7|不可解な説明が続く理由は?
以上を踏まえると、表向きの説明だけで意図や背景を理解しにくく、「不可解」としか言い様がない。結局、「どうして基本報酬を引き下げる必要があったのか」「基本報酬を維持する代わりに、処遇改善の伸び幅を抑える選択肢がなぜ取れなかったのか」という問いに答え切れないためである。さらに、処遇改善加算の「簡素化」が強調されたにもかかわらず、1年間の暫定措置とはいえ、新たな類型が追加されたのも理解し難い。
このため、現場からは「国は零細業者を切り捨て、大規模化を促す意図を持っているのでは」という疑念の声さえ聞かれる。実際、2022年12月の社会保障審議会介護保険部会意見書では大規模化や協働化を進める意向が示されており、決して的外れとは言い切れない
64。
こうした意見について、協働化や大規模化を促すような加算が大々的に付いていないため、筆者自身は「憶測」の域を出ていないと考えているが、報酬改定には国の意図が入り込む分、「切り捨てられるのでは」という疑心を現場が抱く事情も理解できる。
実際、診療報酬の担当課長が奇しくも「診療報酬改定は現場と我々改定担当部局が対話をする2年間にわたる作業」「点数や施設基準、算定要件も含めたメッセージが、現場でどう受け取られて、どんな算定行動になるか、それを我々はNDB(筆者注:支払い明細書のレセプトデータなどを収納する「レセプト情報・特定健診等情報データベース」を指す)や様々な調査で見させていただく。それを踏まえて2年後の次の改定につなげていくという対話の繰り返しで、その対話を豊かにすることが大事」と述べている
65通り、改定とは現場と政策当局者の対話の機会である。
それにもかかわらず、唐突な基本報酬引き下げが実施された上、不可解としか言い様がない説明が続いていることを考えると、現場が疑心暗鬼になるのは止むを得ない面がある。この点に関連し、武見氏は「小規模から大規模事業者まで、サービス全体の収支差に鑑み、サービスごとにめり張りでやっています。その中で、小規模事業者に対しては加算措置なども通じてきちんと対応するようにしていますから、大丈夫です」
66。「基本的に地域包括ケアの中で在宅というものを支援する方針に変わりはございません」
67と国会で説明しているが、これらの発言が現場に受け入れられにくくなっているのは間違いない。
では、なぜ不可解な引き下げが実施されたのか。その「謎」を解くカギとして、改定財源が「処遇改善」「それ以外」に切り分けられた点に着目したい。つまり、既述した通り、改定率が決着した際、処遇改善はプラス0.98%、それ以外はプラス0.61%と決められた。その結果、両者の間で財源を融通することは難しくなった。
しかも、処遇改善の部分については、社会保障の充実を名目に引き上げられた消費税収が充当されることになっている一方、それ以外の部分は財源の手当てが講じられていないため、社会保障費の増額要因にカウントされている。
言い換えると、財源に「ミシン目」が入っている
68ため、両者をまたがる形で財源を組み替えることが不可能になり、基本報酬を維持する代わりに、処遇改善加算の引き上げ幅を抑える選択肢は取り得なかったと思われる。
一方、「それ以外」の部分では、介護経営実態調査で初めて赤字となった特別養護老人ホームの財源などに回す必要性に迫られた。その結果、厚生労働省としては、予算編成過程で決まった改定率とミシン目の範囲内で、サービスごとの分配を決めることになったため、見掛け上は「好調」とされる訪問介護の基本報酬引き下げに踏み切らざるを得なかったと推測される。
それでも人材不足が深刻な訪問介護にとって打撃であることは間違いなく、厚生労働省の「失敗」と指摘せざるを得ない。この関係では、武見氏も国会答弁で、「地域の特性や事業所の規模などを踏まえ、サービス提供の実態を総合的に調査する予定で、準備に早急に取り組む。改定による影響を十分に調査・検証するとともに、現場の負担や保険料、利用者負担への影響なども考慮して、丁寧に検討すべき」
69と説明しており、今後の対応策として、可能な限り早めに基本報酬を是正することが求められる。
付言すると、上記で触れた診療報酬改定と同様、介護でも賃上げ対応を加算で縛ることの意味合いが問われていると言えるのかもしれない。先に触れた通り、賃上げに回す処遇改善加算と、それ以外の財源の間に「ミシン目」が入っており、相互の転用が難しくなっていることが柔軟な予算配分を阻害している面は否めない。
もちろん、財政が厳しい中、財源の有効活用を促す必要性は理解できるものの、効率性や厳密性を追求し過ぎると、予算の分配が硬直化したり、現場を疲弊させたりするリスクがある点は留意する必要があるだろう。このため、加算だけで使途を縛るのではなく、別の方法も検討する必要がありそうだ。
例えば、介護事業所の経営情報を開示する仕組みが2024年度からスタートすることになっており、制度が本格施行すれば、経営情報が属性などに応じてグルーピングして公表される予定だ。こうした仕組みを通じて、労働分配率などの経営状況を把握し、次の報酬改定論議に反映させるのも一案と思われる。
一方、現場としても、介護職員が辞める理由の上位に「職場の人間関係」が入っている
70事を考えると、単に給与を引き上げればいいわけではないし、処遇改善加算の要件に定められている職場環境の改善に取り組む意義は大きい。加算取得に向けた国の事業などを活用しつつ、職場環境の改善に取り組むことも重要である。
64 意見書では「介護人材不足への対応や、安定的なサービス提供を可能とする観点からは、介護の経営の大規模化・協働化により、サービスの品質を担保しつつ、管理部門の共有化・効率化やアウトソーシングの活用などにより、人材や資源を有効に活用することが重要」との認識が披露されている。
65 2024年3月13日『m3.com』配信記事における厚生労働省医療課長の眞鍋氏に対するインタビューを参照。
66 2024年3月8日、第213回国会参院予算委員会における答弁。
67 2024年2月27日、第213回国会衆院予算委員会第5分科会における答弁。
68 こうした複雑なやり繰りに関しては、2024年1月25日拙稿「2024年度の社会保障予算の内容と過程を問う(上)」を参照。
69 2024年6月5日、第213国会衆院厚生労働委員会における答弁。同日『NHK NEWS』配信記事を参照。
70 実際、介護労働安定センターの毎年の調査では、介護職が辞める理由として、「職場の人間関係」がトップに位置している。賃上げとともに現場の職場環境改善が重要な点については、2022年2月28日拙稿「エッセンシャルワーカーの給与引き上げで何が変わるのか」を参照。この関係では2024年度報酬改定でも論点となり、政府は介護現場のデジタル化など「生産性の向上」を通じて、現場の職務環境改善を図ろうとしている。詳細については、2024年5月23日拙稿「介護の『生産性向上』を巡る論点と今後の展望」を参照。
6――おわりに