今年の通常国会(6月22日閉会)で成立した法改正のうち、中高年女性への影響が大きい二つのテーマについて考えたい。一つ目は「年収の壁」、もう一つは「遺族年金」である。
「年収の壁」は、通常国会で最も注目されたトピックだったと言える。年収の壁には、本人に税や社会保険の負担がかかり始める「税の壁」や「社会保険の壁」、配偶者が所得控除や配偶者手当などの恩恵を受けられなくなる「配偶者関係の壁」がある。
その規模を、総務省の「令和4年就業構造基本調査」で確認すると、年収が税や社会保険、配偶者関係の壁にかかる「50万~149万円」で、「就業調整している」と回答した非正規労働者は、全体で約445万人。そのうち、25歳以上の有配偶女性(24歳以下は学生を多く含むと考えられるため)、326万である。つまり、就業調整をする代表例が、パートなどの非正規雇用で働く妻たちであり、年収の壁は、女性の就労拡大を阻害し、国内の労働力不足に拍車をかけていると言える。
通常国会の法改正では、「税の壁」については、所得税が課される最低限の年収が「103万円」から「160万円」に引き上げられた。「社会保険の壁」については、厚生年金や健康保険の適用条件のうち「106万円」という年収要件が、改正法の公布3年以内に撤廃されることが決まった。また、現在は「51人以上」とされている企業規模要件も段階的に撤廃され、2035年には「週20時間以上」いう勤務時間要件だけが残ることになった。
様々な議論を呼んだ「年収の壁」問題だが、「パート妻たちの働き控えに変化をもたらすか」という観点で言うと、改正による効果は限定的だろう。今回、「103万円」と「106万円」の壁が"撤去"されたところで、新たに「160万円」の壁が"建設"された。「週20時間以上」という「労働時間の壁」も維持される。
それ以外にも、住民税がかかり始める年収(100万円など)、配偶者が所得控除を受けられなくなる年収(配偶者控除は103万円、配偶者特別控除は201万円)、配偶者手当が支給されなくなる年収(企業によって103万円など)、国民年金と国民健康保険の保険料の支払いが始まる年収(130万円)など、官民で建設された実に多くの壁が待ち受けているからである。
実際に、厚生労働省の「令和3年パートタイム・有期雇用労働者総合実態調査」で、有期雇用のパートで働く有配偶女性が就業調整している理由(複数回答)を確認すると、「所得税の非課税限度額(103万円)」の回避が49.3%に上ったが、「一定額(130万円)を超えると配偶者の健康保険、厚生年金の被扶養者から外れる」が55.4%、「配偶者控除が無くなり、配偶者特別控除が少なくなるから」が36.2%など、複数の壁を意識していることが分かる。
従って、パート妻たちの就業調整をなくし、就労拡大を促進するという観点では、壁の一つや二つを壊したり、金額を上方スライドしたりするだけではなく、多くの壁の土台にある「扶養」の仕組み自体を見直し、その根底にある「夫が妻を養う」、「夫は仕事、妻は家庭」といった固定的な男女役割分業意識を変えていくことが重要だと言える。
男女役割分業意識は日本社会に根付き、古くは企業でも性別雇用管理が行われていたが、採用や昇進などで性差別を禁止する男女雇用機会均等法施行から40年経ち、出産・育児後も女性が働き続けることが主流になった。このように、女性の就業環境が改善したにも関わらず、短時間就労にとどまることに公的インセンティブを与える扶養の仕組みが存続していることで、反って有配偶女性の働き控えを招き、キャリア形成を阻むことが懸念される。
さらに、扶養の仕組み自体が、男女役割分業意識の助長につながる。学校が男女平等を教え、企業が「女性活躍」を進めようとしても、各家庭で「父親が主に稼ぎ、母親はパート」という両親の姿を見て育てば、子の意識に少なからず影響を与えるだろう。
社会保険の第3号被保険者制度はもともと、妻の年金権を確立し、離婚後の妻の困窮を防ぐためなどとして1985年に創設されたが、上述の通り、社会環境が変化し、時代にそぐわない制度となっている。厚生労働省の検討会が2001年に「片働き世帯を優遇する」「女性の就労や能力発揮の障害となる」と指摘しているが
1、いまだに制度見直しには至っていない。
昨年12月の社会保障審議会の年金部会では、第3号被保険者制度について、見直しを求める意見が出た一方、出産・育児や介護、病気など、様々な事情がある人への「所得保障」の機能があることや、支払い能力が低い人には負担を軽くする「応能負担」の原則に基づくことなど、妥当性を主張する意見が出され、今後の方向性がまとまらなかった。
筆者も、様々な事情によって経済的に自立できない人への所得保障が必要なことは同意するが、第3号被保険者制度は、それを会社員や公務員の配偶者に限定している点が、不公平だと考えている。独身であっても、自営業者の妻であっても、等しく保障を受けられるべきである。また上述の通り、多くのパート妻たちは、負担軽減を理由に自ら働き控えをしているのに、「応能負担」だということにも違和感がある。
話が長くなったが、ここまでが、今年の通常国会で法改正された「年収の壁」の話だ。次に、「遺族年金」の改正について、みていきたい。「遺族老齢年金」と「遺族厚生年金」のどちらも改正されたが、筆者が特に注目しているのは、そのうち遺族厚生年金の改正である。2028年4月に施行される。
