コラム
2013年06月17日

現代“オリンピック精神”とは -「参加することに意義がある」再考

土堤内 昭雄

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1894年6月23日、パリのスポーツ競技者連合の会議で、国際オリンピック委員会(IOC)の設立と近代オリンピックの開催が決まり、IOCがこれを記念して6月23日を「オリンピックデー」とした。今、日本では2020年夏季五輪招致活動がたけなわだが、ここでオリンピック精神(オリンピズム)を象徴する『オリンピックは参加することに意義がある』を思い起してみよう。

日本オリンピック協会(JOC)のホームページによると、この言葉は「近代オリンピックの父」クーベルタン男爵の創作ではなく、1908年ロンドン大会で英米両チームが対立して険悪ムードだったとき、アメリカの司教がセントポール大寺院の礼拝で述べた言葉にクーベルタンが感動し、英国政府主催の晩餐会で引用したものだという。『人生にとって大切なことは成功することではなく努力すること』という趣旨で、オリンピックの理想を表現する名句となったとある。

日本が高度経済成長期にあった1964年の第18回東京オリンピック当時は、この言葉をよく聞いた覚えがある。それから約半世紀を経て社会が成熟した今、「オリンピックは勝つこと」「オリンピックはメダルの数」という風潮が広がっているようにもみえる。このような状況の中で、現代“オリンピック精神”における『参加することに意義がある』の含意とはなんだろう。

前回2016年のオリンピック招致の東京の敗因のひとつは、国内支持率の低さだったと言われている。今年3月のIOC評価委員会が行ったアンケート調査結果では、前回の2016年招致時の56%から70%へ大きく上昇し、他の立候補都市のイスタンブール(83%)やマドリッド(76%)にも近づきつつある。

国内支持率とも関係するが、成熟社会のオリンピック開催で最も重要なことは、その開催プロセスが国民に開かれており、如何に多くの人々が参加できるかではないだろうか。残念ながら、今回の東京の開催コンセプトや施設計画などは、行政当局やスポーツ関係者、大手広告代理店などにより、いつの間にか策定されたという印象を拭えない。出来上がった計画をもとに国民参加を促しても、人々の気持ちは余り盛り上がらないだろう。

『オリンピックは参加することに意義がある』と言った場合、その参加主体にはアスリートやその関係者に加えて、支援する国民が重要な主体となる。スポーツは「する人」「観る人」「支える人」など多くのステークホルダーの参加から成り立っている。オリンピック招致においても、多くの国民が「支える人」として誇りに思えるような招致活動への参加の枠組みが求められているのではないだろうか。

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(2013年06月17日「研究員の眼」)

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