はじめに
学生時代に、複雑な算式を図表で表すと、いろんな形の曲線が描かれるのを勉強したと思う。この時には、「へー、そうなんだ」ぐらいの認識でおられた方も多く、むしろ、こうした算式の取扱いに四苦八苦して、結果として得られている曲線が、社会において、あるいは自然界において、どのような形で現れていて、どう役立っているのか、については、あまり説明がなく、殆ど勉強する機会もなかったのではないかと思われる。
ということで、今回の研究員の眼のシリーズでは、「曲線」について、どんな種類があって、それらが実際の社会における、どのような場面で現れてきて、どう社会に役立っているのかについて、報告している。前回までの12回の研究員の眼では、楕円、放物線、双曲線等の「円錐曲線」、「カテナリー曲線」、「クロソイド曲線」、「サイクロイド曲線・トロコイド曲線」、「リサージュ曲線」及び「バラ曲線」、「カッシーニの卵形線」、「レムニスケート」、「デカルトの正葉線」、「螺旋(らせん)」や「渦巻」について報告した。
今回は、3次曲線と呼ばれるアーネシの曲線・シッソイド等について、これらがどのように役立っているのかを適宜含めて、紹介する。
アーネシの曲線
「
アーネシの曲線」は、イタリア語で「la versiera di Agnesi」、英語で「
witch of Agnesi(アーネシの魔女又はアニェージの魔女)」と呼ばれる曲線で、後で述べるように円を展開してできる3次曲線で、以下の直交座標の方程式で表される曲線である。日本語では(池を迂回する線という意味合いとその呼び名に因んで)「
迂池線(ウイッチ線)」とも呼ばれる。
名前が極めて印象的な曲線だなと思われるかもしれないが、まずは「アーネシ」は、この曲線を研究した18世紀のイタリアの女性の数学者マリア・ガエターナ・アニェージ(Maria Gaetana Agnesi)(アーネシ)
1に因んでいる
2。一方で、「魔女」というのは、マリア・ガエターナ・アニェージ等が名付けたイタリア語のversiera(これは「縄」を意味する)あるいはラテン語のversoria(これは「帆を回すロープであるシート」を意味する)に対して、当時のイタリアで悪魔について話す際にversieraが悪魔の妻や魔女を示すために使用されていたこともあり、ケンブリッジ大学の教授 John Colson が「魔女」と翻訳(誤訳と言われている)したことによるものとされているようだ。
さて、下図のように、原点Oと y 軸上の点Aを結ぶ線分を直径とする円を考える。原点Oから円上の点Qに直線 OQを引き、直線OQが Aから x 軸と平行に引いた直線との交点を点Rとする。 点Rから線分OAと平行な直線を引き、これが点Qから x 軸と平行に引いた直線と交わる点をPと する。この時、点Qの移動につれて点Pが描く軌跡が、「
アーネシの曲線」となる。
円の直径をa、θをOAとOQがなす角(時計回り)とすると、以下の式で表される。
この曲線の性質は、以下の通りとなっている。
・y 軸に対して線対称で、x 軸が漸近線
・変曲点
3は、
・曲線と x 軸との間の領域の面積は πa
2(元の円の面積の4倍)
・曲線と x 軸を y 軸の周りに回転させてできる立体の体積は、π
2a
3/2(曲線を定義する円の回転トーラスの体積の2倍)
・x 軸との間の領域内に内接できる最大面積の長方形は、高さがa/2、幅が2aで面積はa
2
・曲線の重心は(0,a/2)(円の重心は(0,a))
・曲線とこの曲線を定義する円とはその頂点で接しており、この頂点での振動円(この曲線の曲率に最も近似する円で、頂点では同じ曲率)になっている。
1 歴史に名前を残している数少ない有名な女性数学者の中の一人である。イタリアのミラノ生まれで、妹のマリア・テレーザ・アニェージ(Maria Teresa Agnesi)も、有名な作曲家、チェンバロ(ハープシコード)奏者、歌手であり、ミラノ・スカラ座の劇場博物館に彼女の肖像画があるとのことである。
2 この曲線については、フェルマーの定理で知られるピエール・ド・フェルマーの研究も知られている。
3 連続な平面曲線上の点で、その点において曲線が凹から凸へ又はその逆へと変化する点
アーネシの曲線の応用
アークタンジェント(arctan)関数の導関数(即ち、arctan関数を微分すると得られる関数)のグラフは、アーネシの曲線の例となっている。具体的には、以下の通りである。
また、アーネシの曲線は、コーシー分布
4の確率密度関数となっていることから、確率論で利用されている。標準コーシー分布と呼ばれるものの確率密度関数は以下で与えられる。
コーシー分布は、正規分布等と同様に、解析的に表現できる確率密度関数を持つ数少ない安定分布
