(5) データの共有と占有を切り分ける最適な判断・意思決定が重要
このように、自動運転技術の開発における走行映像データや工場の稼働データの収集・蓄積は、現時点では基本的に競争領域とみなされることが多いものの、場合によっては、逆に協調領域と捉えてデータを共有・共用するという選択肢もあり得る、と考えられる。
データを占有・独占すれば、特定の企業がより多くの経済的リターンを占有できるチャンスが高まったり、データの個別用途に対応した独自データを収集できたりする一方、データを共有・共用すれば、これまで1社単独では収集できなかったようなデータを互いにスピーディに取得できるようになり、データ連携を行う企業群がより多くの付加価値(イノベーション)を迅速に生み出し、ひいてはより大きな社会的価値を創出できる可能性が高まるかもしれない。
企業は、イノベーションや社会的価値の創出といったアウトカムやソーシャルインパクトの最大化の可能性を最優先に考えつつも、アストロズのように、他社と共有・共用する協調領域のデータと独自に取得・占有する競争領域のデータを切り分ける、最適な判断・意思決定を行うことが望まれる。また、この競争領域と協調領域の区分は不変ではなく、企業を取り巻く競争環境や経営戦略などの変化に対応して、変化し得ることにも留意すべきだ。
(6) 重篤な疾病の診断、老朽化した社会インフラや工場設備の点検・診断など社会的要請の高い分野ではデータの共有・共用を急ぐべき
データ特性や社会的要請から、データの共有・共用が望ましい領域もあるだろう。例えば、重篤な疾病をAI技術で解析するために必要となる医療画像データのように、人間の生命に関わる領域の場合、個人情報保護には勿論十分に留意しつつも、一人でも多くの生命を救うために、ディープラーニングによりAIの画像認識の精度向上を図ることを最優先することが望まれる。そのためには、AIに学習させる膨大な医療画像データの取得が不可欠であり、より多くの病院間で当該医療データの共有・集約を進めることが必要となるだろう。
また、国民の安全・安心の確保に関わる領域でも医療分野と同様に、データ共有を急がなければならない。例えば、老朽化した社会インフラをAIの利活用により点検・診断するために必要となる、画像データや熟練技術者の暗黙知(データへの形式知化が必要
23)などがこれに当たる。この分野での先行事例として、国土交通省の取り組みが挙げられる。同省が所管する国立研究開発法人土木研究所は、「AIを活用した道路橋メンテナンスの効率化 に関する共同研究」を2018年から25の官民組織と開始した
24。
工場データの中では、設備の稼働データが基本的に競争領域とみなされることが多く、企業間での共有は比較的難しいと述べたが、我が国の製造業全体で設備老朽化が進展している
25ことから、工場の設備・プラントの保安分野のデータについては、社会インフラと同様に、できるだけ多くの企業間で共有して分析を行い、設備・プラントの点検・診断・補修についての知恵を出し合い共通知化することが求められるのではないだろうか。特に高温高圧下での化学反応を扱う石油化学コンビナートなどでは、プラント事故の社会的影響が甚大となるため、老朽化などを起因としたプラント事故は何としても避けなければならない。
この分野での先行事例として、経済産業省の取り組みが挙げられる。同省が所管する国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の実証事業「2016年度IoT推進のための新産業モデル創出基盤整備事業(化学プラントにおける自主保安高度化事業)」の下で、石油化学産業の業界団体である石油化学工業協会内に「産業保安分野におけるIoT実証事業ワーキング・グループ」が組織され、同ワーキング・グループに参画した大手化学メーカー13社
26からプラントの配管や槽などの外面腐食に係る検査データ(設備の運転温度、使用年数、腐食状況など協調領域のデータ)約1.4万点余りが収集・集約され、それを用いて腐食状況予測のためのモデルが開発・構築された。
23 具体的には、熟練技術者が何を見てどのように判定したのかを表す、入力と正解の出力がセットになった「教師データ(訓練データ)」へ、暗黙知をデータ化する必要がある。
24 共同研究期間は2018年9月~2022年3月。共同研究者は国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター、茨城県、富山市の他、建設コンサルタント、電機・IT企業、自動車部品メーカー、舗装材料メーカー、AIベンチャーなどの民間企業。
25 筆者は、我が国の製造業の低収益構造は、競争力のある最新鋭設備への更新投資が進まず、老朽設備が蓄積され、設備過剰と生産性低下を招いていることに起因している、と考えている。筆者のこのような考え方については、拙稿「製造業の『国内回帰』現象の裏にあるもの」『ニッセイ基礎研REPORT』2004年12 月号、同「アベノミクスの設備投資促進策」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013年7月31日、同「コーポレートガバナンス改革・ROE経営とCRE戦略」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2017年3月29日を参照されたい。
26 13社は住友化学、丸善石油化学、三井化学、JSR、日本触媒、日本ゼオン、三菱化学、昭和電工、旭化成、デンカ、東ソー、新日鉄住金化学、出光興産。旭化成が予測モデルの開発を行った(今後も開発更新を行う)。2019年度以降は石油化学工業協会にて、現行スキームを継続し予測モデルの高度化を予定している。