2019年度に筆者が当研究所の媒体に執筆した20本の欧州経済のレポートのうち、11本は英国がテーマだった。英国のEU離脱(Brexit)が紆余曲折を経たことの反映だ。
以下には、合計10本のレポートの要旨を再録した。加筆修正による再録分を除いたBrexit関連の8本のレポートに、Brexit実現後に欧州で拡大した新型コロナウィルスへの英国とEUの初期対応に関するレポート2本を加えた。
Brexitに関しては、およそ1カ月間隔でまとめたレポートを通して見ることで、離脱実現までの軌跡を辿ることができる。
2019年度最初のレポートのテーマは、2018年度中に実現するはずだったEU離脱の2度目の延期だった(基礎研レター19年4月23日号)。最終的に、20年1月末の離脱実現までには、メイ首相(当時)の辞任(基礎研レター19年5月28日号)、保守党党首選で勝利したジョンソン首相率いる新政権の発足(エコノミスト・レター2019年7月24日号)、19年12月の総選挙での保守党の単独過半数確保という政治プロセスが必要だった(エコノミスト・レター2020年1月24日)。ジョンソン政権発足から19年10月末の離脱期限までの間には、奇策を弄した10月末離脱強行の動き(エコノミスト・レター2019年8月30日号)、離脱期限延期を巡る議会と激しい攻防があり(エコノミスト・レター2019年10月21日)、誰も望んでいないはずの「合意なき離脱」も現実味を帯びた(基礎研レター2019年9月6日)。
現在、英国は、激変緩和のために20年末まで設けられている「移行期間」にあり、EUと将来関係協定について協議しているが、予想通り、議論は平行線を辿っている(エコノミスト・レター2020年1月24日号)。新型コロナのパンデミックで、英国とEUの経済はともに急激に落ち込んでおり、先行きの不透明感が増しているにも関わらず、歩み寄りの兆しはない。事実上「合意なき離脱」と同じことが、「将来関係協定なき移行期間終了という形で起きる可能性がある訳だ。
英国、EUともに、これまでのコロナ危機対応は、感染拡大抑制のための行動制限などの対策と、行動制限が企業の破綻や大量解雇などにつながることを阻止するための経済対策の組み合わせとなっている。
英国は、統計上の感染者数と死亡者数は欧州で最多、人口当たりで見た死亡者数もベルギーに次いで2番目に多く、感染対策への評価は低い。ジョンソン政権は、欧州大陸諸国が都市封鎖(ロックダウン)などの厳しい行動制限を導入した後も、経済活動を犠牲にする行動制限に慎重な立場をとった(基礎研レター2020年3月13日)。これによる初動の遅れが、多くの犠牲者を出す結果につながったと考えられている。6月には、英国も3段階の外出規制緩和の第2段階に入ったが、新規感染者数は大陸欧州主要国を大きく上回る状況にあり、制限緩和が早すぎる、あるいは、制限緩和の順序が適切でないなどの批判がある
1。
感染対策とは異なり、経済対策については行動制限に先手を打つ形での大胆な対応が評価されている。英国の経済対策の柱の1つが、一時帰休者への80%の給与を、月額2500ポンド(約33万円まで)を上限に補填する「コロナウィスル雇用維持スキーム(CJRS)」と収益の80%までを月額2500ポンドを上限に補填する「個人事業主向け所得補償スキーム(SEISS)」である。統計局のサーベイ調査
2によれば、対象企業の81%がCJRSの申請をしたと答えており、広く普及している。賃金の肩代わりや所得補償政策は、行動制限期間中の所得と雇用を下支え、経済活動の再開を円滑にする効果が期待される。反面、財政への負担は大きく、長期の継続は困難である。英国政府も、7月までは現行の枠組みを維持するが、8月以降、段階的に縮小し、10月末に終了する方針を示している。政策終了時点で、経済が十分に回復していなければ、財政措置の息切れで景気が再び腰折れるおそれがある。政策の縮小と20年末の移行期間終了のタイミングが重なることもあり気掛かりだ。
EUのコロナ危機の対応にも問題はあった。中核国のドイツは死亡者数を抑え、感染対策の成功例とみなされているが、医療機器の囲い込み(後に撤回)や国境管理の導入など、初期対応にはEUの連帯を傷つける動きも見られた(基礎研レター2020年03月26日号)。ドイツは、経済対策でも迅速かつ大胆に対応し、メルケル政権の支持率は上昇しているが、財政余地の乏しいイタリアなど域内他国との格差の増幅をもたらすリスクがある。
EUとユーロの維持には、コロナ危機に対する各国の政策対応力の圏内格差を埋める必要がある。まさにEUの出番だ。コロナ危機の初期対応では、EUの存在感は希薄だったが、その後は、EUの連帯と協調のための対策に動き出している。4月に合意した5400億ユーロの危機対応パッケージは、すでに利用可能な状態となっている。今は、21年に始まるEUの新たな多年次予算枠組み(MFF)と合わせて、EUが市場調達した資金を財源とし、一部をコロナ危機の衝撃が大きかった国などに補助金として配分する「復興基金」について協議している
3。
仮に英国が、今もEU加盟国であったならば、加盟国の全会一致を必要とする復興基金にどのような立場を取っただろうか。保守党政権であったならば、補助金型ではなく融資型の基金を主張する北部欧州の倹約4か国(オランダ、オーストリア、スウェーデン、デンマーク)やフィンランドと同じ立場、もしくは、EUの権限を高める復興基金そのものにも反対したかもしれない。
英国が離脱していなければ、復興基金実現の難易度が遥かに高くなり、EU、ユーロの存続へのリスクが、今以上に強く意識されていたかもしれない。
コロナ危機へのアプローチの違いを見ても、英国のEU離脱は必然だったとの思いは強くなる。
紆余曲折を経て、離脱が実現したタイミングが、コロナ危機という局面の大転換直前のタイミングであったことも、ある種の巡り合わせであったようにすら思われる。
(2020年6月12日脱稿)
■目次
・再延期後の英国のEU離脱の行方
・ポスト・メイのEU離脱
・ジョンソン首相誕生は「合意なき離脱」への道か?
・英議会の異例の長期閉会と「合意なき離脱阻止」の選択肢
・英国の合意なき離脱:対策と影響
・EUは署名なき英首相の離脱延期要請にどう応えるか?
・英国総選挙:保守党過半数確保の勢い
・EU離脱後の英国の進路
・英国は金融・財政政策協調を新型コロナ拡大防止策より先行
・欧州の新たな危機