はじめに
何回かに分けて、これまで慣れ親しんできた数学で使用されている記号の由来について、報告している
1。
第1回は、四則演算の記号(+、-、×、÷)の由来について、
第2回は、数字の関係を表す記号(=、≒、<、>等)について、
第3回は、集合論で使用される記号(∩、∪、⊂、⊃等)について、
第4回は、論理記号(∀、∃、∴、∵等)、
第5回は、べき乗(an)、平行根(√) 等、
第6回は、無限大(∞)、比例(∝)、相似(∽)等、
第7回は、三角関数(sin、cos、tan等)、
第8回は、「数」の記号、
第9回は、数学定数等(e、π、φ、i)、
第10回は、確率・統計関係の記号、について報告した。
今回は、括弧記号について、報告する。
1 主として、以下の文献を参考にしている。
Florian Cajori「A History of Mathematical Notations」(1928、1929)の冊子の再発行版(2012)(Dover Publications,Inc)
括弧記号
「括弧記号」といった場合、いろいろな記号を思い浮かべられると思う。また、同じ記号でも、その使われ方で、異なる意味合いを有している。代表的な括弧記号には、例えば、以下のようなものがある。通常は、同じ形で方向を逆にした、開始を意味する「開き括弧」と終了を意味する「閉じ括弧」が1対のセットになっている。
(1) 丸括弧 ( )
英語でparenthesisと言うことから、「パーレン」と呼ばれる。一般的に括弧をbracketと呼ぶことから、その場合にはround bracketと呼ばれることもある。
括弧という場合には、通常はこの丸括弧を指している。なお、二重丸括弧(( ))(double parentheses又はwhite parentheses)もある。
この丸括弧については、以前は「小括弧」とも呼ばれていた。日本においては、数式における括弧の順番について、[{( )}]の順で使用されてきたことから、( )を小括弧、{ }を中括弧、[ ]を大括弧と呼んできた。ただし、世界的には{[( )]}の順で使用するのが多数派であることから、現在はこれらの呼び方は推奨されていない。JIS(日本産業規格)においては、括弧の順番について特に規定していないが、{[( )]}の順が大多数であることが付記されている。
なお、異なる括弧記号を使用することで、括弧の開始と終了がより明確になるという利点があるが、実際の括弧の使用においては、丸括弧が複数使用されているケースも多いようだ。
(2) 角括弧 [ ]
英語でbracketと言い、「ブラケット」と呼ばれる場合は、通常はこの角括弧を指している。ただし、他の括弧と明確に区別する場合には、square bracketあるいはbox bracketと呼ばれる。
あまり見られないが、二重角括弧〚 〛(white square brackets)もある。
(3) 波括弧 { }
英語の呼び名に応じて、「ブレース又はブレーシズ(brace(s))」、「 カーリーブラケット( curly bracket)」あるいは「カール( curl)」と呼ばれる。
(4) 鍵括弧 「 」
英語でcorner bracketと言い、「コーナーブラケット」と呼ばれる。
二重鍵括弧『 』(white corner bracket)もある。
(5) 亀甲括弧 〔 〕
英語ではtortoise shell bracketということになる。
二重亀甲括弧〘 〙(white tortoise shell brackets)もある。
(6) 山括弧 < >
英語でangle bracketと言う。
二重山括弧≪ ≫(double angle bracket)もある。
(7) 隅付き括弧(すみつきかっこ) 【 】 〖 〗
英語でlenticular bracketと言う。なお、隅が黒いblack lenticular bracketと隅が白いwhite lenticular bracketがある。
さらに、これらの括弧記号を縦並びにしたようなものもあるし、太さを太くしたり、一部を曲線にしたりといういうような様々なバリエーションがある。
以下では、これらの括弧記号のうち、数学記号として一般的に使用されているものについて、その由来等について見ていくことにする。
数学記号としての括弧記号の由来
