2|過去の議論から見える制度改正の選択肢
そうなると、患者負担の増加など医療費を抑制する選択肢に加えて、例えば後期高齢者医療制度と国民健康保険の統合などの制度改正を意識する場面が来るかもしれない。これは後期高齢者医療制度の発足や見直しの議論から言えることである。
そもそも若い人と比べて、病気のリスクが大きいにもかかわらず、75歳以上高齢者に限定した独立型制度を作った判断として、厚生労働省の解説書では、「老人医療費に関する給付と負担の財政責任の主体を明確にする」などの点が説明されていた
19。
しかし、実際の利害調整の過程を振り返ると、上記では説明し切れない。元々、独立型を提唱したのは日医だった。当時の書籍では、その理由について、「今の医療費高騰の大出血というのは高齢者医療のところにある」として、高齢者医療の分離と税財源の集中投入が必要と説明していた
20。
この案を自民党、経団連が支持したことで、独立型制度の創設が選択肢の一つになったが、日医の提案は消費税引き上げを含めた財源確保を前提としており、医療改革だけにとどまらない難しさがあった。75歳に区切った理由についても、当時の日医会長は「(筆者注:当時、与党が検討していた70歳以上だと)財源が出てこない」と説明していた
21。つまり、75歳に区切った理由はカネの問題だった。
結局、消費増税を含めた歳入改革の議論は先送りされたため、税財源の集中的な投入は難しくなり、現役世代が加入する保険者から保険料の収入を移転させる支援金が導入された。
一方、制度の運営主体を巡る議論も二転三転した。厚生労働省は当初、都道府県による財政運営を期待したが、負担増を避けたい全国知事会が拒否した
22ことで、議論は頓挫した。その後、厚生労働省が2005年10月に示した「医療制度構造改革試案」では、市町村が保険者とされたが、「一番硬直化した75歳以上の後期高齢者という者の保険を担えというのは、市町村単位ではとてもではないけれども無理」という意見が総務省や市町村から示された
23ことで、調整が難航した。
結局、利害調整の過程では、都道府県も、市町村も保険者を引き受けなかったため、国民に縁遠い広域連合が運営者になったと言える。実際、妥協の産物として広域連合というアイデアが浮上したのは最終決着の1週間前ぐらいだったという
24。
この結果、厚生労働省の表向きの説明とは裏腹に、「財政責任の主体が明確になった」とは言い難い。例えば、運営主体となった広域連合で自前の職員を採用しているケースは少なく、その多くは市町村の出向に過ぎないし、国民と接する窓口も持っているわけでもない(保険料徴収は市町村の事務)。こうした組織が給付管理の責任を果たすことは事実上、困難と言わざるを得ない。
さらに、保険料の年金天引きなどについて、国民の批判と不満が高まったことで、後期高齢者医療制度は波乱の船出を強いられた。そこで、国は制度見直しの一環として、(1)後期高齢者医療制度の廃止、(2)国民健康保険の都道府県化、(3)両者を統合し、都道府県に制度運営を委ねる――という考えを示した。その後、「後期高齢者医療制度の廃止」を掲げた民主党が2009年、政権を取った後も、自民党政権時代の見直し案の骨格はほぼ踏襲されたが、負担増を恐れる全国知事会との調整が付かず、この案は沙汰止みとなった。つまり、後期高齢者医療制度の運営が難しくなった場合、国民健康保険との統合は十分に考えられる。
19 土佐和男編著(2008)『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』法研p34を参照。
20 坪井栄孝(2001)『我が医療革命論』東洋経済新報社p35を参照。
21 同上149ページを参照。
22 2003年3月12日『日本経済新聞』を参照。
23 2005年10月27日、経済財政諮問会議事録における総務相だった麻生太郎氏(後に首相)の発言を参照
24 2021年10月『医療と社会』Vol.31 No.2の厚生労働省官僚OBによる座談会での発言を参照。