2|異なる利害に配慮する必要性
さらに、異なる利害に配慮することも欠かせません。行政が地域の全体像を把握できるデータを出しても、医療・介護の経営者や専門職の全てが同じ方向を向いてくれるとは限りません。それぞれの事業体には経営判断が絡んでいるし、現場で働く専門職も経営陣の意向を気にする必要があります。
このため、自治体職員が異なる利害に配慮しつつ、コーティネーターのような立場で、方向性を少しずつ固めて行く必要があります。その一つとして、経営者や専門職の困りごとの解決に繋がるような物言いで、自治体の施策について理解や協力を得てもらう方法が考えられます。
例えば、多忙を極める地域包括支援センターの職員に対し、「介護予防に力を入れて下さい」「高齢者が気軽に体操などを楽しめる場を確保して」などと要望しても、「現場を知らない事務方が訳分からんことを言って来る」と思われてしまう可能性があります。たとえデータや施策が正しかったとしても、忙しい現場に新しい案件を持ち込めば、拒否反応が返って来るのは当然です。
実際、既述した市町村支援のプログラムでは、多くの市町村職員が「委託している地域包括支援センターの関係が悪いので、何とかしたい」と訴えるため、当初はビックリした記憶があります。何か国レベルで新しい施策や事業が制度化されると、「国→市町村→社会福祉法人などに委託されている地域包括支援センター」という形で事業が流れ、最前線にシワ寄せが行っているため、市町村と地域包括支援センターの関係性が悪化しているという構図です。
ただ、もし市町村職員が孤独死を防ぐための見守りネットワークを強化しようとする際、「最初は負担が重くなるかもしれませんが、重症化する前に相談が寄せられるようになり、地域包括支援センターの負担を減らせる方向に働きます」と説明すれば、業務過多に苦しむ職員も聞く耳を持ってくれるかもしれません。
このように振る舞う必要性については、住民や企業との関係でも同じです。例えば、
第2回で「担い手」という言葉についての違和感を少し披露しましたが、往々にして、住民の支え合いとか、企業の高齢者向けサービスを見て、自治体職員は「『担い手』として活用」「企業や住民を巻き込んで…」などと言いたがります。いずれも分かりやすい言葉なので、仕方がない面があるのですが、別に住民は行政の「担い手」になるために地域活動を展開しているわけじゃないし、企業も行政に巻き込まれる気はないと思います。
こうした状況で、何も意識せずに「担い手」「巻き込む」といった言葉を使っていると、「行政の論理」から離れにくくなるし、異なる利害にも配慮できなくなります。揚げ足を取る気はありませんが、細かい言葉遣いから意識を変えて行く必要があります。
実際、先に触れた市町村支援プログラムの関係では、市町村職員から「数年前から多職種連携の会議を開いているが、ケアマネジャーが来てくれなくなった」という悩みを頻繁に耳にします。これは介護業界で数年前、喧伝された「規範的統合」という言葉を「合意形成」という本来の意味ではなく、「市町村の基本方針を住民、専門職、事業者などに共有させること」と誤解し、ケアマネジャーが作ったケアプラン(介護サービス計画)に物言いを付けるなど、「行政の論理」を全開にした反動と思われます(実際に一部の市町村では、ケアマネジャーが地域ケア会議を「お白州」と言って忌避していると側聞します)。
このケースに限らず、医療・介護職員が持つ専門性を尊重しなければ、自治体の方針に協力してくれなくなる可能性を肝に銘じる必要があります。