4|負担と給付の関係明確化の選択肢
医療行政の都道府県化を強化するための制度改正の選択肢のうち、論争的なテーマとして、地域別診療報酬制度を挙げることができる
26。これは「1点=10円」と定められている全国一律の診療報酬点数を都道府県の判断で調整できるようにする仕組み。この仕組みに関しては、「負担の水準の変化をシグナルと捉えて受益の水準をチェックする『牽制作用』」を機能させる可能性がある」として、支持する意見が出ている
27。さらに、ここ数年で自治体を巻き込むような形で、財務省と日医の攻防が繰り広げられたので、簡単に経緯を説明する。
地域別診療報酬制度は高確法に規定されており、2008年度改正で創設された。既に触れた通り、当時は小泉政権の下、都道府県主体の医療費適正化を強化するための議論が盛り上がっていたため、厚生労働省としては、「(筆者注:医療費適正化に向けた)武器が必要」「都道府県に何か(筆者注:権限)を持たせないといけないだろう」と判断したという
28。
その後、地域医療構想の推進に関して、奈良県が2018年5月、地域別診療報酬制度の活用を訴えたことで、医療制度改革の焦点として急浮上した。この時、政府の会議に出席した同県の荒井正吾知事は「受益と負担を総合的にマネジメントしていく」との考えを示しつつ、受益と負担がマッチしない場合、「地域別の診療報酬設定の活用は、最終的な選択肢の一つ」と説明した
29。
当時の提案によると、(1)県の医療費適正化計画で抑制的な目標を設定、(2)地域医療構想の推進などを通じて医療費を適正化、(3)国民健康保険の法定外繰入を解消――を通じて、国民健康保険に関する県内の医療費について、負担と給付の関係を見える化した上で、給付が負担を上回った場合には地域別診療報酬制度を使い、「1点=10円」と定められた単価を例えば9.5円や9.7円といった形で引き下げるアイデアを示した。
元々、荒井氏は地域医療構想の策定に際して、「(筆者注:地域医療構想、医療費適正化計画、国民健康保険の都道府県単位化の)3つは関係している。高度医療、看取り、終末期医療、頻回受診、頻回薬剤投与など議論が進んでいない分野がある。地域でそのようなことを探求していくことも可能」と述べる
30など、都道府県主体による医療費適正化に前向きな姿勢を表明していた。実際、同県の地域医療構想では、医療費適正化計画と国民健康保険の都道府県化との関係が言及されており、筆者の集計では当時、実質的に全国で唯一の事例だった
31。
こうした中、都道府県単位で負担と給付の関係を明確にする究極的な手段として、地域別診療報酬制度の活用が浮上したわけだ。さらに、都道府県主体の医療費適正化に期待する財務省も同年5月の財政審建議で、「過大な給付が過大な負担を強いていないかを確認する緊張関係の中で、負担増以外の選択肢」として、「地域別診療報酬制度の柔軟な活用が重要」と強調した。これは当時、奈良県と平仄を合わせた動きと見られていた
32。
これに対し、日医は「仮に1点単価が10円から9円に引き下げられた場合、10%の診療報酬本体マイナス改定と同様」「こんな理不尽なことは絶対に許さない。全力で阻止していく」と猛反発した
33。その後、2019年4月に実施された県知事選を前に、荒井氏と県医師会が2018年12月、「地域の医療費に特異な増嵩が生じない限り、本県で地域別診療報酬を下げることはない旨、確認する」との内容を盛り込んだ政策協定を締結した
34ことで、議論は沙汰止みになったと思われた。
しかし、新型コロナウイルスの影響で疲弊した医療機関に対する支援策が焦点となる中、奈良県は2020年7月、都道府県の判断で診療報酬単価を引き上げることを認めるよう、国に提案した
35。つまり、従来の提案では点数単価を引き下げることに主眼を置いていたが、コロナ対応では逆に点数単価を引き上げるように迫ったわけだ。
これに対しても、日医は「規定を拡大解釈して、あるいは転用して、都道府県間における給付格差をもたらすことに、改めて明確に反対する」「(筆者注:地域別診療報酬の目的は)医療費適正化計画の目標達成のための運用であり、それ以外での運用、例えば、今回の新型コロナウイルス感染症の影響への対策として運用されるものではない」と表明
