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オフィス戦略
企業がイノベーションを生む創造性を大切に育むためには、経営資源をぎりぎり必要な分しか持たない「リーン(lean)型」の経営ではなく、経営資源にある程度の余裕、いわゆる「組織スラック(slack)」
6を備えた経営を実践しなければならない。
例えば、オフィスの設えについて考えてみよう。従業員の能力や創造性を引き出すための創造的なオフィス、すなわち「クリエイティブオフィス」
7を構築・運用する考え方の下では、カフェ、ライブラリー、広間、階段の吹き抜けスペース、開放的な内階段など、従業員が気軽に集える休憩・共用スペースを効果的に設置することは、社内のコミュニケーションやコラボレーションの活性化を通じて、イノベーション創出につなげるために不可欠な要素である。すなわち、イノベーション創出のために確保しておくべき組織スラックだ。しかし、目先の利益を優先してリーン型の経営を徹底すれば、仕事に関係のない無駄なものとして撤去されてしまうだろう。
また、従業員の多様なニーズを尊重し、様々な利用シーンに応じて多様性を取り入れたオフィス空間も、従業員のオフィス環境に対する満足度や士気を高め、生産性向上やイノベーション創出につながり得る。しかし、短期志向型の経営者には極めて非効率な空間とみなされ、維持管理の手間やコストが相対的に掛からない画一的な空間に変更されてしまうだろう。
これまで多くの日本企業がそうであったように、効率性のみを追求したオフィス空間は、個性のない均質なものになってしまう。そうすると、目先の不動産コストは削減できても、それと引き換えに何よりも大切な社内の活気や創造性が失われ、従業員間の信頼感や人的ネットワーク、いわゆる「企業内ソーシャル・キャピタル」
8は破壊され、イノベーションが生まれない悪循環に陥ることになるだろう。目先の利益を優先する効率性・経済性ありきの戦略は、結局中長期で見れば、経済的リターンをもたらさないと言える。創造性を育み、結果として中長期での経済的リターンを獲得するためには、「組織スラックに投資する」という発想が欠かせない。
シリコンバレーやシアトルなどに立地する米国の優れたハイテク企業をはじめ、先進的なグローバル企業は、既にクリエイティブオフィスの考え方を取り入れ実践しており、世界的には、欧米企業を中心にオフィスづくりの創意工夫を競い合っている。ハイテク企業が多く集積するシリコンバレーやシアトルなどでは、「War for Talent(人材獲得戦争)」とまで言われるほど、企業間で人材の争奪戦が激しく繰り広げられており、企業は、必然的に働きやすく創造的なオフィス環境を整備・提供せざるを得ない、という面もある。先進的なグローバル企業では、従業員の創造性や健康の促進を通じたイノベーションの創出、企業文化の醸成や経営理念の体現のためには、オフィスへの戦略投資を惜しまない。アップルは、2017年にカリフォルニア州クパチーノの広大な敷地(約71万㎡)に新本社屋Apple Park
9を構築したが、総工費は50億ドルと言われている。
一方、我が国では、オフィスへの戦略投資を躊躇し、オフィスに極力資金をかけようとしない企業が未だに多いとみられ、クリエイティブオフィスの考え方を取り入れる企業は、一部の大企業やベンチャー企業など、未だごく一部の先進企業にとどまっている。
6 組織スラックの考え方については、拙稿「震災復興で問われるCSR(企業の社会的責任)」ニッセイ基礎研究所『研究員の眼』2011 年5 月13 日、同「イノベーション促進のためのオフィス戦略」『ニッセイ基礎研REPORT』2011 年8 月号、同「アップルの成長神話は終焉したのか」ニッセイ基礎研究所『基礎研レポート』2013 年10 月24 日を参照されたい。
7 クリエイティブオフィスの考え方・在り方については、拙稿「クリエイティブオフィスのすすめ」ニッセイ基礎研究所『ニッセイ基礎研所報』Vol.62(2018 年6 月)を参照されたい。
8 ソーシャル・キャピタルとは、コミュニティや組織の構成員間の信頼感や人的ネットワークを指し、コミュニティ・組織を円滑に機能させる「見えざる資本」であると言われる。「社会関係資本」と訳されることが多い。
9 Apple Parkに関わる考察については、拙稿「クリエイティブオフィスのすすめ」ニッセイ基礎研究所『ニッセイ基礎研所報』Vol.62(2018 年6 月)を参照されたい。
5――社会変革に挑戦する高い志への回帰がSDGsやESG経営の推進につながる