3|地域保健法の制定
こうした構造変化を踏まえて、30年前の1994年に地域保健法が制定されます。これは保健所法を抜本改革する形で制定された法律であり、感染症対策など広域にまたがる事務については、都道府県が引き続き担う一方、老人保健や母子保健などは市町村の保健センターに再編されました。
この制度改正の必要性について、当時の国会では「生活者の立場を重視するということとともに地方分権を推進する、二十一世紀を展望しながらそのための抜本的見直しをしようということでございます。まず都道府県は、エイズ対策や難病対策など高度で専門的な保健サービスを提供することにしたい。市町村におきましては、母子保健サービスや老人保健サービスなどの身近な保健サービスを提供するとともに、既に移譲されております福祉サービスと連携のとれた総合的なサービスを提供する場にしていただきたい」という答弁が残されています
11。
ここでのキーワードの一つは「生活者の立場を重視」です。当時は「ここまで経済発展を遂げてきた我が国においては、行政は、消費者や国民生活、一般投資家重視へと姿勢を変えていかなければなりません」
12、「世界第二位の経済大国にまでなりましたが、生活の真の豊かさを実感できずにいるというのが国民の皆様方の正直な気持ちではないか」
13という認識が広く共有されており、宮澤喜一内閣、その後に続く非自民連立の細川護熙政権では「生活大国」「生活者」の言葉が重視されていました。こうした認識の下、母子保健や老人保健など生活に身近な事務は市町村に移譲する一方、広域にまたがる専門性の高い事務は都道府県で担う役割分担が志向されたわけです。
もう一つのキーワードは「地方分権」です。当時は1993年6月の国会決議を経て、地方分権に対する関心が高まった時期であり、細川政権の重要施策にも位置付けられていました。そこで、住民にとって最も身近な市町村の権限を強化する必要があると説明されたわけです。
この辺りに関しては、答弁で示されている「既に移譲されております福祉サービスと連携」という部分とも整合しています。福祉分野では1990年の「福祉八法」
14の改正を通じて、老人福祉計画(現高齢者福祉計画)の策定を自治体に義務付けるなど大規模な見直しが講じられました。
要するに、住民に身近な市町村の下、高齢者などの保健・福祉サービスを強化しようと判断されたわけです。分かりやすい言葉で整理すると、「高齢者の健康づくりなど『個』の課題は市町村の保健センター」「感染症対策など『面』の課題は都道府県の保健所」という役割分担になったと言えます。
この結果、資料3のように保健所の数が急減したことになり、「行政改革だから保健所が減らされた」という物言いは一面的に映ります。しかも、長期的に見ると、疾病構造の変化や人口の高齢化の流れは不可逆的であり、単に保健所の数を戻せば済む話ではないと考えられます。
では、今後の方向性として、どんな手立てが考えられるのでしょうか。上記の議論を踏まえつつ、いくつか筆者の意見を提示したいと思います。
11 1994年6月21日、第129回国会参議院厚生委員会における大内啓伍厚相の発言。発言は一部を省略した。
12 1991年11月8日、第122回国会衆議院本会議における宮澤喜一首相による所信表明演説。
13 1994年3月4日、第129回国会衆議院本会議における細川護熙首相による施政方針演説。
14 老人福祉法、身体障害者福祉法、精神薄弱者福祉法、児童福祉法、母子及び寡婦福祉法、社会福祉事業法、老人福祉法、 社会福祉・医療事業団法を指す。