3|地域ケア会議が持つ措置的な側面
しかし、いくつか問題がある。第1に、地域ケア会議は先に述べた「自立支援介護」を進める際の舞台となっており、ここでの議論は要介護度の維持・改善とか、介護保険サービスの給付抑制に傾きやすくなっている。筆者自身、介護保険の給付抑制は必要と考えているが、この方法では本人の権利性が損なわれることになる。
第2に、個別事例の取り扱いである。先に触れた通り、介護保険制度は高齢者本人の自己選択を重視しており、ケアプランの作成・変更に際しては本人の同意が必要である。それにもかかわらず、本人不在の中、もし市町村が地域ケア会議の席上、「Aさんのケアプランを変更する」「Bさんの自立を支援するため、リハビリテーションを入れる」などと決めた場合、措置の発想に近付くことになる。実際、筆者が見聞きする範囲では、ケアプランの内容に深く関与している市町村が多いと思われる。この状況で本人の権利性は確保されているのだろうか。
しかも、市町村には2018年度からケアマネジャーの事業所(居宅介護支援事業所)の指定権限が移譲されており、ケアマネジャーから見れば、市町村の担当者に物を言いにくい雰囲気が作り上げられているはずである。こうした状況で、本人の自己決定権やケアマネジャーに期待される代理人機能が担保されにくくなっているのではないだろうか。
ここで先に提示した具体例で考えてみよう。認知症の状態が悪化したAさんの生活を支援するため、担当ケアマネジャーは「訪問介護の生活援助(洗濯、掃除など)を週5回、月20回」というケアプランを作成したとする。しかし、近年は生活援助を締め付ける動きが強まっているため、地域ケア会議の席上、市町村が「生活援助を多数入れるのは問題」と結論を出した場合、Aさんの自己決定権は担保されていると言えるだろうか。何よりも、担当ケアマネジャーはAさんに対し、どう説明するのだろうか。
もちろん、ケアマネジャーのケアプランや、ケアプラン作成に至るケアマネジメントが十分とは言えない可能性があり、多職種が地域ケア会議の席上、「ケアマネジメントのプロセスが実施されていない」「ケアプランに盛り込んでいる目標が曖昧」「医療の視点が不足している」などと指摘することで、より良いケアプランを目指すことは重要である。
実際、ここ2~3年で国の資料に挙がることが多い愛知県豊明市の場合、地域ケア会議でケアプランの改善に向けて、様々な専門家の知見を取り入れているが、同市の地域ケア会議は「結論を出さない」、つまり市として「ケアプランをどう変更するか」を立ち入らないようにしている。このため、地域ケア会議の議論を踏まえて、「ケアプランを変更するか否か」「どうケアプランを変更するか」という判断については、担当ケアマネジャーに委ねている。様々な職種が集まり、互いに尊重しつつ、足りない視点を謙虚に学び、それぞれのプロフェッショナル意識を地域全体で醸成していくことを理念としているのである。
しかし、こうした配慮を講じている市町村は少なく、市町村が従来の措置制度のように、ケアプランの内容に立ち入ることについても、それほど問題視されているように見えない。何よりも、こうした風潮に対して反対意見を述べるケアマネジャーが大勢になっているとも言い難い。
その意味では、介護保険財政が逼迫する中、市町村を介して国の締め付けが強まっており、措置への回帰傾向が静かに進んでいると言えるかもしれない。これは措置的な発想を否定した介護保険制度の基本的な考え方を覆す危険性を孕んでいる
6。
6 ここでは詳しく触れなかったが、「介護予防・日常生活支援総合事業」(新しい総合事業)は給付から切り離されている上、市町村が予算に上限を設定しており、限りなく措置制度に近い。
5――20年の変化(3)~集権化の動き~