2018年11月28日

「人生100年時代」の暮らし方-どう過ごす?! 定年後の「10万時間」

土堤内 昭雄

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2|地域社会への「再就職」
東京などの大都市圏では職住分離が進み、勤労者は郊外の自宅から都心の職場に通うケースが多い。現役時代は居住地で過ごす時間は短く、地域コミュニティを持たない人もいる。定年退職後は地域での生活時間が長くなるが、あらたな地域社会の人間関係や意思決定などの行動様式は、ヒエラルキー型の企業社会とはさまざまな点で異なるものだ。

また、地域社会は女性がマジョリティで、男性は企業社会ではあまり経験したことのない少数派だ。年齢別性比(男性対女性)をみても、65歳以上では3対4、75歳以上では2対3、100歳以上になれば1対6になるなど、高齢社会は女性が多数派だ。定年を迎えた男性が地域社会でうまく暮らすには、男女の性別を超えて適切に会話するスキルが必要だ。

地域社会への「再就職」を成功させるためには、ちょっとしたコツがいる。職業生活で蓄積してきた能力やノウハウを活かしつつも過去の成功体験に引きずられないこと、地域にはさまざまな価値観を持つ人がおり、たとえ相容れない場合も頭を柔軟にして聞き上手になることが必要だ。自慢話をしない、みえを張らない、年長風を吹かせないことなどを心掛けていれば、自ずと地域社会における人の輪が広がっていく。

近年、一人暮らしでだれとも話す機会のない「ひとり社会」が拡大、高齢期のメンタルヘルス問題の深刻化や認知症の増加につながっている。統計的にはうつ病は男性より女性に多いものだが、高齢期の自殺者は男性の方が多い。男性は定年後にあらたな人間関係を築くことが苦手な人も多く、困ったときに相談できる人がいないことがひとつの要因だ。「ひとり社会」が広がる時代を安心して暮らすためには、地域社会をはじめとした幅広い仲間づくりが不可欠であり、認知症予防にも効果的だろう。
3|名刺のない暮らし
定年後の暮らしで大きく変わる点は、「名刺のない暮らし」が始まることだ。重松清著『定年ゴジラ』(講談社文庫、2001年)という作品に退職したばかりの男性ふたりが挨拶するシーンがある。『二人は同時に上着の内ポケットに手を差し入れた。しかし、ポケットの中にはなにも入っていない。もはや名刺を持ち歩く生活ではないのだ。二人は顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑いを浮かべた』。

名刺には自分の名前のほかに勤務する企業名、所属部署、役職、連絡先など、少なくとも自分を語る上で最小限の重要な情報が書かれている。この小さな紙片を交換することで、サラリーマンはお互いの社会的位置関係を把握し、円滑なコミュニケーションを始めることができる。定年後も会話の糸口や地域のネットワークづくりのために、地域活動などのプライベート名刺の活用も有効だろう。

少子高齢化が進展し、定年後の退職者の役割はまだまだ大きい。長寿社会における長い高齢期には、名刺のない「生き方」が求められる。定年後は「会社」のためから「社会」のためになる自己の「活き方」が大切だ。それが人生の幸せな最期を迎える「逝き方」にもつながるからだ。
4|「老いる力」を鍛える
長寿時代を迎えた今日、重要になるのが「老いる力」だ。「老いる」とは一体どのようなことなのか。天田城介著『老い衰えゆくことの発見』(角川選書、2011年)には、『<老い衰えゆくこと>とは、「できない現在の自分」「できなくなった現在の当事者」に直面しながらも、それでも「できていた過去の自分」ないしは「できていた過去の他者」のイメージに引きずられ、それに深く呪縛されながら苦闘する日々の出来事なのだ』とある。

つまり、「老いる」とは成長神話との葛藤のなかで、自己のさまざまな能力の衰退・喪失の変化を自尊心を持って受け容れるプロセスなのだ。過去の「できた自分」に呪縛されるのは、自分自身が「成長」という価値観に支配されているからかもしれない。高齢期にはこれまで人生を評価してきた「成長」という尺度に替えて、あらたな価値観に基づいて生きるための意識の切り替えが必要ではないだろうか。

「老いる力」はアバウトで好い加減に生きる「あそび」(Redundancy)の力でもある。それは今の日本の社会デザインにも求められる。日本社会では論理的、効率的、合理的なことばかりに目を奪われ、直感や非合理性などの要素を加えた多元的視点が薄らいでいるように思える。現代社会は重要な「あそび」を失っているのかもしれない。

「老いる力」は多様性を発見し、「あそび」をつくり出す。多様な人材構成の組織や社会は活力を有し、「あそび」が加わることで安全性と安心感が増す。長寿社会・日本にとって、膨大に埋蔵する「老いる力」を有効活用することが重要だ。「人生100年時代」こそ、個人も社会も既存のパラダイムにとらわれず柔軟に思考や行動のできる「老いる力」を鍛えることが求められている。
 

おわりに~「アイデンティティ」の時代へ

おわりに~「アイデンティティ」の時代へ

前述の『定年ゴジラ』の中には、定年になったサラリーマンが次のように語る場面がある。『「余生」って嫌な言い方だと思わないか。余った人生だぜ? ひでえこと言いやがるな、昔の奴は。でも、うまいこと言うもんだよ。余りだ、余り、俺たちがいま生きてるのは、自分の人生の余った時間なんだよ。そんなの楽しいわけないよな』。

一日の生活時間をみても、長くなった人生をみても、これまで「余り」と思われていた部分が、今、非常に大事な時代を迎えている。「余暇」を余った暇な時間だとか、「余生」を余った人生の時間と捉えていては、確かに「生きること」が面白いわけがない。「余り」の時間や人生こそが肝心だと思える意識転換が必要ではないだろうか。

充実した「余暇」を過ごすために睡眠や仕事などの1次・2次活動があり、人生の収穫期である定年後を豊かに暮らすために職業生活がある。ただ、定年後の趣味も大事だが、それだけでは長い高齢期を生きぬくことはできない。われわれが幸せな人生を全うするためには、常に「生きがい」を持つことが重要だ。自らの能力を活かし、社会に貢献することが「生きがい」を創出する。

サラリーマンはいつか定年の日を迎える。仕事から解放された時、アイデンティティをどこに求めたらよいのだろうか。他者から必要とされることが自らの居場所をつくり、アイデンティティの形成につながる。「人生100年時代」の定年後の「10万時間」を幸せに生きる上で、定年後のアイデンティティの獲得がきわめて大きな役割を果たすだろう。これまでの生活時間や人生の重心を少しシフトすると、あらたなアイデンティティ発見のためのライフデザインが見えてくる。
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土堤内 昭雄

研究・専門分野

(2018年11月28日「基礎研レポート」)

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