しかも、セミナーには日医理事の長島氏と民間コンサルタントが同席し、伊原氏の説明の後、長島氏が質問、民間コンサルタントが答えるという形式で、ベースアップ評価料の提出方法や留意点などが事細かに解説されていた。
管見の限り、こうした対応は極めて異例であり、賃上げに対する厚生労働省と日医の強い思いが伺えるとともに、「制度が複雑」「手続きが煩雑」といった現場の不満に対応する狙いがあると見ても差し支えないだろう。
しかし、2026年度以降の対応を視野に入れると、制度の複雑化が進む危険性が高い。そもそもの前提として、現在の経済情勢を踏まえると、2026年度診療報酬改定でも賃上げ対応は引き続き焦点になると見られており、厚生労働省幹部は「他の産業でも賃上げが進む中で、医療分野でいかに人を確保し続けられるかが大切」
21、「医療・介護人材の処遇改善は、今後も重要課題の一つになる」
22と述べている。
このため、ベースアップ評価料の仕組みが継続されることはほぼ間違いないと思われる。実際、日医は「2年後の改定でもベースアップ評価料を継続して、その時の状況にふさわしい賃上げ対応ができる原資を確保することです。そうでなければ、各医療機関が安心して賃上げすることができません」と期待感を示している
23。
さらに、介護職員処遇改善加算が継続されている点を引き合いに出しつつ、中医協の診療側委員の一人も「評価料をなくすことはできないと考えています」「入院基本料や初再診料を大幅にアップできる局面が来ない限り、外せない点数になっている」との認識を披露している
24。
一方、一般的な傾向として、診療報酬の加算は改定の度に複雑化することが多い。複雑で多様な医療現場へのテコ入れを診療報酬という単一のルールで統制しようとすると、「○○の場合は加算」「××を満たせば減算」といった形でルールが細かく定められるようになるためである。
その結果、加算のルールや点数は複雑化して行くのが通例であり、恐らく今回のベースアップ評価料についても、何らかの形で制度が複雑になる流れは避けられない。そうなると、事務負担は一層、増えることが予想され、さらに現場の不満は高まるかもしれない。
以上のように考えると、筆者は加算だけに頼る方法は問題が多く、限界もあると考えている。このため、「医療機関の経営状況は千差万別です。地域差もあるでしょうし、診療特性によっても異なる。やはり初再診料や入院基本料などの基本診療料を増点し、医療機関がそれぞれの裁量で最も適した形で賃上げを行うのが本来のあるべき姿」
25という意見は重要と考えている。
もちろん、貴重な改定財源がキチンと賃上げに回ったか検証も必要である。このため、例えば医療機関や医療法人ごとに労働分配率が分かるような情報開示を通じて、予算の使途を事後的に検証できる制度設計も選択肢として考えられるのではないか。実際、今回の診療報酬改定に際して、財務省の機動的調査では厚生労働省の「医療経済実態調査」よりも多いサンプル数を収集し、利益率や剰余金に関して、同一法人の年度ごとの変化が明らかになった。機動的調査の前提や結論については留保が必要だが、こうした方法も参照しつつ、政府による直接的な統制だけに頼らない方策も検討する必要がある。
例えば、2023年8月施行の改正医療法で導入された「経営情報データベース」では、「職員の職種別の給与・人数」が任意提出項目とされており、この仕組みを使った情報開示の強化も一案である。
なお、先に触れた通り、厚生労働省が今回のベースアップ評価料を解説するオンラインセミナーを開催するとともに、そのアーカイブを広く公開している点について、筆者は高く評価したいと考えている。これらは元々、「全ての医療機関でベースアップ評価料を算定していただきたい」
26、「ぜひ多くの医療機関で、ベースアップ評価料を算定していただきたい」
27という判断の下、医療機関の経営者などに加算取得を促す目的で実施されたと思われる。
実際、オンラインセミナーでも保険局長の伊原氏が図表3を示しつつ、「馴染みのない仕組みだとは思いますけども、皆さんに取得頂きたい」などと呼び掛けていた
28。このため、オンラインセミナーの視聴者としては、明らかに医療機関の関係者が想定されている。
その半面、これらのオンラインセミナーを通じて、医療機関だけでなく、国・自治体の議員、保険者(保険制度の運営者)や自治体の職員、患者・市民組織、コンサルタント、研究者など様々な関係者が制度改正の情報にアクセスできるようになった面もある。ややもすると、診療報酬改定の議論は関係者だけに閉じることが多いため、こうした形で幅広く情報を提供する工夫に今後も期待したい。さらに、同様の機会は診療報酬だけでなく、改定の度に複雑化しつつある介護報酬、障害福祉サービス報酬でも増やすことが求められる。
17 看護職の給与引き上げについては、2021年第2次補正予算に必要経費が全額国費(国の税金)で計上された。その後、2023年度予算から保険制度の枠内で対応する形に変更された。
18 2024年5月13日『週刊社会保障』No.3267におけるインタビューを参照。
19 『日経ヘルスケア』2024年5月号におけるインタビューを参照。
20 ここでは専ら2024年5月20日に開催されたオンラインセミナーを参照。https://www.youtube.com/watch?v=0N4KCCIQM58
同年2月15日にも厚生労働省と日医の共同でセミナーが開かれた。https://www.youtube.com/watch?v=aS3olEWSwBs
21 2024年3月13日『m3.com』配信記事における厚生労働省保険局の眞鍋馨医療課長に対するインタビューを参照。
22 『日経ヘルスケア』2024年4月号における厚生労働省医療課長の眞鍋氏に対するインタビューを参照。
23 2024年5月7日『m3.com』配信記事における日医常任理事の長島氏に対するインタビューを参照。
24 2024年3月18日『m3.com』配信記事における日本医療法人協会の太田圭洋副会長に対するインタビューを参照。
25 2024年5月7日『m3.com』配信記事における日医常任理事の長島氏に対するインタビューを参照。
26 2024年3月8日『m3.com』配信記事における厚生労働省医療課長の眞鍋氏に対するインタビューを参照。
27 2024年5月7日『m3.com』配信記事における日医常任理事の長島氏に対するインタビューを参照。
28 2024年5月20日に開催されたオンラインセミナーでの発言を参照。