NEW
2025年11月05日

新たな局面に入るロシア制裁・ウクライナ支援

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

文字サイズ

ウクライナ向け軍事支援では米国製武器を米国以外の加盟国が購入するNATOの枠組みが始動

独キール経済研究所がまとめている「ウクライナ支援トラッカー」によれば、ウクライナへの支援額では欧州主導の傾向が強まっている(1ページ図表参照)。第2期トランプ政権の発足後、米国からのウクライナへの新たな支援額は計上されなくなっていることによる。

欧州の安全保障に米国をつなぎとめるため、北大西洋条約機構(NATO)は、今年6月の首脳会議での米国が求めた国防費の2035年目標をGDP比5%に引き上げを決めた。さらに、7月には、ウクライナが必要とする米国製の武器を米国以外の加盟国が資金を負担して購入し、ウクライナに供給する「ウクライナ優先支援要件リスト(PURL)」イニシアチブを制度化した。8月には、PURLイニシアチブへのオランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、カナダによる資金の供出が発表されている14

増大する欧州のウクライナ支援負担

増大する欧州のウクライナ支援負担

ウクライナ支援では、戦闘の長期化と米国の資金支援の縮小により、欧州諸国の負担は増している。EUの集計によれば、EUと加盟国が提供してきた支援は既に1775億ユーロに達している15。この先も、ウクライナは、軍備と復興の両面で多額の資金を必要とするが、政府債務が高水準のイタリア、財政懸念が強まるフランスなど、大国でも財政余地は狭まりつつある(図表7)。各国は、2035年の国防費5%目標に向けた自国のための予算も確保しなければならない。

EUのウクライナ向けの支援で活用されてきたEU債の発行にも制約がある。EU債の発行は、コロナ禍対応の最大1000億ユーロの「緊急時の失業リスク緩和のための一時的支援策(SURE)」、コロナ禍からの復興のためのおよそ8000億ユーロの復興基金「次世代EU(NGEU)」のための債券発行もあり、2020年代に入って急増した(図表8)。ウクライナ支援関連では、23年にEUの第3国向けの支援の枠組みの「ウクライナMFA+」に基づいて180億ユーロ、2024年から2027年までの「ウクライナ・ファシリティー」として最大330億ユーロ、25年の「ウクライナ融資調整メカニズム(ULCM)」の180億ユーロなどの事例がある。うち、ULCMは、24年6月のG7プーリア・サミットで合意した約500億ドル(450億ユーロ)の枠組みの一環で、後述の凍結されたロシアの資産の運用収益が返済原資として活用される。EU固有の枠組みのためのEU債の償還原資はウクライナからの返済だが、EU予算から保証を提供しており、ウクライナが返済不能となった場合には、加盟国の負担で損失を吸収することになる。

今後は、NGEU債の新規発行は2026年で終了するが、新たに2026年から2030年まで欧州の防衛力強化のための融資制度「SAFE」のための最大1500億ユーロの債券発行が予定される。ウクライナの安全保障は欧州の問題との意識は共有されているが、EU加盟国にはドイツやオランダなど、なし崩し的な財政規律の形骸化、債務の共有化への抵抗が強い国もある。EU債の発行頼みでウクライナ支援を増やし続けることも難しい。
図表7 主要先進国一般政府債務残高対GDP比(単位:%)/図表8 EU債の発行残高
 
15 EU assistance to Ukraine による。936億ユーロの経済・社会・金融支援のほか、632億ユーロの軍事支援、170億ユーロのEU圏内のウクライナ人支援、37億ユーロのロシアの凍結資産の活用の合計

ロシアの凍結資産の運用収益

ロシアの凍結資産の運用収益のウクライナ支援活用は制度化済み。補償ローン検討の段階に

支援負担の増大と財政制約を背景に、EUは、ウクライナ支援の新たな財源として、22年2月28日の第3弾制裁パッケージで凍結したロシアの資産の活用を模索する動きが強まっている。

すでに24年5月には、凍結されたロシア中央銀行資産を保有する中央証券預託機関(CSD)、特にベルギーのユーロクリアが保有するロシア中央銀行資産から生じた運用収益を活用する法的枠組みが発効している16。ユーロクリアが保有するロシアの凍結資産は1940億ユーロある17。EUが凍結した資産の90%、西側による凍結資産の3分の2相当と推定される18

規則によれば、運用収益の90%はウクライナの軍事支援の枠組みである「欧州平和基金(EPF)」に、10%はEU予算を経由して復興支援に充てる。ユーロクリアは、この規則に従って、24年中に35億ユーロを支払い19、25年上半期分として16億ユーロを支払う20と公表している。

