(2) パンデミックのBCP対策として世界的に発動された在宅勤務(働く場のBCP対策と働き方改革)
新型コロナのパンデミックを受けて、世界各国で非常事態宣言やロックダウンなどウイルス封じ込め政策が取られたことにより、欧米やアジアなど世界の企業の多くは、在宅勤務によるテレワークをBCP対策として発動し、オフィスワークを停止または大幅削減した。
我が国でも、緊急事態宣言の下での外出自粛要請に対応して、産業界では在宅勤務でのテレワークが緊急避難的に大規模に導入された。従って、今回の在宅勤務体制へのシフトは、従業員が時間・場所にとらわれない多様で柔軟な働き方を個々の事情に応じて自らで選択できるようにする「働き方改革」とは、全く次元が異なるものである。緊急事態宣言解除後も、ワクチンや治療薬の確立により新型コロナを終息させるまでのウィズコロナ期では、感染拡大を警戒せざるを得ない状況が現在も続いており、感染防止のために在宅勤務を中心とした働き方を維持する企業も多くある。
ただ、従業員はこれだけ長期間の在宅勤務を半強制的に強いられると、対面でのコミュニケーション不足による不安感・孤独感など精神的ストレスが高まってしまうだろう。さらに在宅勤務の生産性は、自宅での環境要因によって大きな格差が生じかねない。例えば、自宅にオフィス家具がないと肉体的疲労が大きく、生産性が低下してしまうだろう。
企業が在宅勤務での生産性格差を是正するためには、従業員が自宅の環境を整えるための金銭的支援を行うのも一法だが、従業員が自宅に近いサテライトオフィスでテレワークができるようにすることが設備・コスト面から最も有力な選択肢だろう。サテライトオフィスとしては、ディベロッパーなど専門業者が運営する施設の法人向け会員制サービスなどの利用がまず考えられるが、最近はビジネスホテルでも宿泊客が大幅に減少する下で、テレワーク需要を新規開拓するために割安なテレワークプランを売り出す施設が散見され、在宅勤務を補完する選択肢の1つとなろう。さらに、企業が賃借または自社所有のオフィスにて独自にテレワーク向けのワークスペースを用意することも一法だろう。ウィズコロナ期では、テレワークの場の選択肢として従業員の居住地近隣のサテライトオフィスへも拡大すべきだ。
コロナ後には、企業は緊急事態宣言下・ウィズコロナ期のような同質的な在宅勤務一辺倒ではなく、取り戻した日常に最適な働き方やワークプレイスの在り方を冷静に再考するべきだ。アフターコロナでは、人々の生活や働き方が大きく変わるニューノーマルが訪れると言われているが、オフィス戦略を含めた企業経営には変えてはいけないものもある。
人間は本来リアルな場に集いコミュニケーションを交わしながら信頼関係を醸成し、協働して画期的なアイデアやイノベーションを生むことで社会を豊かにしてきた。このような人間社会の在り方をモチーフにしたものが、まさにオフィスの在るべき姿だ
22。ところが新型コロナにより、人間は実世界での活動が大きく制限され、在宅勤務などサイバー空間に追いやられた。インターネットやAI(人工知能)などサイバーでのテクノロジーは、実世界を豊かにするために今後もしっかりと利活用することが欠かせないが、コロナ禍で制限されていた実世界での創造的な活動を取り戻すことこそが、ニューノーマルの在り方ではないだろうか
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イノベーション創出には、サイバー空間でのやり取りだけでは限界があり、リアルな場での濃密なコミュニケーションが欠かせないため、今後もメインオフィスの重要性は変わらない。経営者が在宅勤務で多くの業務をこなせると判断し、メインオフィスの重要性を不用意に低下させてしまうと、リアルな場でのやり取りが軽視されてイノベーションが停滞するリスクが高まるのではないだろうか。
メインオフィスの重要性とともに変えてはいけない原理原則は、従業員に働く場所や働き方の選択の自由を与えることだ。企業が多様で柔軟な働き方をサポートすることは、従業員の働きがい・快適性・幸福感を向上させ、活力・意欲・能力・創造性を存分に引き出すことにつながり、このことが生産性向上やイノベーションを生み出す土壌を醸成することになるからだ。
そのためにはメインオフィスでも、従業員同士の交流を促すオープンな環境や集中できる静かな環境など多様なスペースの設置が求められる(図表3)。しかし、従業員が気軽に集える休憩・共用スペースは、イノベーション創出のために確保しておくべき組織スラックであるが、リーン型の経営を徹底すれば、仕事に関係のない無駄なものとして撤去されてしまうだろう。また、様々な利用シーンに応じて多様性を取り入れたオフィス空間も、リーン型の経営者には極めて非効率な空間とみなされ、維持管理の手間やコストが相対的に掛からない画一的な空間に変更されてしまうだろう。これまで多くの日本企業がそうであったように、効率性のみを追求したリーン型のオフィス空間は、個性のない均質なものになってしまう。そうすると、目先の不動産コストは削減できても、それと引き換えに何よりも大切な社内の活気や創造性が失われ、従業員間の交流が阻害され、イノベーションが生まれない悪循環に陥ることになるだろう。従業員間のインフォーマルなコミュニケーションを喚起する休憩・共用スペースや多様性を取り入れたオフィス空間は、組織スラックと捉えることができるが、これらの組織スラックはイノベーションの源になる、と考えられる。効率性・経済性ありきの戦略は、結局中長期で見れば、経済的リターンをもたらさないと言える。創造性を育み、結果として中長期での経済的リターンを獲得するためには、「組織スラックに投資する」という発想が欠かせない。