2|小津安二郎の映画に観る繋がりの消滅
しかし、そんなに単純に事態は解決しません。現実的には地縁や血縁、会社の繋がりの消滅は「人間関係の希薄化」という否定的な言説で説明されるものの、「閉鎖社会」からの「解放」という前向きな評価も可能なためです
3。言わば「人間関係の希薄化」と「閉鎖社会からの解放」はトレードオフの関係にあることを意識する必要があります。
これを理解するため、1959年に公開された小津安二郎の映画『お早よう』を取り上げたいと思います
4。映画は林敬太郎(笠智衆)、専業主婦の林民子(三宅邦子)、小学校に通う2人の息子の林実(設楽幸嗣)と林勇(島津雅彦)という4人家族を中心に展開されます。一家が住む家の周囲には4~5軒の平屋が長屋のように並んでおり、近所に住む2人の主婦が井戸端会議でヒソヒソ話を続けているシーンから映画が始まります。
具体的には、「自分達は先月分の婦人会の会費を支払ったはずなのに、ウチらの組だけ徴収されていないらしい」「婦人会の会長宅が電気洗濯機を買ったので、自分達の支払った会費がネコババされたのでは」といった噂話です。結局、この疑惑は簡単に解決します。婦人会長の母が会費を預かったことを忘れていたに過ぎず、この話は一旦、収まります。
これだけ読むと、何の変哲もない日常のように聞こえるかもしれませんが、こうした噂話のわずらわしさは映画の随所に現れます。例えば、丸山家という若い夫婦世帯は少し奇抜な恰好を好んだため、隣近所から「昼間に西洋の寝間着を着ている」「(注:妻が)池袋のキャバレーにいた」などと噂を立てられ、映画の後半で引っ越しを決めます。
さらに、林家でも家庭内の些細なイザコザを近所の井戸端会議で揶揄されたことで、民子が丸山家の引っ越し風景を見つつ、「何だかんだ言って、隣近所がうるさいからね。うちも引っ越したくなっちゃった」とボヤくシーンがあります。
その半面、映画では隣近所で声を掛け合うなど、今の暮らしでは減ってしまった地域の繋がりが描写されています。例えば、最後は引っ越ししてしまう丸山家は近所で唯一、テレビを持っており、実と勇は近所の子どもたちと放課後、テレビを見るため、丸山家に遊びに行く描写が見られます。
当時、白黒テレビの普及率は10%程度であり、丸山家は私的空間だけど、地域に開かれた場所、今で言うと「居場所」になっていたと言えます。
しかし、エンディングでは敬太郎がテレビを買って来るシーンがあります。その結果、テレビを目当てに、林家兄弟が外出することはなくなります。それでも普及率が低い時点では、テレビを持っていない家の子どもたちが林家に集まるかもしれないですが、やがてカラーテレビの普及率が100%に近付けば、テレビは完全に私的空間で独占されることになります。この結果、各家庭におけるテレビの保有が地域の繋がりを失わせる一つの契機になったことに気付きます。
要するに、映画では、中間集団としての地縁が住民同士の繋がりを作り上げていた半面、「テレビを家庭で楽しむ」「隣近所の煩わしい付き合いを避ける」という便利さや快適さを追求する私的空間の拡大が地縁の消滅を招いた経路にも気付かされます。
実際、同じような事象は様々な場面で起きたはずです。例えば、小津安二郎が1953年に作った『東京物語』では、家族が縁側で涼を取っている時、隣近所の人から声を掛けられるシーンがありますが、クーラーの普及に伴って、こうした機会は減りました。
さらに、同じ時期の日本映画を見ていると、女性が川や洗い場で洗濯しているシーンを多く見掛けます。これは女性の家事負担となり、家事を巡る性的役割を固定化させる一因になっていた半面、近所の人と顔を合わせたり、時には共同で作業したりする空間になっていた面もあります。その後、洗濯機が普及したことで、こうした負担から女性が解放された半面、地域の繋がりを減らす要因になったと考えることもできます。
つまり、戦後の日本社会がプライバシーや便利さ、快適さを追求した結果、中間集団やソーシャル・キャピタルが失われたと言えます。しかも、近年はデジタル技術の発達やSNSの普及など、情報を取れる選択肢が増えたことで、家族や会社の同僚でも同じテレビ番組やニュースを話題にすることさえ難しくなっています。
それだけ個人化と呼べるような事態(社会学では原子のように小さくなることを指して、「アトム化」と言う時もあります)が進んでいると言えます。もちろん、都会に比べると、地方では地縁や血縁が残されており、「地域の実情」は詳しく見る必要がありますが、少なくとも社会全体として、今から時計の針を逆回転させ、中間集団やソーシャル・キャピタルを元のように戻すことは相当、難しいと言わざるを得ません。