1|制度創設時の議論
まず、制度創設の流れを作った1994年12月の高齢者介護・自立支援システム研究会報告書を読むと、「家族はまさに『介護疲れ』の状態」「今日の高齢者介護は,家族が全てを担えるような水準を超えており、(略)家族のみの介護には限界がある」といった問題認識を披露しており、家族介護の担い手だった女性の負担軽減にも言及しています。その上で、「外部サービスを利用しているケースとの公平性の観点、介護に伴う支出増などといった経済面を考慮し、一定の現金支給が検討されるべきである」と定めていました。つまり、現金給付は選択肢の一つに入っていたと言えます。
ここで、留意すべきは介護保険制度が最終的に現金給付の仕組みになった点です。具体的には、医療保険と介護保険を対比させた
第17回で述べた通り、医療保険が純粋な現物給付であるのに対し、介護保険は現金給付をベースとしつつ、実際にはサービス提供者が保険者から代理で費用を受け取る「代理受領方式」を採用する形で現物給付となっている違いがあります。このため、家庭内で介護に携わる無償労働について、サービスの代わりに現金を給付するアイデア自体、不自然とは言えません。
しかし、結論を先取りすると、「介護の社会化に反する」という考えが強まり、現金給付は見送られました。例えば、数多くの論点に関して両論併記、多論並列となった1996年4月の老人保健福祉審議会(厚相の諮問機関)最終報告を見ると、現金給付の積極的な意見として、▽高齢者や家族の選択の幅が広がる、▽外部サービスを利用している事例との公平性を図る必要がある、▽家族が介護しているケースが大半であり、介護に伴う家計支出が増大している実態もある――といった点を指摘。一方、消極的な意見としても、▽現金の支給が適切な介護に結び付くとは限らない、▽家族介護が固定化され、特に女性が家族介護に拘束される恐れがある、▽介護を家族だけに委ねると、身体的精神的負担が過重になり、介護の質も確保できない恐れがある――などを挙げ、「広範な国民的議論が期待される」として結論を出しませんでした。
さらに当時はサービス基盤の整備が課題となっていたため、「現金給付が拡大すると、サービス基盤の拡充に繋がらない」といった意見も示されていました
13。こうした賛否両論がある中で、最終報告は結論を先送りしたわけです。国会議事録を紐解くと、当時の論点が見えて来ます
14。
家族介護につきましてどういう対応をするかということも、法案成立過程におきまして、いろいろ議論のあったところでございます。(略)現在、まだサービス基盤をもっともっと整備しなければいかぬ状況でございますので、その限られた財源をサービス基盤の充実に振り向けることが適当というようなことで制度を整理しているわけでございます。ドイツにおきましては、(略)現金給付が行われております。これは現物給付の場合の半分ぐらいの水準で行われております。
ただ、(略)我が国の現在置かれている状況を見ますと、まずはそういう基盤整備を充実することが大切ではないか、そして、家族にも現物給付の形で何らかの形で活用してもらう、そういう形が適当ではないかというふうに判断しているところでございます。
ここでは「先行例とされたドイツでも家族への現金給付が導入されているので検討に値するが、サービスが未整備の日本では時期尚早」と考えられた点が強調されています。同様の認識は新聞紙面でも見て取れます。例えば、介護保険の議論がスタートした頃の新聞
15では、約8割の市町村と約半数の都道府県が「介護手当」を支給しているという独自の調査結果を明らかにした上で、「国民から強制的に保険料を新たに徴収し、支給する手当をさらに増やすだけでは、家族の『介護地獄』は解消しない」と指摘しました。要するに、家族への現金給付を通じて、サービス基盤の整備が遅れたり、家族介護(中でも女性の負担)が固定化したりする懸念が強く示されたわけです。
実際、連立政権を構成する自民、社会、さきがけの3党は1996年9月、「現金給付については、当面行わないこととし、介護基盤整備への資金投入を優先する」と決めました。つまり、「現金給付vsサービスの充実」「家族介護vs介護の社会化」という対立が続き、現金給付が見送られたわけです
16。
しかし、実はわずかに現金給付が認められている部分があります。これは「要介護4または5の要介護者を介護する家族が1年間、介護保険制度サービスを利用していない」などいくつかの要件を満たした人に年10万円(自治体によって金額が違います)を支給する「介護家族慰労金」という仕組みであり、こちらが作られる時も一悶着がありました。以下、この経緯を振り返ります。
13 京極高宣(1997)『介護保険の戦略』中央法規出版p93を参照。
14 1997年2月28日、第140回国会衆議院厚生委員会における厚生省の江利川毅官房審議官の発言。
15 1995年10月21日『朝日新聞』。
16 これとは別に、財政当局が歳出拡大に繋がる懸念を持っていたことも制度化見送りの理由に挙げられるという。増田雅暢(2003)『介護保険見直しの争点』法律文化社p178。さらに千葉県野田市が独自の現金給付を実施し、賛否両論の意見が示された。『地方分権』2020年2月号などを参照。