2|「徘徊」は目的があることを理解できる『長いお別れ』
同名の小説を映画化した2019年製作の『長いお別れ』も認知症ケアを真正面から取り扱っています。映画は認知症になった東昇平(山崎努)、少し天然キャラの妻の曜子(松原智恵子)、夫の仕事で米カリフォルニアに住んでいる今村麻里(竹内結子)、カフェを経営する夢を持っている芙美(蒼井優)という2人の娘を中心にストーリーが展開して行きます。
元々、昇平は中学校の国語教師だったのですが、70歳の誕生日を境に認知機能に変化が見られるようになります。やがて生活に支障が出るようになり、大学の同期の通夜に来ているのに「中村死んじゃったのか!」と大声を出し、一緒に参列した芙美を困らせます。さらに、認知症が悪化した段階ではスーパーでボンタン飴などを万引きし、曜子が平謝りするシーンもあります。
しかし、「認知症になった人=何も分からなくなった人」という前提でストーリーは進んで行きません。例えば、昇平が現役の頃に慣れ親しんだ漢字の知識は消えておらず、通っているデイサービスでのクイズでは全問正解。アメリカ育ちの麻里の息子、今村崇(蒲田優惟人)を前に「混凝土(コンクリート)」「子守熊(コアラ)」「美人局(つつもたせ)」といった漢字ドリルの難題を全て言い当て、驚いた崇が「漢字マスター」と呼ぶ一幕もあります。さらに、崇が「おじいちゃん多くのことを忘れてしまったけど、それほど悲しそうに見えない。僕は今のおじいちゃんを嫌いじゃないです」というメッセージをアメリカのガールフレンドに送る場面もあります。
映画の中盤では、昇平が行方不明になり、曜子と芙美、たまたま帰国していた麻里が慌てふためく一件が起きます。少し前から昇平にはGPS機能付きの携帯を持たせていたため、期せずして3人は昇平の所在地を探り当てるのですが、その場所は遊園地でした。しかも、昇平はメリーゴーランドに乗っています。ホッとする中、やがて曜子は麻里、芙美が幼かった頃、雨が降りそうだったので、昇平が家から傘を持って来てくれたエピソードを思い出します。さらに、曜子が「迎えに来てくれたのね、今日も」といって指を差した先には傘が3本、メリーゴーランドの入口に置かれていました。
この描写は近年、認知症の人が外出してしまう行為を「徘徊」と呼ばなくなっている点と符合しています。手元の辞書では「徘徊」を「あてもなく歩き回ること」と書いていますが、映画で「雨が降りそうなので、出掛けている3人に傘を持っていかなければならない」と思った昇平のように、認知症の人にとって相応の理由があれば、それは「あてもなく…」とは言い切れないはずです。
例えば、認知症の人は方向感覚を失う時があるため、散歩している間に道に迷ったのかもしれません。さらに認知機能の低下に伴って時間の感覚が失われた結果、実際には既に取り壊された実家に帰りたいとか、既に引退しているのに「会社に出勤する時間だ」と考えているのかもしれません。つまり、認知症の人ではない人にとって、非合理的で目的がない外出に映ったとしても、認知症の人にとっては目的があるのかもしれません。こうした認知症の人の行動を全て「徘徊」という言葉で一括りにしてしまうと、認知症の人の内面や心情を理解できなくなります。
実際、福岡県大牟田市は認知症の人の行方不明などを防ぐ訓練の名称から「徘徊」という言葉を外し、2015年から「認知症SOSネットワーク模擬訓練」という名称で実施するとともに、市の目指す理念も「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出できるまち」に変えました
4。兵庫県、東京都国立市、愛知県大府市、兵庫県川西市、鳥取県鳥取市、同米子市なども「徘徊」という言葉を使わないようにしている
5らしく、認知症の人が感じやすいスティグマに考慮する対応と言えます。ちなみに、本稿でも「一人歩き」という言葉を用いました。
4 2018年3月25日『朝日新聞』。
5 2018年12月17日『読売新聞』オンライン。