運用収益の活用に続いて検討されているのが、凍結したロシアの資産をウクライナ向けの融資の原資に活用し、融資の返済をロシアの賠償金の支払い後とする「補償ローン」の枠組みである。補償ローンの制度設計に関わる政策文書等は公開されていないが、1400 億ユーロ規模と報じられている21。これまでの支援の累計額に匹敵するほどの規模が想定されていることになる。

補償ローンの合意

補償ローンの合意は12月首脳会議に先送り。法律上の問題、ベルギーの懸念への対応が焦点

補償ローンの議論は、10月1日にデンマークで行われた欧州の共通防衛とウクライナ支援に関する非公式会合ではまとまらず、10月23日のEU首脳会議で再協議されたが、「次回12月(18日)の会合で再審議できるよう、欧州委員会に可能な限り早く、ウクライナの財政ニーズの評価に基づく支援の選択肢を提示し、欧州委員会と閣僚理事会が作業を進めるよう要請」22するとし、結論をさらに先送りした。

凍結した資産をウクライナ支援に流用することは、「国際社会における基本原理として存在している所有権の確立に対する大きなチャレンジ」であり、「法律上の大きな問題」23となる。EUが検討している補償ローンを巡っては、加盟国の間でも見解が分かれており、特にユーロクリアが拠点を置くベルギーが訴訟のリスクを危惧し、譲歩を拒否しているとされる。融資の返済原資とされるロシアの賠償金が支払われる可能性は高いとは言い難い。ベルギーは、訴訟リスクの完全な分担、仮に返済が必要となった場合の全加盟国の協力、ロシアの資産を持つすべての国が共同歩調をとることを求めたとされる。

補償ローンを巡る合意の行方は次回の首脳会議の焦点の1つだ。法律上の問題、ベルギーの懸念にどう対応するのか、凍結した資産の取り扱いを巡って必要となる「全会一致」を実現できるのかが焦点となる。
 
22 European Council meeting (23 October 2025) EUCO 19/25
23 前掲、鈴木(2025)219頁

EU懐疑派政権の増加

EU懐疑派政権の増加はロシア制裁・ウクライナ支援継続のリスク

EUは、既存のロシア制裁に関しても、半年に1度、延長の可否を全会一致で決定している。加盟国内にEU懐疑派の政権が増えれば、制裁強化ばかりでなく、制裁の継続の難易度も増す。

既述のとおり、第18次、第19次制裁では、ハンガリーとスロバキアが採択遅延の原因となった。ハンガリーはウクライナへの軍事的・財政的支援にも反対しており、10月の首脳会議のウクライナ支援関連の合意は、首脳会議の「結論」とは別に、26か国の首脳による共同文書として採択された。

チェコでは、10月の下院選でANOが第1党となり、党首のバビシュ前首相率いる右派3党の連立政権が発足する。連立パートナーの2党は、ANO以上に親ロシアで、EUの外交安全保障政策の権限に対して懐疑的である24。チェコの連立3党は、NATOやEUからの離脱は政策テーマとしないことで合意しているが、新たな局面に入ろうとしているロシア制裁、ウクライナ支援に、どのような姿勢で臨むかは、現時点では不透明である。

ハンガリーのオルバン首相、スロバキアのフィツオ首相、ポーランドのナブロツキ大統領25、チェコのバビシュ首相と、友好と協力のための「ヴィシェグラード・グループ」を構成する中欧4カ国のトップが揃ってEU懐疑派となった。来春、総選挙を控えるハンガリーのオルバン首相の再選の行方とともに、中欧の政治の変化が、今後のEUの意思決定に及ぼす影響も注目したい。
 
24 Chapel Hill Expert Survey (CHES)2024, Feb 2025
25 ポーランドからEU首脳会議に出席するのは政府の長である首相であり、現在は、親EU派のトゥスク首相が出席している。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年11月05日「Weekly エコノミスト・レター」)

Xでシェアする Facebookでシェアする

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2015~2024年度 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017~2024年度 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022~2024年度 Discuss Japan編集委員
    ・ 2022年5月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
    ・ 2024年10月~ 雑誌『外交』編集委員
    ・ 2025年5月~ 経団連総合政策研究所特任研究主幹

週間アクセスランキング

ピックアップ

お知らせ

お知らせ一覧

【新たな局面に入るロシア制裁・ウクライナ支援】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

新たな局面に入るロシア制裁・ウクライナ支援のレポート Topへ