1|予算や税制、社会保障に関する過去の出来事は?
しかし、既に述べた通り、自民党と公明党で衆院の過半数を失っている中、予算案と予算関連法案が審議過程で修正される可能性があり、この点は従来と大きく異なる。
そもそも、従来の政策決定過程では、国会審議が形骸化しやすかった。具体的には、法案など政府が閣議決定する案件については、与党の了承を事前に得ることが慣例となっており、「省庁ごとに設置された部会→政務調査会→総務会」という与党の意思決定過程を経ると、党議拘束が掛かる運営になっている。このため、与党が衆参両院で過半数を抑えている状況では、与党の事前協議を通過することが最重要であり、これが終われば、残りは「国会会期末まで法律を通せるか」という点だけに注目が集まりがちだった。こうした状況の下、野党も政策や法律の内容よりも、政府・与党のスキャンダルを批判することで、会期を引き延ばす戦術に出ることが多かった。
しかし、野党の協力抜きに予算案や法案が通らなくなったたため、国会審議の先行きが読みにくくなった。社会保障の領域でも予算だけでなく、年金や医療などで法改正が予定されており、例外ではない。
そこで、以下では、自民党が1955年11月に発足した後、政権与党が衆議院で過半数を失う少数与党の下で起きた過去の出来事を参照することで、今後の展開を検討する。その際、政権与党が参院で過半数を取れていない「ねじれ国会」で起きた経緯も付記する
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元々、自民党及び連立相手の政党が衆参両院で過半数を失ったことは数えるほどしかないが、初めて単独で過半数を失ったのは1975年総選挙であり、1977年度予算審議は波乱含みとなった。具体的には、社会党などの野党が減税を主張。政府案の実質的な修正に関して与野党が合意し、1年限りで3,000億円の減税などが実施された。
さらに、自民党が参院選で大敗した直後の1999年度予算編成では、新たに連立に加わった自由党の意見を聞く形で、予算総則が修正され、交付税分を除く国の消費税を社会保障目的に充てることが明記された。
このほか、福田康夫内閣期の2008年4~5月には、2007年参院選で大勝した民主党の攻勢に遭い、揮発油税の暫定税率が1カ月間、失効した。この時には、道路特定財源の税率に上乗せする暫定税率が2008年3月末に期限切れを迎えることになっていたため、参院で多数を握る民主党は予算関連法案の審議をストップさせた。その結果、2008年4月に揮発油税の暫定税率が失効したが、当時の政府・与党は衆院で再議決できる3分の2以上の議席数を有していたため、憲法の規定に基づき、衆院の審議から1カ月経った時点で「みなし否決」した上で、衆院再議決で暫定税率を戻した。
逆に自民党が野党の間にも、少数与党や「ねじれ国会」が起きている。例えば、非自民連立政権だった羽田孜内閣は発足直後、社会党が離脱したことで少数内閣になり、予算成立と引き換えのような形で、わずか2カ月ほどで退陣に追い込まれた。
さらに、民主党政権も2010年の参院選で多数を失ったことで、予算関連法案の成立に手間取る場面が見られた。例えば、菅直人内閣の時には2011年度予算は年度内成立に漕ぎ着けたが、赤字国債の発行を可能とする特例公債法など予算関連法案を成立させられず、政府は2011年8月までに赤字国債を発行できない状況になった。これに続く野田佳彦内閣も2012年11月まで特例公債法案を成立させられず、政府は一部事業の予算執行を抑制せざるを得なくなった。
以上の経緯を見ると、少数与党や「ねじれ国会」では、予算案や税制改正案件が「政局」の取引材料として使われている様子を理解できる。しかも、往々にして予算の拡大や歳入の減少を招いている。
一方、消費増税や子ども・子育て支援制度の創設などを含めた社会保障・税一体改革の関連法は2012年8月、「ねじれ国会」の時代に民主党、自民党、公明党の修正協議で成立しており、3党が妥協しつつ、国会としての総意を作り上げた面がある。
そもそも、政党間の政策協議では、「自党にとって有利か」「どこまで妥協するか」といった政局的な判断が入り込むのは避けられず、政局と政策を切り分けることは極めて困難である。しかも今年は参院選や都議選を控えており、政局優先になるのは止むを得ない面がある。
しかし、本稿のメインテーマである社会保障制度の見直しでは、多くの利害が絡むため、様々な視点を取り入れることは欠かせない。さらに、社会保障制度は一度、見直されると、過去の制度改正に引っ張られる「経路依存性」が大きく、制度改正論議は長期に影響を及ぼす。しかも、少子化や財政事情などの制約条件も考慮する必要があり、いたずらに対立を煽るような形ではなく、中長期的な視点も入れつつ、双方が歩み寄る展開が期待される。
31 この部分については、伊藤裕香子(2013)『消費税日記』プレジデント社、三角政勝(2012)「戦後初となった大規模な予算の執行抑制」『立法と調査』、清水真人(2009)『首相の蹉跌』日本経済新聞社、真渕勝(1994)『大蔵省統制の政治経済学』中公叢書、塩田潮(1985)『百兆円の背信』講談社文庫などを参照。ここで挙げた以外の事例として、1996年度予算の審議では、住宅金融専門会社(住専)の不良債権を処理するための公的資金投入が与野党対立の舞台となり、予算総則が部分的に修正された。この時には連立の組み換えが取り沙汰されており、野党第1党だった新進党との間で修正協議が実施された。