36し、この提案は受け入れられなかった。さらに、最近の財政審では議論されなくなっており、旗振り役だった荒井氏も2023年4月の選挙で知事の座を退いた。
実効面でも、現実的ではないという指摘が出ている
37。具体的には、全国一律での価格では、物価・賃金の高い都市部の医療機関では、実質的な手取りが減ってしまう一方、逆に物価・賃金の低い地方では給与が実質的に高くなるため、地方の病院は高額の給与を準備しなくても、医師を確保できている面がある、このために医師の偏在緩和に役立っている可能性がある――という指摘である。
実際の問題として、単価が安くなる地域に患者が流入したり、逆に低単価になった地域から医師や専門職が流出したりする事態も予想される。このため、制度改正のメリット、デメリットを十分に勘案する必要がある。
そもそも、地方分権は自治体の裁量を大きくする半面、地域格差をもたらす可能性が高まるため、全国一律の保険診療との整合性は大きな問題になり得る。このため、単純に都道府県の役割と責任を強化すれば済む話ではない。「地方分権」という用語が多くのマイナス面から目を背けさせる点で、「魔術的な意味合い」を含んでいるという警鐘を十分に意識する必要がある
38。
一方、地域別診療報酬制度に関する議論と、今回の制度改正は都道府県単位で負担と給付の関係を「見える化」しようという意図で共通しており、筆者自身は「都道府県単位で負担と給付の関係を明確にする究極的な手段として、地域別診療報酬制度が位置付けられる」と考えている。このため、どこまで制度改正を講じるか、今後もメリット、デメリットを議論して行く必要がある。
26 ここでは詳しく触れないが、健康保険組合や共済組合の位置付けも論点となり得る。協会けんぽ、国民健康保険、後期高齢者医療制度は都道府県単位で保険料が設定されているが、健康保険組合や共済組合の多くは都道府県の境をまたいで運営されている。このため、都道府県単位で負担と給付の関係を明確にしようとしても、健康保険組合と共済組合の加入者は無関係である。しかし、医療行政に関する都道府県の役割や責任を強化しつつ、都道府県単位で負担と給付の関係を明確にしようとしている昨今の流れに対し、特に健康保険組合サイドから対応策は示されていないように映る。敢えて事例を挙げると、健康保険組合の有志で構成する「保険者機能を推進する会」が2016年11月の会合で、健康づくりに関する県と地元メディアの連携をピックアップした程度である。
27 小林慶一郎・佐藤主光(2021)『ポストコロナの政策構想』日本経済新聞出版pp239-242を参照。
28 2021年11月『医療と社会』Vol.31 No.2の座談会における厚生労働省保険局総務課長だった栄畑潤氏の発言を参照。
29 2018年5月28日に開催された社会保障制度改革推進会議における発言。同日の『m3.com』配信記事を参照。
30 2016年9月『医療経済研究』Vol.28 No.1に掲載された「第10回研究大会シンポジウム」における発言。
31 奈良県のほか、佐賀県の地域医療構想でも国民健康保険の都道府県化と医療費適正化計画の文言が盛り込まれていたが、国民健康保険の都道府県化については、末尾に示した2025年までのロードマップで取り上げられている程度だった。
32 2018年6月1日『医薬経済』を参照。
33 2018年10月28日に開催された十四大都市医師会連絡協議会における日医の中川副会長による発言。同日の『m3.com』配信記事を参照。
34 2018年12月25日『m3.com』配信記事を参照。
35 2020年8月29日・20日『毎日新聞』、同年8月15日『医薬経済』などを参照。
36 2020年8月26日の定例記者会見における日医の中川会長の発言。同日の『m3.com』配信記事を参照。
37 地域別診療報酬制度に対する批判的な意見については、池上直己(2021)『医療と介護 3つのベクトル』日経文庫pp129-130を参照。
38 地方分権の言葉が持つ「魔術的」な要素については、林昌宏(2020)『地方分権化と不確実性』吉田書店を参照。同著は港湾政策の分権的な構造に着目しつつ、こうした構造が自治体間の重複投資などを招いた歴史を実証している。
8――おわりに