3|医療の国家統制に対する嫌悪感
賛成派と反対派の意見対立が先鋭化した背景として、日医などの反対派が医療の国家統制に対し、強い嫌悪感を抱いている点も指摘できる。伝統的に日医の行動原理として、患者の健康に責任を持つ専門家としての自由や自治(professional freedom、professional autonomy)を重視する傾向が強い。このため、かかりつけ医を巡る議論に関しても、国家統制による「制度化」ではなく、フリーアクセスの下での患者の自由な選択と、医師の自主的な研鑽をベースに置く必要があるとの認識は以前から一貫している。
例えば、今回の議論では、「かかりつけ医は患者が選ぶもの」「医師と国民・患者の間で平時から身近で頼りになる関係をつくることが重要」
28という意見が一貫して示されていた。さらに、「かかりつけ医は患者さんの自由な意思によって選択されます。どの医師が『かかりつけ医』かは、患者さんによってさまざまです。患者さんにもっともふさわしい医師が誰かを、数値化して測定することはできません」「かかりつけ医機能をさらに進化させるとともに、より温かみのあるものにしていきます」という資料も公表されていた
29。
決着後のインタビューでも、日医の松本会長は「かかりつけ医は、あくまで患者さん自身が選ぶものであり、あらかじめ誰かによって決められるものではありません」「制度によって縛っても、決してうまく行きません」「自己研鑽に励む、自己のレベルを上げていく、自己の持つ機能を広げていく(筆者注:ことが求められる)」と述べる一幕もあった
30。これらは国家主導による「制度化」ではなく、専門職の自治と自由を貴ぶスタンスの現われと理解できる。
しかも、こうした意見は過去から共通している。例えば、
(上)で述べた通り、かかりつけ医の位置付けが曖昧になったのは元々、1980年代中盤の「家庭医に関する懇談会」が失敗したことに起因しており、その時に日医代表は厚生省(当時)の意図について、「官僚統制を推進し、(筆者注:家庭医としての)認定権の掌握にあるコンサルタントしての家庭医を設定したうえで、その全面的支配を考えている」と批判していた
31。
その後、かかりつけ医という言葉が始まった1990年代半ばの日医会長による講演では「かかりつけ医を制度化して、国が縛ろうとする」「資格を持っている人に少し評価しようとする」「(筆者注:かかりつけ医機能を)制度化してお金を付けよう等の考え方をして、折角の患者さんの目から見た医療構造というのを違う視野から作りあげようとする」といった発言も示されていた
32。これらは全て国家統制を嫌う日医の行動原理の表れと理解できる。
さらに、賛成派がイギリスの医療制度を例示したり、「家庭医」という言葉を好んで用いたりする傾向が意見対立に拍車を掛けた面がある。イギリスの医療制度は国家統制の色彩が濃く、医療機関選択に関する患者の自由や、医師の開業の自由が広く認められている日本の医療制度と大きく異なる。このため、賛成派の論考や提言などで、イギリスの医療制度に範を取るように求める意見が示されたり、登録制度などイギリスの医療制度を想起させる言葉が出たりしたことで、日医などの反対派を必要以上に刺激した面は否めない。
ここで、簡単にイギリスの医療制度について解説
33すると、税財源をベースとしたイギリスの医療保障制度(NHS、National Health Service)では、全国民が診療所に登録することを義務付けられており、原則として患者は大病院をダイレクトに受診できない。その代わりに、診療所では家庭医(General Practitioner)と呼ばれるプライマリ・ケア専門医が身近な病気やケガの診察、治療に対応し、必要に応じて、2次医療機関や3次医療機関を紹介している。この結果、包括的なケア
34は提供しやすいが、患者は受療の自由を持っておらず、医師も開業の自由が認められていない。
このため、フリーアクセスによる患者の受療権と、開業の自由が認められている日本と比べると、遥かに国家統制の度合いが強く、専門職による自治や自由を重視する日医のスタンスと合わない面が多い。
さらに言うと、「家庭医」という言葉も反対意見を増幅させた面がある。これは登録制度と同様、イギリスの医療制度の特徴であり、感情的な反対を招きやすい。実際、家庭医構想が頓挫した頃を知るジャーナリストの書籍
35では、当時の日医会長が厚生省に対して「家庭医という言葉を使うな」と迫っていた点や、(筆者注:かかりつけ医は)特別の技能を持った医師のことではなく、国民に選ばれた医師ということでいいんだ」と述べていたことなどが紹介されている。
さらに、1980年代後半に国費留学でプライマリ・ケアの研修を受けた医師も「(筆者注:海外留学の)経験を活かして家庭医になろうと帰国した」が、「帰国してからは家庭医を米国で学んだなどとは口にもできず、留学経験も活かせず、地下にもぐって『隠れ家庭医』として過ごしていた」などと、少し自重気味に記している
36。
以上のようなイギリスの医療制度に対するアレルギー、国家統制を嫌う日医の行動原理、家庭医を巡る過去の経緯が今回、議論を錯綜させた要因になったのは間違いない。
28 2022年11月2日、日医の松本会長記者会見。同月20日『日医ニュース』を参照。
29 2022 年4月27日、日医の中川会長記者会見で配布された資料。2022年5月20日『日医ニュース』を参照。
30 2022年12月28日『m3.com』配信記事における日医の松本会長の発言。
31 厚生省健康政策局総務課編(1987)『家庭医に関する懇談会報告書』第一法規出版pp103-104における日医の松石久義常務理事の発言。
32 坪井栄孝(2004)『変革の時代の医師会とともに』春秋社p347。1997年3月1日に開催された八幡医師会創立八十周年特別講演会での発言。
33 イギリスの医療制度に関しては、Graham Easton(2016)"The Appointment"[葛西龍樹・栗木さつき訳(2017)『医者は患者をこう診ている』河出書房新社]、堀真奈美(2016)『政府はどこまで医療に介入すべきか』ミネルヴァ書房、澤憲明(2012)「これからの日本の医療制度と家庭医療」『社会保険旬報』No.2489・2491・2494・2497・2500・2513などを参照。
34 プライマリ・ケアでは「包括性」(Comprehensiveness)が重視されており、▽予防から治療,リハビリテーションまで考慮、▽よくある日常的な病気を中心とした全科的医療、▽小児から老人まで幅広い年齢層に対応――などが重視されており、プライマリ・ケアを担う医師が患者の「代理人」のような形で、幅広い健康問題に責任を持つことに力点が置かれる。以下は「包括ケア」「包括性」という言葉を上記の意味で用いる。
35 水野肇(2008)『誰も書かなかった日本医師会』ちくま文庫pp206-207。当時の日医会長は村瀬敏郎氏。
36 武藤正樹(2022)『コロナで変わる「かかりつけ医」制度』ぱる出版p4。
6――「神学論争」にも似た意見対立