5の1つであり、極端値(外れ値)に敏感な正規分布と異なり、厚い裾(heavy tail)を持っているため、極端値の影響を受けやすいデータ解析にしばしば用いられる。
コーシー分布は、ローレンツ分布とも呼ばれ、物理学の分野ではブライト・ウィグナー分布という名前で知られ、強制共鳴
6を記述する微分方程式の解となっている。また、レーザーや電子線の回折強度分布のモデルとしても,ローレンツ分布が用いられることがある。
数値解析において、多項式による関数の近似を行う場合にルンゲ現象
7を生じさせる例となっている。
アーネシの曲線は、特にX線のスペクトル線のエネルギー分布を近似している。
滑らかな丘の断面は、アーネシの曲線に似た形をしており、この形状の曲線は、数学的モデリングにおいて流れの中の一般的な地形的障害物として使用されてきた。深海のソリトン(孤立波)(ただ一つの山だけが伝わっていく波)もこの形をとることがあるようだ。
このように、アーネシの曲線は、統計・物理・工学等の幅広い分野で実用的に用いられている。
4 連続確率分布の一種で、正規分布よりも減衰が遅く、裾が厚い分布として知られている。期待値や分散は定義されない。
5 この分布を持つ 2つの独立確率変数の線形結合が、位置パラメータとスケールパラメータまで同じ分布を持つ場合、分布は「安定」していると言われる。
6 外部から周期的な力が加わる際に、系の固有振動数に近い周波数で大きな振幅の振動が発生する現象
7 数値解析では、等間隔の補間点を持つ多項式補間を使用して関数を近似する場合、一部の関数では、より多くの点を使用すると近似が悪くなり、補間が近似しようとしている関数に収束するのではなく発散する場合がある。この逆説的な振る舞いを「ルンゲ現象」と呼んでいる。
シッソイド
通常「
シッソイド(cissoid)」と呼ばれるのは、以下の直交座標の方程式で表される曲線で、「
疾走線」とも呼ばれる。
「シッソイド」という名称は、古代ギリシア語の「ツタの形」に由来している。紀元前180年頃に、古代ギリシアの幾何学者であるディオクレスが研究したことで有名なことから「
ディオクレスのシッソイド(Cissoid of Diocles)」とも呼ばれる。ディオクレスは、幾何学的な方法で立方体を複製する試みに関連して発明したとされる。
媒介変数表示や極方程式では、以下のように表される。
この曲線の性質は、以下の通りとなっている。
・x軸に対して線対称であり、x = a を漸近線に持つ。
・原点は尖点
・曲線間の領域の面積は (3/4)πa
2
さて、原点Oと点A(0, a)を取って、線分OAを直径とする円C、点Aにおける円Cの接線Lを考える。点Oを通る直線と円C及び接線Lとの交点をそれぞれ Q, Rとし、OP = QRを満たす点Pを半直線OR上にとる。直線を動かしたときの点Qの軌跡が「
ディオクレスのシッソイド」となる。
なお、より一般的には、二つの曲線 C、C′と定点O に対して、Oを通る直線とC、C′との交点をそれぞれQ, Rとし、OP =QRを満たす点Pを半直線OR上にとるときのRの軌跡を、「
曲線 C, C′と点 O に関するシッソイド」と呼んでいる。上で説明したように、特に、Cを円とし、Oを C 上にとり、C′を O の反対側におけるCの接線とした場合が、通常シッソイドと呼ばれる「ディオクレスのシッソイド」となる。
これまでに紹介してきた曲線等との関係では、以下の通りとなる。
シッソイドの応用
シッソイドは、与えられた比率に対する2つの幾何平均を構築するために使用できるという特性を有しているため、立方体倍積問題(ある立方体の2倍の体積を有する立方体の構築)に使用された。
ディオクレスは、シッソイドを使用して、与えられた比率に対する2つの幾何平均を求めた。これは、長さaとbが与えられた場合、シッソイドによって、(古代ギリシアの数学者であるキオス島のヒポクラテスによって発見されたように)u/a = v/u = b/v となる、uとvを見つけることができることを意味している。
具体的には、以下の通りとなる。
与えられたaとbに対して、以下の方程式で表されるシッソイドを考える。
原点O、点A (2
a, 0)、Jを線 x =aとし、CをJとOAの交点とする。CB =bになるようにJ上の点Bをとる。BとAを結び、シッソイドと交差する点をPとする。OとPを結び、Jと交差する点をUとすると、u = CUが求める長さとなる。
なお、これが確かに求める値となっていることについての証明は省略する。
特殊なケースとして、これは「
デロス島の問題(Delian problem)」(いわゆる、
立方体倍積問題)を解決するために使用できる。具体的には、aが立方体の辺であり、b = 2aの場合、u辺の立方体の体積は次のようになる。
