コラム
2016年04月11日

百寿の祝と「なんだかな~」-『自世代の幸せ』と『次世代の幸せ』-

中村 昭

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先日、伯母がめでたく百歳の誕生日を迎え、親族で百寿の祝宴を催しました。祝宴と申しましても、当人が特別養護老人ホームに入居中で、外出もままならない状態ですので、お弁当類を持ち込んでのささやかな食事会でした。
伯母は、唯一の近親であった私の父が2年前に亡くなって以来、加齢もあいまって認知症状が急速に進行しました。甥である私のことも良く認知できず、かつての同僚、あるいは教え子、はたまた父親と、会うたび毎に違う人と取り違えて、楽しそうに話しかけてくれます。一方、気力体力はまだまだ盛んで、食事会当日も、ケーキに立てた10本(100本は無理なので)のローソクを元気に吹き消し、用意したお弁当に喜々として箸を運んでくれました。
 
さて、家族の祝宴に先駆けて、前年の敬老の日に、自治体から伯母宛に百寿の祝が届きました。頂戴して初めて解かったのですが、百寿の祝は、国・都道府県・市区町村の各レベルの自治体から贈られてきます。内訳は、内閣総理大臣からの書状と銀杯、東京都知事からの書状と江戸伝統工芸品、杉並区長からの書状とカタログギフトでした。百歳という長寿は、古希をも大きく越える、まさに稀な慶事であり、税金を使ってでも祝う価値があるということなのでしょう。
とは申しましても、「人生七十古来稀也」は昔話に転じ、今や、百歳ですら稀とは言いきれない時代です。百歳以上の人口は、1963年には全国で153人だったのですが、昨年の敬老の日の時点で6万1568人にまで増加しています。この50年余りで、400倍の増加となったのです。
 
一方、少子化の進行とともに、赤ちゃんの数は激減しています。今年の正月には、2015年の新生児の出生数が100.8万人となり、5年ぶりに増加に転じたという明るいニュースが報じられました。ただ、この100.8万人という数字は、決して大きなものではありません。現在、長寿国日本には、“古来稀也”といわれた70歳の方が166.4万人、さらに高齢の80歳の方でも108.6万人(2014年10月1日現在推定)が暮らしておられます。今や、高齢者ではなく子供たちのほうが、稀な存在へと変わってきているのです。
 
それでは、この稀な存在へと転じてしまった、日本の子供たち達に対する公的支援の状況はどうでしょうか。社会保障費全体のなかで、子供や子育て世代を対象として支出されている公的費用が、どの程度の割合にあるのかを調べてみます。実は、日本の配分割合は4.2%に過ぎず、他の先進5カ国(米・英・独・仏・スウェーデン)の平均である9.5%と比べまして、半分にも満たない水準なのです1。(逆に、高齢者への日本の配分は、他の先進5カ国平均を大きく上回る水準にあります。)
貴重な宝である子供たちに対しての支援は、諸外国と比べて大きく劣っているのが現状です。私も高齢世代入りが近づき、自身の老後生活への不安も多々感じております。しかしながら、『自世代の幸せ』も大切ですが、たとえ我が身を削ることとなったとしても、もっと『次世代の幸せ』に光をあてていくべきではないかと考えております。
 
伯母の居室には、各自治体から頂戴したお祝いの品々を、すべて飾れるスペースはございませんので、その多くを部屋の隅に重ね置いております。お祝いの手厚さに、親族として感謝の念を抱きつつも(伯母自身は、お祝い自体がよく認知できていません)、やはり過剰感も拭えません。
重ね置いた品々に眼をやりますと、「なんだかな~」という思いが胸をよぎります。
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中村 昭

研究・専門分野

(2016年04月11日「研究員の眼」)

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