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ドル離れとユーロ-地位向上を阻む内圧と外圧-

2025年09月30日

(伊藤 さゆり) 欧州経済

1――はじめに

第2期トランプ政権(トランプ2.0)の関税政策は、第2次世界大戦後、自らが中核となって形作ってきた自由貿易体制の根幹を揺るがしている1

戦後秩序のもう1本の柱であるドルを基軸とする国際通貨体制は、これまでのところ、トランプ2.0の直接の攻撃対象とはなっていない。しかし、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長への利下げ圧力やFRB理事の人事への関与は、長期的な成長に重要な物価の安定に有効とされる中央銀行の独立性に対するあからさまな干渉であり、ドルの信認を傷つける動きと見ることができる2

欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁は、25年5月の講演3で「変化の瞬間はチャンスの瞬間でもある。現在進行中の変化はグローバルなユーロの瞬間の幕開けとなる」と述べている。

トランプ2.0の米国の変容は、ユーロの地位向上の好機となるのだろうか。以下では、ドルとユーロの国際通貨としての地位に関わる政策の動きや、市場の反応、米欧の識者らの論調を踏まえつつ、この問いに答えてみたい。
 
1 トランプ2.0による戦後秩序の破壊を論じたものとして、アイケングリーン(2025)、フロマン(2005)などがある。
2 ゲオルギエバ(2024)。但し、Kurk(2025)は中銀の独立性は、成長やその他の重要なマクロ経済変数に関して大きな違いをもたらさないとの見方もある。また、Katz and Stephen Miran (2024)やベッセント(2025)などから第2期トランプ政権は、FRBが限定的な使命を逸脱し、財政当局に本来属する分野にまで使命を拡大し、金融政策と財政政策の境界を曖昧にしたこと等を問題視し、中銀の独立性のために改革が必要との立場であることが伺える。
3 "Earning influence: lessons from the history of international currencies"speech by Christine Lagarde, President of the ECB, at an event on Europe’s role in a fragmented world organized by Jacques Delors Centre at Hertie School in Berlin, Germany, Berlin, 26 May 2025

2――トランプ2.0の政策とドルの信認

2――トランプ2.0の政策とドルの信認

1|ドルの優位性
(1)ドルの支配的地位を支える要因
現在の国際通貨体制において、ドルは基軸通貨の役割を果たしている。ドルは現存する通貨のうち、Claeys and Wolf(2020)による歴史的に支配的な役割を果たした通貨の7つの特徴(図表1)のすべてを満たす唯一の通貨である。ドルの役割は、経済規模や貿易に占める米国の地位に比べて遥かに大きく(図表2)、「非対称性」が観察される。

こうしたドルの役割の大きさは、第2次世界大戦後のブレトンウッズ体制で基軸通貨として位置づけられたことによる「ネットワーク外部性」や「慣性」(国際通貨としての利用度が高まれば利便性も高まり、その地位が維持される)から説明することもできよう。Eichengreeらは4、実証分析に基づいて、準備通貨としての保有に占めるドルの割合は、米国が同盟・安全保障面で果たしている役割の大きさによって説明できるとしている。
 
4 Eichengreen (2025)
(2)国際通貨としての人民元とユーロの欠点
国際通貨システムと世界の経済・貿易構造との「非対称性」は、ドルに比肩する国際通貨の不在によってもたらされてもいる。

中国は、2000年代に7つの特徴の基盤とも言える①の経済規模で急激に世界的なプレゼンスを高め、2010年には日本を、2018年にはユーロ圏を上回り、米国との差も縮めた。貿易(輸出+輸入)の規模では、米国、ユーロ圏(除く域内貿易)を上回っている。その一方、国際通貨としての人民元の利用割合は遥かに低く、国際通貨の世界では日中の逆転も生じていない。人民元の国際通貨としての利用度が低い最大の理由は、金融政策の独立性や為替政策の安定性を重視する立場から、②の資本移動の自由を制限していることにある。③国際通貨の役割を果たすことへの通貨当局の意思はあるが、貿易決済通貨や一帯一路圏内などの選択的な領域で利用を推進する構えである。

