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利用率が大幅に下がっているオフィススペースは組織スラックと捉えるべき
従業員に寄り添う真の働き方改革やBCP対策の強化を推進するために、一見非効率に見えても、図表7に示したような多様な働く場を平時から準備・構築・確保しておくことは、組織スラック型の経営に他ならない。目先の利益を優先しリーン型の経営に偏重する経営者には、ワークプレイスのポートフォリオとしては極めて非効率に映り耐え難いものだろう。そのような経営者なら、全席を固定席またはフリーアドレス席とする画一的な空間しか備えないメインオフィス1棟に集約するか、または「オフィス不要論」を唱えてメインオフィスを手放し全社員が常時在宅勤務とする体制に移行させるのかもしれない。
このように働く場を一方向に統一してしまうことは、リーン型偏重の経営者にとって効率的に見える体制だが、従業員にとっては働き方が一択しかなく支持し難いものであり、働きがいや快適性は低下するだろう。このため目先のコストは節約できても、イノベーションや生産性の向上は起こらないだろう。また、このような一択の柔軟性に欠ける体制では、パンデミックや災害など想定外のストレス事象が起きて業務が停止した際には脆弱性を露呈し、代替策をイチから立ち上げるのに時間がかかるため、レジリエンス(resilience:回復力・復元力)は極めて低い。従って、リーン型偏重の体制は組織スラックとは反対に、中長期では企業価値を破壊しかねないのだ。
その意味では、コロナ禍の下で企業において、在宅勤務の比率が急上昇したためにメインオフィスの利用率(在席率)が大幅に低下した結果、一見すると余剰のように見える未利用のオフィススペースが発生していることについては、経営者はどう考え行動すべきだろうか。筆者は、この一時的に未利用となっているオフィススペースを単なる余剰ではなく、組織スラックと捉えてできるだけ維持するべきであり、在宅勤務の効果をしっかりと検証・確認できていない中で、短期的なコスト削減のために安易にメインオフィスのスペースを削減したり手放したりするべきではない、と考える。
日常を取り戻せるアフターコロナ時代に至るまでの暫定移行期とも言えるウィズコロナ期は、具体的な期間が見通せない中、一刻も早く治療薬が確立されワクチンが広く行き渡ることで、できるだけ短い期間で終わることが望まれるが、この期間においては、企業はその時々の新型コロナの感染状況を見ながら、ワークププレイスの利用・運用方針を臨機応変に変えざるを得ない。例えば、脚注22に記載したように、グーグルやアマゾンなどの米国先進企業では、これまで全米の感染拡大の深刻化に合わせて米国でのオフィス再開時期を随時後ろ倒しに変更するとともに、社内外に速やかに明らかにしてきた。ここでは、経営者には、何よりも従業員の安全と事業の継続を最優先とし、環境変化に対応して柔軟かつ機動的に経営施策を変更するスタンスが求められる。特に現在のように依然として感染再拡大のリスクを強く警戒しなければならない局面では、メインオフィスを活用しつつも、引続き緊急避難的に在宅勤務や従業員の自宅に近いサテライトオフィスでのテレワークを中心に業務を行うことが望ましいだろう。この場合、メインオフィスの利用率は引続き極めて低いかもしれないが、この一時的に利用されないスペースは、オフィス内での感染予防(3つの密(密閉・密集・密接)の回避)に向けた執務エリアや会議室でのソーシャルディスタンシング(Social Distancing:社会的距離の確保)のためのスペースとして有効活用することができる、と捉えるべきではないだろうか。
従業員が、イノベーション創出の起点や企業文化の象徴として全社的な拠り所となるメインオフィスに安心して戻ってきて、最も創造的な環境で存分に業務を再開できるであろう、来るべきアフターコロナ時代に備えて、ウィズコロナ期では、経営者は貴重な経営資源であるメインオフィスをソーシャルディスタンシングに十分に配慮したスペースとして利用し続けることで、このウィズコロナ期という引き続く苦境を胆力を持って耐えしのぐことが求められるのではないだろうか。
オフィスの現状の利用率(在席率)が極めて低いからといって、メインオフィスなどの座席数さらにはスペースを大幅に削減するなど縮小均衡型の施策を拙速に講じて、一時的な移行期間であるウィズコロナ期の低いオフィス利用率に合わせたオフィススペースに固定化してしまうことは、組織スラックを備えないリーン型の意思決定に他ならずリスクが極めて高い、と筆者は考える。コロナ後に、日常を取り戻せるレベルまで感染リスクが大幅に低減し多くの従業員がオフィスワークを希望する日が増えてきたり(オフィス利用率の大幅な上昇)、事業拡大などによりオフィス増床が必要になっても、売却や賃貸借契約の解約をした後では取り返しがつかないからだ。本来はアマゾンやグーグルのように、ウィズコロナ期にコロナ後を見据えた確固たる骨太のオフィス戦略を打ち出し実行すべきだが、さもなければアフターコロナを迎えるまでは、固定資産(不動産)としてのオフィススペースに関わる意思決定をペンディングにしておくことが、次善の策となるのではないだろうか。不動産の投資や削減に関わる意思決定には、中長期の設備投資計画や賃貸借契約などが関わるため、当然のことながら、短期的な目先の視点ではなく中長期の視点が欠かせず慎重さが求められるからだ。
ただし、コロナ禍で資金繰りが大幅に悪化し直ちにキャッシュが捻出できなければ立ち行かなくなる企業については、勿論メインオフィスなどの不動産をすぐに手放さざるを得ないケースもあるだろう。また、必ずしも業績が悪化していない企業の中にも、在宅勤務を中心とする体制に早々と移行しオフィスを退去・縮小移転する動きが、従業員規模が数十人以下の小回りの利くスタートアップを中心に一部の企業で昨年前半に先行して見られた
48。スタートアップの中には、原則出社はせず各自の好きな場所(在宅に限定しない)で働ける完全リモートワーク体制に移行したり、さらにはオフィスを完全解約する企業も一部で見られた。
48 小規模なスタートアップが縮小移転するケースでは、都市部などの中規模賃貸ビルが移転先の受け皿になっているとみられる。大企業では、在宅勤務などテレワークの活用を標準とした働き方を推進する方針をいち早く新たに打ち出した企業は、日立製作所(2020年5月発表)、富士通(2020年7月発表)など一部にある一方、オフィススペースを大幅に削減することにまで踏み込むことを公表する企業は今のところあまり見られないが、数少ない事例として、富士通は「オフィス環境面では、従業員がそれぞれの業務目的に最も適した場所から自由に選択できるようにするとともに、全席をフリーアドレス化することにより、2022年度末までにオフィスの規模を現状の50%程度に最適化する」(富士通PRESS RELEASE 2020年7月6日「ニューノーマルにおける新たな働き方「Work Life Shift」を推進」より引用)としている。