3|医療費適正化計画を巡る議論(1)~特定健診でマクロの医療費を抑制できる?~
まず、実施から10年以上も経つにもかかわらず、メタボ健診がマクロの医療費抑制に繋がったエビデンスが示されていない点を指摘できる
27。当時は「生活習慣病の境界域段階で留めることができれば、通院患者を減らすことができ、さらには重症化や合併症の発症を抑え、入院患者を減らすことができる」
28と説明されていたが、当初の目論見通りに進んでいるとは言えない。
これは元々、制度創設時の経緯が影響している。現行制度の導入を本格的に検討していた2005~2006年頃は「郵政解散」が終わった後、小泉純一郎政権の求心力が最も高まった時期であり、郵政民営化など積み残されていた「構造改革」が一気に決着したタイミングだった
29。
医療制度改革に関しても、「一国の経済の規模と何らかの関係を持たざるを得ない」「医療給付の伸びについては何らかの管理目標が必要」「中期的な数値目標を設定した上で、国全体の医療政策にPDCAサイクルをきちんと導入するべき」
30といった形で、医療費をGDPなどに連動させることで、医療費の増加に上限を設ける意見が経済財政諮問会議で強まった。
これに対し、厚生労働省は「具体的な政策の裏付けなしに、あらかじめ医療費の規模を決めるのではなく、実際に医療に当たっております医師や看護師等の方々、またそれらを都道府県とよく相談しながら具体的な方策を固め、その効果を積み上げていくしかない」と反対し続けた
31。
しかし、小泉氏が「毎年の経済成長率、税収で考えるのではなくて、何年かを見て、何らかの一つの管理目標が立たないと、保険制度が成り立たなくなってしまうから、これから社会保障関係の費用は増えるばかりだし、その辺はやはり考える必要がある」と指示
32。この流れに抗し切れなかった厚生労働省は何かしら改革策を示す必要に迫られ、メタボ健診のアイデアが浮上した。
実際、当時の幹部は後年の座談会で、「対抗するための武器、アイデアとしては、あれ(筆者注:メタボ健診を指す)しかなかった」と振り返っている
33。
つまり、健康づくりを通じてマクロの医療費を減らせる目算が十分に立っていなかったにもかかわらず、経済財政諮問会議で盛り上がっていたマクロの医療費総額管理論を退けるため、医療費適正化の手段として、メタボ健診が位置付けられたと言える。
このため、上記の事情を知る有識者の間では、制度スタート時から「医療費総額管理論を退け、従来の腰だめ的な医療費適正化対策で対応せざるを得ないことをカモフラージュする必要があった」
34、「医療費適正化のアリバイ作りとして、一般受けのいいファンファーレもつけて強調されることになった。医療費総額管理を回避するため、的外れな回答が提出されたのかもしれない」
35といった厳しい意見が出ていた。筆者の意見としても、メタボ健診など健康づくりの必要性は否定しないものの、「健康づくりの推進→平均在院日数の削減→医療費適正化の実現」という経路には明らかな無理があると考えている。
27 なお、健康づくりを医療費抑制の手段として過度に期待する点について、筆者は様々な面で違和感を抱いている。まず、健康づくりの必要性が喧伝され過ぎると、健康の自己責任論が必要以上に高まり、先天的な病気や障害のある人が「健康になれなかった人」と見なされるリスクがある。さらに、疾病の中心が感染症から慢性疾患に変わっている中、健康と不健康の線引きは曖昧になっており、「メタボ健診の基準をクリアした人は健康」「それ以外は不健康」と機械的に考える方法は時代に逆行するようにも映る。このほか、健康づくりの必要性をQOL(生活の質)の向上など本人の利益ではなく、医療費適正化という全体の目的に置く論理構造についても問題含みと考えている。多くの人が「健康でありたい」と願うのは個人の幸せのためである。健康づくりの両面性に関しては、2018年9月28日拙稿「健康とは何か、誰のための健康づくりなのか」などを参照。
28 土佐和男編著(2008)『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』法研p50。
29 小泉政権の政策動向に関しては、既に様々な書籍が刊行されているが、ここでは医療費適正化に一定程度の紙幅を割いた書籍として、内山融(2007)『小泉政権』中公新書p75-80、、大田弘子(2006)『経済財政諮問会議の闘い』pp151-165、清水真人(2005)『官邸主導』pp263-265などを参照。
30 2005年11月14日、経済財政諮問会議議事録における民間議員、東大大学院教授の吉川洋氏の発言。
31 2005年11月22日、経済財政諮問会議議事録における厚生労働相の川崎二郎氏の発言。
32 2005年10月27日、経済財政諮問会議議事録における小泉氏の発言。
33 2021年11月、『医療と社会』Vol.31 No。2における厚生労働省保険局長だった水田邦雄氏の発言。
34 堤修三(2007)『社会保障改革の立法政策的批判』社会保険研究所p55。
35 田近栄治(2009)「医療制度の改革」田近栄治・尾形裕也編著『次世代医療制度改革』ミネルヴァ書房p24。