遺族厚生年金は、厚生年金に加入していた配偶者が死亡した場合に、条件を満たせば、夫に受け取る権利があった老齢年金のうち、報酬比例の4分の3を受給できる制度である。現行制度では、夫の死亡時に妻が30歳以上であれば、生涯、受給できる。妻が40歳から64歳までで、子がいない場合は加算もある(子がいないと、別途、遺族基礎年金が給付されないため、遺族厚生年金だけでは困窮するリスクが高いと考えられているため)。また、遺族年金は非課税所得とされ、国民健康保険や後期高齢者医療保険の保険料算定の際も、保険料が低く抑えられる。
このような手厚い仕組みの背景には、夫に養われていた妻が、夫の死後、30歳を過ぎて自立するのは困難、という見方があり、実態として、死別女性の「生活保障」の役割を果たしてきた。女性の平均年金受給額を配偶関係別に比べると、「死別」が最も高いことは、筆者の既出レポートで説明した通りである
2。
今年の通常国会の改正は、生計維持者だった配偶者と死別した時に、60歳未満であれば、遺族厚生年金の給付期間を原則5年に短縮した
3。この有期給付の5年間には、新たに加算措置を設け、給付額の水準は現在の1.3倍に増えるという。
ただし、現在の中高年女性の就業環境は依然、男性よりも厳しい実態を踏まえて、2028年の施行時点で40歳以上の妻や、子がいる妻などには現行法を適用することとし、施行から20年かけて改正内容を全面実施することとした。また、40歳未満でも、有期給付の5年を過ぎても低所得が続く場合や障害がある場合などは、その所得金額に応じて、64歳まで全額または一部を継続給付できる。40歳から64歳の妻が対象となっていた加算も、25年かけて段階的に縮小していく。65歳以降は、婚姻期間中の配偶者の年金記録を分割して、本人の老齢年金に上乗せする「死亡分割」が導入される。
このように、実態としては、完全実施までに20年かける上、低所得の妻には継続給付を行うなど、変化をなだらかに抑えているが、原則は、死別女性に5年で給付を完了することで、経済的自立を促している。つまり、遺族年金の役割を、従来の「所得補償」から「生活再建」へと方向転換しており、夫に養われていた妻を、段階的に「保護」から「就業促進」の対象としていくものだと言える。
さて、ここまで述べてきたように、今年の通常国会で改正された「年収の壁」と「遺族年金」の二つを見ると、ベクトルが異なっているように映る。同じく女性の就業拡大という環境変化を受けているものの、「年収の壁」の改正では、所得税の壁をスライドし、社会保険の壁を一つ撤去しただけで、税・社会保険における扶養の仕組みとコンセプトを残し、会社員・公務員の妻を引き続き、所得保障の対象と見なしている。これに対して遺族年金の改正では、死別女性を段階的に、所得保障の対象ではなく、自立の対象としていくように舵を切った。
と言っても、現在、第3号被保険者がいる世帯からは、廃止には異論はあるだろう。各家庭では、扶養や控除を前提に生活設計をしているからだ。特に年金は、中長期のライフデザインに影響するものであり、途中で給付が廃止されると、人生設計が狂ってしまう。
それでは、子どもたちの世代にも、扶養の仕組みと、その根底にある男女役割分票意識を引き継ぐことが、果たして望ましいのだろうか。現在の中高年女性だと、家族のケアや、夫の転勤によるキャリアの分断など、様々な事情から扶養を選んだケースも多いと思うが、自分の娘たちにも同じ道を歩んでほしいだろうか。
筆者は、中期的に、税・社会保険の扶養の仕組みを見直すべきだと考える。ただしそのためには、社会全体で男女役割分業意識を見直していくことも必要だ。家庭で家事育児が妻に偏っていては、妻が就業時間を増やすことが難しいからである。この点については筆者の既出レポートを参照されたい
4。
そして最も大事な点は、扶養を外れてしっかり働くことは、現役時代の収入や老後の年金が増えるなど、女性自身のウェルビーイング向上につながるということである。筆者はこれまで繰り返し述べているが、女性は男性よりも平均寿命が長いので、今は夫に養われている妻も、老後は「おひとりさま」になる可能性が高い
5。
扶養の範囲で働き続けると、夫が健在なうちは、夫の給料や年金で暮らしていけても、夫の死後は、世帯収入が大幅に減少する。貯蓄や企業年金など十分な資産がある場合や、他の事業収入がある場合を除けば、突如、貧困に直面するリスクがある。
結婚・出産以来、家庭を守り、働く夫を一生懸命支えてきたとしても、夫が亡くなれば、夫の年金を受け取る権利は妻にはない。遺族年金を受け取れる場合もあるが、その水準は決して高くなく、6割以上が、基礎年金を含めても月額10万円未満である。上述したように、遺族厚生年金は、将来的には給付期間が原則、5年に短縮される。
つまり、妻が夫の扶養の範囲で働き、家庭を守るというスタイルは、夫婦のうちはメリットが大きいように見えて、夫が先立てば、妻にはデメリットが大きいとも言える。
ジェンダーの観点で見ると、通常国会における年収の壁と遺族年金という二つの改正は、ちぐはぐだった。低所得の妻を、「所得補償」の対象として扱い続けるのか、それとも「生活再建」の対象として、再就職やリスキリング支援を強化していくのか。どちらが将来的に、女性のためになるだろうか。
年金に関わる見直しは中長期を要するからこそ、通常国会が閉会した今後も、社会全体で議論を続け、早急に方向性を決めるべきではないだろうか。