日本の高齢者福祉に関する政策は1963年の老人福祉法に遡ります。この法律は世界初の高齢者福祉法であり、特別養護老人ホーム(特養)の制度などが盛り込まれました。政府は当時、法律の制定理由について、「老齢人口の著しい増加の傾向、私的扶養の減退、老人を取り巻く環境の急激な変動等によりまして、その生活はきわめて不安定となっており、一般国民の老後の生活に対する関心もまた著しく高まっている現状」があるとして、老人福祉に関する施策が求められていると説明していました
2。実際、先行研究では法律の意義について、「高齢者の生活保障であった『イエ』制度の崩壊に対する政策的な対応」と整理されています
3。
つまり、それまでの高齢者福祉は家族の扶養で対応していたものの、新しい憲法と民法による家父長制を中心とした「イエ」制度の崩壊、さらに核家族化の進展に伴って、家族の扶養力が下がったことで、高齢者福祉の立法措置がなされたわけです。
こうした雰囲気を理解できる素材として、1962年製作『にっぽんのお婆あちゃん』という映画があります。つまり、この映画は老人福祉法の制定1年前に作られたことになり、老人福祉法制定の時代背景を探ることが可能です(DVD化されておらず、気軽に見られない映画なので、筆者の記憶を基にしている点は割り引いて下さい)。
映画は冒頭、くみ(北林谷栄)、サト(ミヤコ蝶々)が浅草仲見世商店街で時間を潰している場面から始まります。くみは近くの老人ホームに住んでおり、些細なことで相部屋の仲間とケンカになった上、視覚も失われつつあったため、将来を絶望して老人ホームを勝手に飛び出して来ました。さらに、サトは狭いアパートに三世代で同居しているのですが、息子夫婦と折り合いが悪く、こちらも家出して来たのです。
しかし、2人とも特段に行く場所もなく、浅草で途方に暮れている間に出会い、すぐに意気投合します。その後、化粧品のセールスマンの田口(木村功)、店員の昭子(十朱幸代)、警察官(渥美清)などが絡んだドタバタの末、二人は元の場所に戻るのですが……、高齢化社会の問題をいち早く取り上げた傑作です。
具体的には、相部屋で暮らす老人ホームにおける集団ケアの実態とか、核家族化と住環境の変化で高齢者の居場所が失われていった実情などが細かく描かれています。例えば、老人ホームの実態については、管理者(田村高廣)が入居者に対し、外での自分を忘れて平等に暮らす必要性に言及していますし、ホームは5~6人が相部屋、雑魚寝状態なので、高齢者の尊厳とか、プライバシーへの配慮は全く感じられません。核家族化や住環境の変化に関しても、サトが狭いアパートで息子夫婦から邪魔者扱いされ、最後に「次はお前らの番や」などと毒づくシーンがあります。
もう一つ、家族の扶養力が低下していた時代背景を理解できる映画として、1960年に製作された『娘・母・妻』を挙げることができます。これは小津安二郎と並ぶ日本映画の巨匠、成瀬巳喜男監督の映画で、坂西家という都心の旧家を舞台にしています。
一家には2男3女を育てた60歳になる母親のあき(三益愛子)、長男の勇一郎(森雅之)と妻の和子(高峰秀子)、2人の間の息子、あきの末娘の春子(団令子)が同居しています。さらに、夫に先立たれた長女の曽我早苗(原節子)、幼稚園の保母として働く次女の谷薫(草笛光子)も結婚先の家庭で人間関係に悩んでおり、母あきに愚痴をこぼすため、実家に足を運んでいます。このほか、次男の礼二(宝田明)は結婚後、独立してアパート暮らしでしたが、たまに実家を訪れており、賑やかな家庭でした。
そんな時、勇一郎が親族に貸したカネが焦げ付き、家を今月いっぱいで明け渡すことに。その際、家を売って借金を返した後も残る財産について、兄弟姉妹で争いが展開されるだけでなく、「母あきの面倒を誰が見るのか」という議論に広がっていきます。
例えば、礼二は「あとの金を分けるったって、どうせいくらにもなりはしないんだ。兄さんにあげるよ、その代わり俺はお母さんの面倒見るのはゴメンだよ」「兄さんはお金が欲しいんだろ?お母さんは財産の3分の1を取る権利があるわけだ」「いくらになるか知らないが、(注:母親)込みで引き取るってのはどう?」などと無思慮な言葉を吐きます。これに対し、長男の妻の和子が取りなそうとしますが、血の繋がっている子ども達から「お義姉さんそんなこと言って大丈夫?後悔しない?」(春子)、「僕たちはせっかくドライに割り切って、こうして素っ裸になって話し合ってんだから。一時のセンチメンタルな気持ちで甘い意見も述べられると困っちゃうんだよ」(礼二)といった疑念が示されます。
結局、長女の早苗が「あきと一緒に住む」という条件で五条宗慶(上原謙)という金持ちに嫁ぐことを決めるのですが、あきは「自分のために早苗が結婚するのであれば、そんな結婚は嫌だ」と語り、早苗の判断を受け入れません。さらに、映画の終盤には「緑ヶ丘老人ホーム」から封書が届く場面があります。結局、あきがどの道を選んだのか映画では分からないのですが、高齢者を養う家族の力が下がっていた様子を見て取れます。
それでも1960年時点で65歳以上高齢者の人口は約540万人、人口に占める比率は5.7%であり、社会全体から見れば、まだまだ高齢者福祉はマイナーな問題でした。しかし、この後に高齢者人口の増加と高齢化の進展に伴って、高齢化に伴う歪みは一層、拡大していきます。次に、1980年代の映画を取り上げます。
2 1963年2月27日、第43回国会衆議院社会労働委員会に置ける西村英一厚相の説明。
3 岡本多喜子(1993)『老人福祉法の制定』誠信書房p164。