の財・サービスにおける価格転嫁を控えめにさせる方向で寄与するだろう。結果として、上昇した予想インフレ率はやがて下落する方向に修正されると見込まれる。ただし、価格が上がる状況をある程度継続的に経験し、物価上昇の環境に慣れることで、消費者の値上げへの態度や企業の価格設定行動が変化し、予想物価上昇率の基調が上昇する可能性もある。
 
3 渡辺(2022)は、日本と米国の消費者に対するアンケート調査の結果から、日本の消費者は、米国と比べて値上げに敏感な一方で値下げに対してはそれほど敏感でないことを指摘している。
4 品目別価格変動分布の上昇率の高い(低い)順から数えてウエイトベースで 50%近傍にある品目の価格変化率
(4)サービス価格
ところで、消費者物価を財とサービスに分けると、サービス価格の変動は相対的に小さい。2000年前後から、消費税率引き上げ時を除けば、サービス価格は前年比上昇率が0%の周囲を推移し続けていた。直近では携帯電話通信料引き下げの影響で大きく下落しているが、その影響等を調整すれば、依然として、サービス価格は概ね横ばいだ。

サービス価格は、賃金との連動性が高いとされており、賃金が継続的に上昇する環境とならなければ、サービス価格の基調としての上昇は期待しにくいと考えられる。
消費者物価指数の推移(財、サービス別)/賃金の推移

4――まとめ

4――まとめ

消費者物価指数は、資源価格高騰に端を発して上昇しており、22年度中は2%程度で推移すると予測されている。エネルギー価格に加え、食料品価格は上昇しており、ロシアによるウクライナ侵攻による資源価格や円安の動向を踏まえて、食料品価格の上昇ペースが加速し、一時的には物価上昇率は大きく上昇する可能性もある。しかし、原材料コスト増の価格転嫁は十分に進んでおらず、消費者の値上げに対する態度、サービス価格のこれまでの動向などを踏まえれば、消費者物価の上昇が広範な品目に拡大し、更には基調として毎年2%程度上昇するような状況に変化していく可能性は低い。ただし、今後の消費者物価上昇率の動向は、今後の財政金融政策5や価格転嫁促進政策、為替レートの動向などに多分に影響されうる点に留意が必要だ。
 
5 たとえば、Jordà.et al (2022)は、アメリカの消費者物価上昇率が他の先進国より高い理由として、コロナ禍での財政拡張の規模が大きいことをその要因として指摘している

(参考文献)
黒田東彦(2021)「最近の金融経済情勢と金融政策運営─名古屋での経済界代表者との懇談における挨拶─」、日本銀行ウェブサイト
高橋悠輔、玉生揚一郎(2022)「わが国における家計のインフレ実感と消費者物価上昇率」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.22-J-2
内閣府(2019)『日本経済2018-2019』
日本銀行 (2022)『経済・物価情勢の展望 2022年4月』
渡辺努編(2016)『慢性デフレ 真因の解明』、日本経済新聞出版
渡辺努(2022)『物価とは何か』、講談社
Jordà, Òscar, Celeste Liu, Fernanda Nechio, and Fabián Rivera-Reyes (2022), “Why Is U.S. Inflation Higher than in Other Countries?”, FRBSF Economic Letter 2022-07
Rotemberg, Julio J.(2005), “Customer anger at price increases, changes in the frequency of price adjustment and monetary policy.”, Journal of Monetary Economics, vol. 52(4), pp.829-852.
 
 

(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2023年07月26日「ニッセイ基礎研所報」)

このレポートの関連カテゴリ

Xでシェアする Facebookでシェアする

山下 大輔

研究・専門分野

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【日本の物価は持続的に上昇するか-消費者物価の今後の動向を考える】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

日本の物価は持続的に上昇するか-消費者物価の今後の動向を考えるのレポート Topへ