5|やっぱり不可解?国の説明
しかし、こうした説明には多くの疑問符が付く。1つ目の説明については、確かに0.61%分の部分はヘルパー以外の職種の給与などに充てられることが想定されているが、それでも基本報酬を引き下げる理由にはならない。どうして引き下げではなく、最低でも現状を維持できなかったのか、十分な説明になっているとは思えない。
2点目の「訪問介護の経営状況が好調」という説明については、もう少し様々な側面から検討する必要がありそうだ。この問題が論じられているメディアの記事
55を見ると、訪問介護事業所の約4割が赤字であることが強調されており、訪問介護の業界全体として「好調」とは言えない点が論じられている。実際、東京商工リサーチの発表
56でも、2023年1月から12月15日までの「訪問介護事業者」倒産は60件に達し、前年を20.0%上回るペースをたどった事実が明らかになっている。さらに、2024年1~5月の「老人福祉・介護事業」の倒産も前年同期比75.6%増の72件で、既に最多だった2020年の58件を大幅に上回っており、訪問介護事業所は34件に及んでいた。同社は「基本報酬が想定ほど上がらず、事業継続をあきらめた倒産が押し上げている可能性もある。人手不足や物価高などの根本的な問題は単独では解決できないだけに、しばらくは倒産の増勢が続きそうだ」と予想している。
その半面、幾つかの調査
57では、訪問介護の赤字に関して、大規模化が遅れている点とか、訪問回数が少ない点などが指摘されている。さらに、元厚生労働省幹部が高収益になる理由として、非正規雇用者に多くを頼る訪問介護業界の構造を指摘している
58。具体的には、1事業所に14.8人のヘルパーが勤めているのに対し、非常勤職員が10.9人を占めているといった数字を示しつつ、低賃金の非正規雇用者を多く採用することで、相対的に訪問介護が高収益になりやすい構造を論じている。
このほか、訪問介護の数字が「好調」になった理由として、「7.8%」という数字には同一建物における訪問介護と、それ以外の訪問介護が混在している影響を指摘する意見も聞かれる。
以下、少し補足すると、訪問介護のビジネスでは、ヘルパーの移動時間を少なくすると、収益率が上がりやすくなる。言わば、空車時間を減らすと採算が改善するタクシーと同じ構造と言える。そこで、サービス付き高齢者向け住宅など同一建物に住む高齢者に対し、ヘルパーが短時間で数多くサービスを提供すると、それだけ収支差は改善する。
つまり、同一建物の訪問介護と、それ以外の通常の訪問介護では、収益構造が大きく異なる。このため、同一建物における訪問介護の報酬単価は通常よりも抑えられており、2024年度改定では同一建物に関するケアプラン(介護サービス計画)を作成する居宅介護支援事業所についても、同様の減額ルールが導入された。
しかし、統計上の分類は「訪問介護」で一括りされるため、実態以上に経営が好調のように見えたのではないか、という指摘であり、業界関係者からは「本来は(筆者注:同一建物に関して)対策済みなのに、さらに基本報酬を一律に引き下げてしまった点が問題」との声が出ている
59。
実際、厚生労働省が2023年11月の介護給付費分科会に示した資料
60に沿って、2021年の延べ訪問回数ごとに訪問介護事業所の収支差を見ると、回数が多い事業所の方が好調だった。具体的には、200回以下で▲1.5%、201~400回以下で2.3%であり、1,201~1,400回は6.7%、1,401~2,000回は6.9%、2,001回以上は8.8%という数字が示されている。
さらに、同じ日の審議会資料では、同一建物の減算を受けている事業者の収支差が8.5%であるのに対し、それ以外の事業者は5.3%という数字も出ていた。このため、同一建物の「好調」が影響した可能性は否定できない。
しかし、これでも「好調」という結果の理由付けとしては不十分である。一例を挙げると、全サービス平均の収支差が2.4%であるのに対し、同一建物減算を受けていない訪問介護事業所の収支差率も5.3%と高止まりしている。つまり、数字上に限れば、同一建物にとどまらず、業界全体として「好調」と言えなくもない
61。
本稿は訪問介護を「好調」と見做す判断の是非とか、数字上は「好調」になっている原因を明らかにするのが目的ではないため、この程度で言及を留めるが、いくら訪問介護が「好調」だったとしても、それ自体が基本報酬引き下げに踏み切る理由にならない。例えば、財源の分配を考える時、基本報酬を維持しつつ、処遇改善の引き上げ幅を抑えることも可能だったはずである。
このため、厚生労働省の説明や理屈付けに納得できる面もあるが、それでも基本報酬引き下げに踏み切った理由が明快に説明されているとは到底、思えない。
55 例えば、2024年3月10日『朝日新聞デジタル』配信記事を参照。
56 2024年6月7日、同年5月13日、2023年12月20日の東京商工リサーチ『TSRデータインサイト』を参照。
57 例えば、高橋佑輔(2023)「2021年度(令和3年度)訪問介護の経営状況について」『WAM Research Report』、岡本真希子(2023)「訪問介護事業所の現状と課題」『JRレビュー』Vol.2 No.105を参照。
58 中村秀一(2024)「なぜ訪問介護は高収益か」2024年5月1日『社会保険旬報』No.2926を参照。
59 例えば、2024年2月23日『シルバー新報』における伊豆介護センターの稲葉雅之社長に対するインタピューを参照。
60 2023年11月6日、介護給付費分科会資料を参照。
61 もう一つの可能性として、恒常化する人材不足に伴って人件費の支出が減った影響を想定できる。実際、介護経営実態調査が公表された際、厚生労働省が「困難な人材確保による人件費の減少で支出が減少しているため、プラスになっているのではないか」と説明していた。2023年11月17日『シルバー新報』を参照。2023年11月16日の『ケアマネジメントオンライン』配信記事でも、厚生労働省の担当者に対する取材として、同様の見方が紹介されている。しかし、介護事業経営実態調査を基に、施設・事業所当たりの給与を見ると、2022年度決算ベースで217万5,000円であり、前年度比1.2%減にとどまっている。以上を踏まえると、人材不足が一部の事業者の経営に影響を与えていることは間違いないが、全体的な傾向を説明する材料になり得るか、微妙と言わざるを得ない。