ドルとユーロの地位も、経済規模や貿易に比べて差が開いている。ユーロは7つの特徴のうち、①~④は満たすが、政治・財政の統合を欠く単一通貨であるために、国債市場が分断されており、⑤の大規模かつ弾力的な安全資産の提供能力を有していない。金融システムは銀行を中心とする間接金融主体であるため、米国に比べると⑥の金融市場の発展度や流動性、深さも劣る。欧州の安全保障は、米国を主軸とする集団防衛・安全保障のための軍事同盟・北大西洋条約機構(NATO)が担い、EUに連なる欧州の統合は、通商・経済・通貨・金融政策などの面で進展してきた。現時点では、ユーロに⑦の地政学的、軍事的に巨大なパワーの裏付けはない。
2|トランプ2.0の政策の潜在的な影響
(1)通貨の信認への影響
トランプ2.0は、反リベラル・エリート、反テクノクラート、反グローバリズムの姿勢をとっている。米国が中心となって形成した第2次世界大戦後の国際秩序は、米国に過度な負担を強いてきたと見ており、破壊を厭わない立場をとる。米国内の深い政治的な分断を背景に、米国内における政権の意に沿わない政策や言論を徹底的に封じ込めるなど、人権や法の支配、言論の自由などの基本的価値を尊重せず、権威主義的との批判を免れない姿勢をとる。

これらは、ドルの支配的な地位を支えた特徴のうち、④金融政策、金融システム、財政、制度、政治、司法などの安定性への評価を変えるものである。③国際通貨の役割を果たすことへの通貨当局の意思、ひいては⑤の低リスクまたは無リスクの安全資産であった米国債の安全性に疑問を投げかけるものでもある。

トランプ2.0が、関税政策を通じた自由貿易体制の破壊に続いて、国際通貨体制を米国に有利なものに転換すべく動き出すとの懸念も燻る。スティーブン・ミラン氏は、大統領経済諮問委員会(CEA)委員長で、任期途中で辞任したクグラー理事の後任として、26年1月末までFRBの理事を務める。同氏は、CEA委員長就任前に執筆したレポート「世界貿易システムの再構築のためのユーザーズガイド」5で、ドルは基軸通貨としての準備資産の需要によって過大評価されやすく、貿易不均衡の拡大を招き、財政の負担、製造業の衰退につながっているとの考えを示している。第2次世界大戦後のドルを基軸とする国際通貨体制は、米国の双子の赤字の拡大、金準備の減少とドルの流出を背景に、金とドルの交換停止、10%の輸入課徴金の賦課を決めた「ニクソン・ショック(1970年8月)」、主要国で協調的なドル高の是正に動いた「プラザ合意(1985年9月)」という大きな転換を経験している(図表3)。ミラン氏のレポートでは、「プラザ合意2.0」、あるいは「マールアラーゴ合意」として、関税引き上げを「ムチ」、安全保障の傘を「アメ」とするドル高是正のための国際協調構想が示している。ドル安誘導のために海外の通貨当局の保有する外貨準備(ドル)の売却と、金利上昇の抑制のために保有する米国債を 100 年債や永久債に切り替えさせる合意を求めるとの構想は、準備資産としての米国債の安全性に疑問を抱かせるものだ。

これまでのところ、「マールアラーゴ合意」を実行に移そうとの動きはなく、トランプ2.0によるドル高是正につながる動きは、FRBへの利下げ圧力に留まっている。ミラン氏自身も、FRB理事就任後初の講演でレポートは政策提言ではないと述べている6。それでも、これから先も、関税引き上げによる貿易不均衡の是正が期待通り進展しないことが明らかになった段階などに通貨に関わるディールがトランプ2.0の優先事項となる可能性は意識され続けるだろう。
 
5 Stephen Miran (2024)
6ミランFRB理事「マールアラーゴ合意、提唱せず」 ドル安構想を否定」日経電子版2025年9月23日
(2)金融システムの安定に関わる問題
トランプ2.0では、経済成長と金融覇権、経済安全保障などの理由から、規制緩和の方向に舵を切っている。連邦規制当局の規制を担う顔ぶれも変わった。連邦預金保険公社(FDIC)では25年1月20日からヒル副総裁が総裁代行を務める。FRBの金融監督担当副議長には同6月9日にボウマン理事が就任した。ともに世界金融危機後に国際合意し、段階的に導入されてきた銀行規制(バーゼルIII)最終化に関わるバイデン前政権の厳格な規則案に反対の立場をとってきた7

銀行規制・バーゼルIIIについて、米メディアのブルームバーグは、ボウマン副議長の下で、見直しが進められており、国際合意よりも厳格なバイデン政権期の規制案の大部分を撤回し、2026年1~3月期にも大手行の負担を軽減する新提案が示されると報じている8

