5|分権的な構造を巡る論点
しかし、以上のような経路で生まれた分権的な構造は新型コロナウイルス対策で、「国の関与」強化を阻害する一つの要因になる。つまり、厚生労働省のうち、旧厚生省部門は国土交通省のような直轄部署を多く持っておらず、出先機関の地方厚生局は対策の中心になり得ない分、様々な対策は都道府県を介して講じられることになる。
この結果、厚生労働省が新しいアクションを起こそうとすると、自治体に対する通知や事務連絡に頼ることになる。いわゆる「通知行政」である。
しかも、新型コロナウイルス対策では通知が数多く発出(乱発?)されており、医療、保健、福祉、介護分野に関して、その本数は2020年1月から2022年5月までで計2,000本を超えている。このため、膨大な通知を前にすると、ウンザリする気持ちとともに、幾つかの疑問が沸き起こる。
まず、「膨大な通知の全体像を誰が把握しているのか」という疑問である。それぞれの通知は基本的に各局でバラバラに発出されているため、整合性が取れているとは考えにくい。
第2に、政策立案のプロセスが官僚の裁量に委ねられているため、「国会を含めた民主的な統制が十分とは言えないのではないか」という疑問である。第3に、国会審議などオープンな場で意思決定されないため、「この通知がなぜ発出されたのか」「通知が示された意図は何か」「過去の通知と何が違うのか」といった点が伝わりにくい不透明性も指摘できる。
第4に、先に触れた地方分権改革の結果、法定受託事務の通知は拘束性を有する事務処理基準、自治事務の通知は拘束力を有しない技術的助言と整理されているにもかかわらず、数多く発出(乱発?!)されている通知を抽出すると、両者の区分を意識しているようには見えず、「国による関与」の度合いが見えにくい点も指摘できる。
このように書くと、「一刻を争う感染症対策では機動性が必要になるため、通知が有効的」「各地域で医療資源や感染状況が異なる以上、自治体の裁量に委ねる方が現実的」という反論が予想される。それにしても、膨大な通知の発出(乱発?!)が「自治体に丸投げ」「厚生労働省に主体性を感じられない」といった批判を生みやすくなっていることは間違いないと思われる
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このほか、自治体の首長や職員の能力、民間医療機関との連携度合いなどに応じて、対策にバラツキが生まれやすくなっており、しかも対策が弱い部分から感染症は広がって行くため、「都道府県に任せるからダメなんだ」という言説を引き起こす要因にもなり得る。
一方、患者の重症度に応じて受け入れる医療機関を調整する神奈川県、積極的な検査や先手を打った病床確保に取り組んだ東京都墨田区、積極的な検査に取り組んだ和歌山県など、地域には先行事例も数多くある。
このため、筆者は「自治体に委ねているからこそ、国の方針を先取りする(時には国の指示に逆らう?)形で独自の対応策を取るケースが出ているのに、なぜ先進事例に目を向けず、できていないところだけ注目するのか」と考えているが、こうした地域格差は「国の関与を強化せよ」という議論が生まれやすくなる土壌になっていると言える。
この辺りのディレンマに関しては、新型コロナウイルスの初期対応を司った厚生労働省の政務官が「都道府県による対応の差が大きいこと、言い換えれば地方分権の課題が見えてきています」と述べていた点と符合する
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40 例えば、鈴木一人(2020)「厚労省」アジア・パシフィック・イニシアティブ編『新型コロナ対応・民間臨時調査会調査・検証報告書』ディスカヴァー・トゥエンティワンp305では、「大量の通知等を連発した結果、保健所や医療機関等の限られたキャパシティでは対応しきれず、厚労省の戦略が意図どおりに伝わらない結果、前線機関の活動に結びつかないという事態が発生した」と論じられている。
41 2020 年8月4日『m3.com』配信記事における自見はなこ氏に対するインタビュー。