3|介護業界の「投入」「産出」とは何か
しかし、議論が噛み合わない理由を考察する上では、上記の基本的な式を用いて、介護分野の生産性向上の特殊性とか、他の産業との共通点や相違点などを明らかにする必要がある。例えば、投入の要素として、労働者の人数や時間が想定される点は他の産業と大差はない。このため、介護分野でもICT機器やロボットの導入などを通じて、資料作成などの間接業務を合理化できれば、時間や労働力などの投入量を減らすことができる。この点については、図表2で挙げたガイドラインの文言や資料などで繰り返し指摘されている点である。
ただ、他の産業との違いも大きい。例えば、他の業界の場合、生産性を引き上げるため、賃金カットや人減らしが実施される時があるが、介護は労働集約的な産業であり、人手抜きに現場は回らない。しかも、賃金が全産業平均よりも依然として低いことを考えると、賃金カットは非現実的である。
さらに、そもそも論として、介護は利用者との信頼関係をベースとした対人業務であり、全て自動化できない。その上に、利用者のニーズに応じてケアの内容を変えなければならない非定型業務であり、全ての業務をAIやロボットで代替できるわけではない。これらの点は介護業界の特殊性であり、「介護に生産性が必要なのか」という言葉に対する批判が絶えない一因かもしれない。
輪を掛けて難しいのが「産出」である。他の産業の場合、産出を利益や付加価値で測ることが多いが、介護の場合には別の要素も加味する必要がある。確かに事業体の持続可能性を確保したり、従業員に対価を支払ったりする上で、黒字経営は欠かせないが、それでも介護が社会保障の一翼を担っている点を考えると、利益や付加価値だけが重視される事態は避ける必要がある。この点は他の産業と異なる点であり、生産性という言葉に対する反対意見が出る理由であろう
27。
さらに、介護の場合、サービスの値段は原則として公定されており、いくら付加価値の高いサービスを提供したとしても、価格を引き上げることは困難である
28。
このほか、介護職員の専門性や特性にも考慮する必要がある。管見の限り、多くの介護現場の職員は「人の役に立ちたい」というボランタリズムとか、専門性を発揮したいというプロフェッショナリズムを有しており、必ずしも賃金の低さは退職理由になっていない
29。つまり、介護職は経済原理とは異なる判断を下している面があり、こうした特性も「生産性」という言葉に対して批判が出やすい一因かもしれない。
介護の特性は医療との対比でも浮き彫りになる。具体的には、医療では質を定量的に把握しやすいが、介護では困難という特性である。一般的にケアの質については、▽「どうやってケアを提供したか」という点を重視する「プロセス」、▽「何人の専門職でケアを提供したか」などを評価する「ストラクチャー」、▽「どんな成果が出たか」をチェックする「アウトカム」――の3つで評価される
30ことが多いが、介護のアウトカムは定量的に把握するのが難しい。
具体的には、医療であれば、手術後の5年生存率などのアウトカムを通じて質を評価しやすいが、介護の場合、最終的なアウトカムは暮らしの質になるため、定量的に把握しにくい。実際、軽度な要介護1の人、重度な要介護5の人の暮らしを比較した際、前者の暮らしの「質」が後者を必ず上回るとは限らないし、その評価も気分や環境次第で変化する。つまり、生活に関する満足度の測定は極めて難しく、主観的にならざるを得ない限界がある。
もちろん、政策の費用対効果を図る上で、何らかの指標で質を定量化する必要があり、図表5で触れた生産性向上推進体制加算では、利用者の満足度や従業員の精神的健康を数値で把握することが要件になっている。さらに、生産性向上や職務環境改善を図る要素として、利用者のADL(自立生活の指標:日常生活動作)や要介護度の変化、施設・事業所の職員定着率や離職者数なども想定できるが、それでも「介護の質」は基本的に数値で測りにくい限界を踏まえる必要がある。
27 なお、「採算性をどこまで優先するか」という点について、筆者は他の企業、産業にも共通していると考えている。企業経営の世界でも近年、非財務情報やESG、SDGs(持続可能な開発目標)が重視されており、企業の社会的な役割が重視されている。採算性を確保しつつ、社会課題に対応する重要性については、多かれ少なかれ、どの企業や産業でも共通している。
28 ただし、介護の場合、医療ほど厳密に「保険」「保険外」が区分されているわけではない。例えば、要介護度別に設定された区分支給限度基準額(限度額)を超えた場合、超過分については、全額が自己負担になるが、限度額の枠内は引き続き保険給付を受けられる。
29 実際、介護労働安定センターの毎年の調査では、介護職が辞める理由として、「賃金の低さ」よりも「職場の人間関係」の答えが多い。介護職の離職原因やモチベーションなどについては、田中康雄(2023)『介護職員の定着をいかにして図るか』ミネルヴァ書房、前浦穂高(2023)「看護師、介護職員、保育士、幼稚園教諭を対象とした処遇改善事業の有効性の検討に向けて」『JILPT Discussion Paper 23-04』などを参照。
30 一般的に「ドナベディアンモデル」と呼ばれる。