つまり、u辺の立方体は元の立方体の2倍の体積を持つ立方体となる。
なお、ディオクレスのシッソイドは、コンパスと直定規では完璧に構築できないことから、ディオクレスはいわゆる3大作図問題
8を解決したわけではない。
なお、現代におけるシッソイドの利用は、教育・研究用途と,CG(Computer Graphics)やCAD(Computer-Aided Design)での「曲線デモンストレーション」等が主となっているようだ。
ストロフォイド
「ストロフォイド(strophoid)」は、ある曲線と2点について定義される曲線である。「葉形線」あるいは「結繩形線」、「捩走線」とも呼ばれる。「ストロフォイド」という言葉は、「捻れる」、「回転する」という意味を有するギリシア語に由来し、「捻れた形」と意味を有している。
一般的には、曲線Cと点A(固定点)、点P(極)について、直線ℓと曲線Cの交点をKとするとき、線分AKの長さ分だけ、Kと離れたℓ上の2点Q
1とQ
2の軌跡を「
ストロフォイド」という。
Cが直線かつ点AがC上にあり点PがC上にないとき、特に「
斜ストロフォイド(oblique strophoid)」といい、さらにPAがCの垂線であるとき(右の図のケース)、「
直角ストロフォイド(right strophoid)」あるいは単に「ストロフォイド」という。
ここでは、直角ストロフォイドのみを紹介する。
直角ストロフォイドは、直交座標では、以下の式で表され、右に示すような曲線となる。
また、媒介変数表示と極方程式では、以下のように表される。
この曲線の性質は、以下の通りとなっている。
・x軸に対して線対称である。
・原点Oで自らと交わる。
・原点Oと (-a, 0) でx軸と交わる。
・x=a を漸近線に持つ。
・ループ内の面積は 2a2-πa2/2
・曲線と漸近線との間の面積は
S2=2a2+πa2/2
ストロフォイドの応用
ストロフォイドは、数学の世界での幾何学や微分幾何学における曲線の特性等の研究に加えて、物理学や工学の世界で「トラジェクトリ(trajectory)」(物体が移動する際に描く軌跡や経路)の解析やデザインの研究において、曲がった軌道を描く物体のモデリング等において利用される。
デカルトの正葉線
「
デカルトの正葉線(folium of Descartes)」は、以下の直交座標の方程式で表される三次曲線である。
この曲線については、以下の性質がある。
・原点Oで自らと交わり、x+y+a=0 を漸近線に有している。
・直線y=x とは、原点と(3a/2, 3a/2)の2点で交わる。
・曲線は、以下の3つの部分で構成される。
(1) t<―1 の時 x0、y<0 の部分の翼
(2) -1<t<0 の時 x<0、y>0 の部分の翼
(3) t≧0 の時 x>0、y>0 の部分のループ
・ループで囲まれる部分の面積は、S=3a
2/2
・翼部分と漸近線との間の領域の面積も、S=3a
2/2
デカルトの正葉線の応用
デカルトの正葉線は、デカルトとフェルマーの接線問題・求積問題を巡る論争で有名で、その後の微分積分学の確立・発展の契機となったという意味において、歴史的に意義ある曲線であり、引き続き数学教育や学術研究において貢献している。工学・応用科学等においても基礎理論として間接的応用がされているといえるが、デカルトの正葉線そのものが直接的に使用されることは少ないようだ。
最後に
今回は、これまで報告してこなかった3次曲線と呼ばれるものを中心に、これらがどのように役立っているのかを含めて、紹介してきた。今回紹介したもの以外にも、3次曲線には「半立方放物線(semi-cubical parabora又はcuspidal cubic)」(あるいは「ニールの(半立方)放物線(Neile's parabola)」とも呼ばれる)、「ライプニッツの等時性曲線(isochrone curve of Leibniz)」といったものがあるが、これらについてはまた機会があったら報告したいと思う。
曲線の形だけをみると、これまで紹介していた曲線に比べて、馴染みが薄く、初めて見たという人も多いかもしれない。また、それらがどのような形で形成される曲線なのかを説明しても、何でそのような複雑(?)なプロセスで形成される曲線に意味があるのかと思われるかもしれない。
ただし、こうした曲線も、純粋に数学的な興味・関心だけに基づくものではなく、その形成プロセスの関係からも一定想定されるように、必要性があって、必然的に分析・研究が進められてきたものであり、その結果として、現在においても、幅広く社会に貢献するものとなっている。このコラムがそのことを一定程度ご理解いただける契機になってくれればと思っている。