暗号資産に関しては、バイデン政権の慎重かつ保守的なアプローチ9を批判し、米国を「世界の暗号通貨の首都」にするべく法整備を進めている10。通貨のデジタル化と国際決済との関わりでは、公的なオプションである中央銀行デジタル通貨(CBDC))は禁止、民間のオプションであるステーブルコイン(ドルなどの法定通貨や商品と価値が連動するように設計された暗号資産)を推進する構えである。7月17日には暗号資産関連の3法((1)デジタル資産市場構造法案(CLARITY法案)、(2)⽶国ステーブルコイン国家⾰新指導確⽴法案(GENIUS法案)、(3)反CBDC監視国家法案)が下院本会議で可決、うち②のGENIUS法は7月18日にトランプ⼤統領が署名し成立、他の2法案は上院で審議される予定である。

人事面でも暗号資産への傾斜は明確である。4月21日就任した米国証券取引委員会(SEC)のポール・アトキンス委員長は、コンサルティング会社「パトマック・グローバル・パートナーズ」の創業者で暗号資産セクターでの「ベストプラクティス (best practices)」設計や政策・規制アドバイスに関与してきた。7月15日に通貨監督庁(OCC)の長官に就任したジョナサン・グールド氏はブロック・チェーンのインフラ企業「ビットフューリー」で最高法務責任者(CLO)としてのキャリアを有する。

国際通貨基金(IMF)は年次で作成している「対外セクター報告書」の2025年版11で国際通貨システムにおける4つの新たな潮流の1つとしてドル担保型のステーブルコインの拡大を取り上げ、他通貨に基づくステーブルコインが、より速いペースで拡大しなければ、ドルの支配的な役割の強化につながるとの考えを示している。

金融規制の緩和に前のめりで、トランプ大統領ファミリーによる利益誘導、利益相反に歯止めが掛かりづらくなっている12点は、米国発の金融システムのリスクを高めているようにも感じられる。他方で、第2次世界大戦後の国際秩序に批判的な立場をとり、関税を相手国に譲歩を迫る圧力として活用し、中央銀行の独立性の侵害を厭わないトランプ2.0が、世界的な金融システム危機に基軸通貨ドルの「最後の貸し手」としての役割を果たすのか疑問を呈する見方もある13
 
7 ボウマン副議長は、就任後初の講演で、「世界金融危機後の改革の多くはより強靭で回復力のある銀行システムを確保する上で重要かつ不可欠であった」と評価しつつ、「変更の多くはバックワードルッキング」で「将来の予期せぬ結果や世界の将来像を十分に考慮していなかった」とし、「これらの変更のすべてが依然として適切であるかを評価すべき時期に来ている」と述べている("Taking a Fresh Look at Supervision and Regulation" Vice Chair for Supervision Michelle W. Bowman at the Georgetown University McDonough School of Business Psaros Center for Financial Markets and Policy, Washington, D.C., June 06, 2025)
8 "Fed Starts Talks on a Looser Version of Basel III endgame", Bloomberg Updated on August 2, 2025。バイデン政権期の最終化案と銀行業界の反発については小立(2025a)が詳しい。
9 トランプ2.0始動後の連邦銀行当局(FRB、FDIC、OCC)の暗号資産関連業務に対する姿勢の転換については小立(2025b)が詳しい。
10 大統領就任直後に発出された大統領令に基づいて設置された大統領デジタル資産市場作業部会が米国を世界の暗号資産の首都」とするための規制の体系に関する報告書を公表している。President’s Working Group on Digital Asset Markets(2025)
11 IMF(2025)
12 トランプ大統領ファミリーは、DeFi(分散型金融)プロジェクトのWorld Liberty Financial(WLFI)、ビットコインマイニングのAmerican Bitcoin、ミームコインなど暗号資産ビジネスを多角的に展開している(Eric Trump-backed crypto venture surges in market debut"Financial Times, Sep 4 2025)。
13 米ピーターソン国際経済研究所(PEEE)所長アダム・ポーゼン氏は、欧州システミックリスク委員会(ESRB)の年次総会の基調講演(Posen(2025b))で、過去の金融危機で活用されたFRBが他の中央銀行にドルの流動性を供給するスワップラインが政治化されることに警鐘を鳴らし、外国中銀は、ドルの流動性確保のために外需の共同化などをすべきと述べた。ESRBは2010年に設立されたマクロプルーデンス監督とシステミックリスクの防止・軽減に責任を負う機関。

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり(いとう さゆり)

研究領域:経済

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴

・ 1987年 日本興業銀行入行
・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
・ 2023年7月から現職

・ 2015~2024年度 早稲田大学商学学術院非常勤講師
・ 2017年度~ 日本EU学会理事
・ 2017~2024年度 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
           「欧州政策パネル」メンバー
・ 2022~2024年度 Discuss Japan編集委員
・ 2022年5月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員
・ 2024年10月~ 雑誌『外交』編集委員
・ 2025年5月~ 経団連総合政策研究所特任研究主幹

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