数学の世界において、括弧記号のようなものは、英語で「Grouping Symbols」と言われ、グループ化のための記号ということになる。この括弧記号の由来については、必ずしも明確ではないようだ。実際に、数学史家として有名なフローリアン・カジョ―リ(Florian Cajori)やモーリス・クライン(Morris Kline)の間でも、いくつかの説が見られている。さらには、17世紀においては、グループ化を数字や式の上に括線を引くことで表していたようだ。
以下では、括弧記号の由来についてのいくつかを紹介する。
丸括弧( )
丸括弧( )については、Cajiriによれば、16世紀にはまれにしかみられず、明らかに丸括弧が見られる最も初期のものはニコロ・タルタリア(Nicolo Tartaglia)による1556年の本だとされている。それ以前にも使用された例もあるようで、Cajoriによれば、3次方程式の解法等で有名なイタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノ(Girolamo Cardano)の1545年の著書「Ars Magna(偉大なる術)」でも使用されていたようだ。なお、Kleinは、ドイツの数学者マイケル・シュティーフェル(Michael Stifel)による1544年の著書「Arithmetica integra」に丸括弧が登場しているとしているが、Cajoriによれば、これは、数学記号としてではなく句読点としての使用だとの意見である。
角括弧[ ]
角括弧[ ]については、Cajiriによれば、1550年頃のイタリアの数学者ラファエル・ボンベリ(Rafael Bombelli)によるAlgebraの原稿版にみられる、としている。一方で、Kleinは、角括弧はフランスの数学者フランソワ・ビエト(Francois Viete)によるZeteticaの1593年版によって導入されたと言い、Cajoriもこれにおいて、角括弧と波括弧の両方が使用されている、としている。
波括弧{ }
波括弧記号{ }については、Cajiriによれば、Francois VieteによるZeteticaの1593年版に記載されているとのことである。
括弧という用語の由来
さて、「括弧」という用語の由来については、まさに「弧を括る」という意味合いから来ているようだ。清代末期の中国において、数学書の中国語への翻訳に取り組んでいたスコットランド国教会の宣教師のアレクサンダー・ワイリー(Alexander Wylie)が最初に使用したとされている。これが他書を介して、明治時代に日本に伝わってきて、一般化されたようだ。なお、括弧記号の使用自体は19世紀の蘭訳書にも見られたが、特定の名称は用いられていなかったとのことである。
このように、括弧記号の使用とその用語の由来は、数学と深く関わっているようである。
数学記号としての括弧―計算式の順序
数学記号としての括弧記号は、まずは計算式の順序を明確に示すために使用される。括弧記号があれば、同種の括弧記号で括られた中の計算が優先的に行われる。そして、先に述べたように、複数の括弧記号を使用する場合には、世界的には{[( )]}の順で使用するのが多数派となっている。
なお、念のために申し上げておくが、括弧記号の中の計算については、(1)まずは指数計算があれば、それを優先し、(2)四則演算については、左から計算するが、(3)乗除算は加減算よりも優先される、ということになる。
数学記号としての括弧―区間の表示
次に、括弧記号は、区間(interval)を示す。丸括弧( )は、その点を含まないことを示しており、角括弧[ ]は、その点を含むことを示している。具体的には以下の通りとなる。
aやbを実数として、
(a,b)は、「開区間(open interval)」を示しており、a<x<b を満たすxを示している。
[a,b]は、「閉区間(closed interval)」を示しており、a≦x≦b を満たすxを示している。
(a,b]は、「半開区間(左開右閉)」を示しており、a<x≦b を満たすxを示している。
[a,b)は、「半開区間(左閉右開)」を示しており、a≦x<b を満たすxを示している。
ここで、aの代わりに「-∞」、bの代わりに「∞」を使用する場合もある。例えば
(-∞,b)は、x<b を満たすxを示している。
(a,∞)は、a<x を満たすxを示している。
(-∞、∞)は実数直線を表している。
こうした区間を表示するための括弧記号の使用についての由来も明確ではないようだ。
なお、有名な数学者集団ニコラ・ブルバキ(Nicolas Bourbaki)は、以下で述べるように、丸括弧記号が座標や順序対等のその他の数学分野において使用されていることから、これらと区別するために、丸括弧を使用せずに、全てを角括弧で表すことにして、
(a,b)→ ]a,b[
(a,b]→ ]a,b]
[a,b)→ [a,b[
のような記法を使用したが、あまり普及していない。
ガウス記号 [ ]
ガウス記号というのは、[a]という記号で、aを超えない最大の整数値を表している。即ち、ある実数aについて、整数nを用いて、n≦a<n+1 であるならば、[a]=n となる。例えば、
[5.34]=5
[-3.284]=-4
というような具合である。特に、負の整数の場合には注意が必要になる。
ドイツの大数学者であるカール・フリードリヒ・ガウス(Carl Friedrich Gauß)が、平方剰余の相互法則の証明に用いたことに由来している。
ガウス記号については、床関数(floor function)やフロアー関数というような呼び方もされる。この場合、ガウス記号を⎿a⏌で表したりする。これはまさにガウス記号が切り捨てを意味していることをより明確に示した形になっている。さらに、逆に⎾a˥ で切り上げを表し、天井関数(ceiling function)と呼ばれたりする。
なお、床関数(floor function)や天井関数(ceiling function)といった名称やその記法は、1962年に、プログラミング言語APLを開発したことで有名なカナダの計算機科学者であるケネス・アイバーソン(Kenneth Iverson)によって導入された。
床関数や天井関数は、郵便料金等の各種の料金体系等によく現れてくることから、有用な数学記号となっている。
括弧のその他の数学記号としての使用
丸括弧を使用する(a,b)は、平面における「座標」を示している。より一般的なn次元においても、同様な記法が使用され、(a1,a2,・・・,an)と表現される。
また、「順序対」と呼ばれる順序の付いている対を表すのにも丸括弧は使用され、(a,b)は、aとbの順序のついた組に対して使用される。
これに対して、aとbの順序の付いていない組は「集合」を表す記号として、波括弧を使用して{a,b}と表される。{a,b}={b,a}であるが、一般的には、(a,b)≠(b,a)となる。
この集合における波括弧記号の由来についても明確ではないようだ。少なくとも集合論の創始者であるゲオルグ・カントール(Georg Cantor)ユリウス・デデキント(Julius Dedekind)の時代には使用されていなかったとのことである。
以上に加えて、(1)2つの数字aとbに対して、(a,b)は、aとbの最大公約数を表す、(2)2つのベクトルaとbに対して、(a,b)は、aとbの内積を表す、(3)関数を表すのにf(x)という形で独立変数xを丸括弧で囲む、というような使用法もある。
その他の場面で使用されている例もあるが、この程度で留めておく。
まとめ
以上、今回は、括弧記号について、報告してきた。
括弧記号は、現在の世の中において、社会全般にわたって幅広く使用されているが、その中で数学記号としても大きな意味合いを有している。そもそも、括弧と言う用語が数学書の中国語翻訳に由来しているという事実は何となく興味深く感じられたのではないだろうか。一方で、括弧記号はあまりにも普遍的な記号になっているので、数学記号としての使用の由来がどこにあるのかについても必ずしも明確でない部分も多いようだ。
各種の括弧記号が複数の数学的な意味合いに使用されているのは、それが本当に簡便で効率的で使いやすいからだろう。それでも、領域が異なっていれば、同じ記号ではあっても、その意味を取り違えることもないので、幅広い使用が受け入れられているようである。
これからも数学においてだけでなく、各種の分野において、新たな形での括弧記号の使用が開発されてくるものと思われ、その動向については興味・関心を持って注視していきたいと考えている。